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第十五話:アレクシアの授業

 授業の開始を告げる鐘とともに、アレクシアが扉を開けて教室に入ってくる。ゆっくりと教壇まで歩くと、彼女は座っている学生を見回した。相変わらずガラス玉のような瞳に、ロビンはゴクリと生唾を飲んだ。やっぱり、何度目にしてもあの瞳が苦手だ。ロビンの心のなかにこびりついた苦手意識は簡単には取れそうもない。


「これより、筋力強化の魔術についての講義を始める。

 初めに言っておく。筋力魔術は非常に難易度の高い魔術だ。

 私がこの学院に在籍している間に諸君ら全てがそれを習得できるとは思っていない。習得できるとして、いいとこ二、三名だろう。

 しかし、安心することだ。難易度の高い魔術がゆえ、約一ヶ月後の期末試験の対象科目となることはない。これは私の助言を受けた本学院の学院長の決定だ。

 安心して講義を受けろ」


 筋力強化魔術の難易度が高いのは有名な話であるため、授業を受ける学生達は戦々恐々としていが、試験の科目とならないという宣言を耳にして、何人かの学生が安心のため息を吐いた。


「諸君らには、今日の講義の半分、筋力強化の魔術について基礎理論を学んでもらう。幸いにも、本日は天気が良い。その後は学院の前庭にて、実技を行う」


 アレクシアはそこまで言って、少し間を置いた。ゆっくりと学生全員をじろりと見回す。その際、ロビンは彼女に睨まれたような気がして、どきりとした。


「実際の講義に移る前に最後に一言言っておこう。

 筋力強化について興味のある学生、興味のない学生、様々だと思う。全員が私の講義を真面目に受けろとは言わない。

 興味のあるものは、全力で耳を傾ければ良い。

 興味のないものは、他の講義の予習などに使っても構わない。

 私は諸君らに一切の期待をしていない。筋力強化など、学術的な価値もない。

 ついてこれる者だけついてこい。では講義に移る」


 アレクシアの言葉に、何名かの学生が奮起する気配が感じられる。プライドの高い貴族の子女たちだ。一切期待していないと言われ、自身の誇りを傷つけられたと感じたのだろう。一方で、試験前の貴重な時間を有意義に使いたいと考える学生もいた。彼らは思い思いの教科書を取り出しては、試験勉強に勤しむことに決めたようだった。


 プライド云々は置いておいて、ロビンには筋力強化の魔術に対する興味があった。グラムの方をチラリと見ると、彼も同じ気持ちらしい。アリッサは苦手科目の教科書を取り出して、内職する気満々である。カーミラは生来の真面目な性格ゆえか、アレクシアの方を熱心に見ていた。仲良し四人組と最近噂されてはいるが、よくこのバラバラな四人が仲良くなったものだ、とロビンは少し苦笑いをした。


「まず、筋力強化の理論について説明する。

 魔術師は生来にして体内にマナを保有していることは諸君らも知っているはずだ。

 マナを持つものと持たないものの決定的な違いは、マナを貯蔵する器官の有無である。これを魔素臓と呼ぶ。

 古来解剖学ではその器官の存在は否定されてきたが、魔術による透視技術が確立されるとともに、目に見えないその器官、臓器といってもいいだろう。それが確認された。

 これは、諸君らが受けている歴史学の中でも教わっているはずのことだ」


 確かに、歴史学の授業でそのような説明を受けた。


 魔術による透視技術。体内の臓器や全身の骨を魔術によって詳らかにする、という試みは現在より二百年ほど前から行われていた。それまでは、人間や魔獣、亜人などの生物がどのようにマナを保持しているのか不明だった。それはそうだ。人間に身体を切り刻んでも、魔獣や亜人の身体を切り刻んでも、マナを有する器官が存在しなかったのだから。


 マナを保有する生物は、死亡とともに僅かな残骸を身体の所々に残し、保有していたマナのほとんどを霧散させてしまう。そのため、古来の魔術学では、マナは生物の全身に保有されているという説が有力なものであった。


 しかし、医療の発展に伴い、魔術による人体の透視技術が確立されるとともに、その器官の存在が明らかとなった。固く変質したマナで構成された拳大の臓器、それが人体の中心部分、つまり心臓から少しずれた位置に存在していることがわかったのだ。


 魔素臓は物理的にも魔術的にも外的な要因によって傷つけられることはなく、本人のマナによってのみ傷つけられる。一度傷つけられた魔素臓は身体の外のマナを吸収する、もしくは身体が徐々に生成するマナを利用することによって徐々に回復し、そして回復の際に少しだけ強くなる。つまり筋肉の超回復のような仕組みが備わっている。


 その事実が明らかになるまで、人間のマナ保有量は遺伝によってのみ決まり、肉体の成長とともに比例して増えていくだけで、訓練によって増えるものではないという説が有力な学説だった。その説が覆されたのが、五十年ほど前の学説であった。今では訓練で効率的にマナを増やす方法論も確立され、人間の社会に根付いている。


「筋力強化は、簡単に言えば魔素臓に保有されているマナを身体全体に馴染ませることによって成立する。つまりマナを体全体に浸透させるということだ。

 これは、マナの緻密なコントロールと、才能が必要となる。逆に大量のマナは必要としない。確かにマナの量が多ければ多いほど強靭な肉体に強化することができるが、多すぎるマナは逆に身体の崩壊を招く」


 アレクシアはそこまで説明して、一息つく。


「他の魔術との違いは、マナを変換しないこと、魔術式を必要としないことだ。勿論杖も必要としない。

 そのため、筋力強化魔術の歴史は非常に古く、五百年前の人類は当然のように利用していた。

 杖と魔術式による魔術が確立されていなかった時代の話だ。

 その時代の人間は魔術ではなく、魔法を利用しており、今よりも非常に効率の悪いマナ運用をしていた。

 だが、その中でも比較的効率の良いやりかたとして今でも残っている技術が、この技術だ」


 アレクシアが説明を一区切りする。


「では、ここからは、実際の筋力強化魔術の使い方について説明を行う。

 その後、前庭に出て実践訓練を行う。

 あぁ、今試験対策などをしている学生は前庭に集まらなくても良い。

 この教室で存分に自習を続けろ」






 筋力強化の魔術の使い方の要点をまとめると、実に簡潔であった。だがそれ故に今の杖と魔術式による補助に慣れてしまった魔術師達には難解だ。


 まずは、魔素臓に貯蓄されたマナを認識すること。そして、そのマナを空間ではなく体中に放出し、筋肉、骨、臓器などに行き渡らせ浸透させること。この際に、マナを自身の筋肉、骨、臓器等に適合させるため、マナを変化させる必要がある。アレクシアは長々と詳細な部分も説明していたが、とどのつまりその二つの工程で成り立つ魔術であった。


 アレクシアの号令により、筋力強化の魔術を真面目に学習したい学生のみが、学院の前庭に集まった。教室にいた学生全体で約五十名、前庭に集まったのは約二十名ほどであった。ロビンは勿論だが、グラムとカーミラも前庭に集まっている。アリッサは自分には不要な技術であると判断したらしく、その姿は見えなかった。


「では、先程した説明のとおりに実践してみろ。

 一人一人体内のマナの流れを私が確認していく」


 アレクシアがそう告げると、学生達は各々思い思いに先程の説明を反芻しながら、自身のマナを操作していく。しかしやはり上手くいっていない学生が多数であり、悩みながら、首を傾げながらの実践であった。


 ロビンは自身のマナを詳細に感じ取れるよう、感覚を研ぎ澄ます。マナのコントロールは常々練習してきた。それは、間違っても実家の兄たちに、自分の方が優れていると思わせないためである。意図的に手を抜く。そのためには、マナの精密なコントロールが必要だった。


 そんなロビンにとっては、体内のマナを知覚することは比較的容易なことであった。身体の中央、そこに薄ぼんやりとした気配を感じる。


 普段魔術を使うときは、腕を介して杖にマナを伝え、魔術式を起動し、魔術を行使する。そこまではっきりとマナの流れを知覚しながら魔術を使う者は少ない。近現代開発された杖と魔術式は、魔術を行使するという点において、マナの流れや変換などをラッピングしてくれる優れた技術であった。低レイヤーの要素を意識せずに使える。それによって、人間は魔術式の構築、つまり魔術自体の開発に専念できるようになった。自動的に杖が体内のマナを腕を介して吸い取り、そして変換し、魔術式によって振る舞いを決め、事象を発現させる。それが現代の魔術である。


 しかし、ロビンにとって、マナのコントロールは生命線であった。ロビンの兄たちの魔術の腕は彼と比較しても突出したものではなかった。兄たちよりも魔術の腕によって悪目立ちし、不興を買ってはロビンの立場としてまずかったのである。


 ロビンはいつもの感覚を思い出す。いつもはマナを腕に通し、杖に伝える。しかし、今は腕だけではなく全身に伝えていく。上手くやれているのかはわからないが、全身にマナを行き渡らせることには成功した。だが、筋肉が強化されている感覚は受けない。マナが全身を薄い膜で覆っているだけ。ロビンは首を傾げた。


「ふむ」


 アレクシアがロビンに近寄り、身体を撫で回した。女性に身体を撫で回されるという経験が無いロビンは、ひゃっという情けない声を出し、身体を緊張させた。思わず、せっかく全身に行き渡らせたマナを霧散させてしまうところだだった。


「ウィンチェスター、といったか。驚くべきことに貴君には筋力強化の才能があるようだ。

 初めてでここまで精密にマナをコントロールできる者は少ない。

 だが、筋力を強化させるところまではできていないようだ。

 どれ、少し手伝ってやろう」


 アレクシアはそう言うと、ロビンの両肩に手を置いた。外側から自分のマナを操作される不思議な感覚に、ゾクリとした悪寒を感じた。グネグネと全身のマナが動き回り、今まで全身に薄い膜のように張り巡らされたマナが、筋肉や骨、臓器の内部に浸透していくのを感じた。


「これが筋力強化だ。どうだ? 気分は」


 アレクシアが両肩から手を離す。さっき一人でマナをコントロールしていた時との違いに、ロビンは驚いた。流行り風邪を引いた時のように、体中が熱い。しかし不快ではない、風邪のように筋肉痛や関節痛もない。


「えぇっと、身体が熱いです」


「成功している証拠だ。跳んでみろ」


 アレクシアに言われるままに、膝を曲げる。太ももとふくらはぎの筋肉が収縮していくのが、いつもより鮮明に感じられた。収縮させた筋肉を一気に開放する。あ、これやばいかも。ロビンがそう思った直後、ロビンの目には遠くなった地面が映っていた。他の学生達が豆粒のように見える。


 やばい、どうやって着地すればいいんだ? ロビンは焦る。


「筋力強化を解かずにそのまま着地しろ! 身体の耐久力も上がっている!」


 アレクシアが空高く舞い上がったロビンに叫ぶ。そんな事言われても、怖いものは怖い。ひゃあ、と本日二度目の情けない声を上げながら、ロビンは地面に向かって猛スピードで落下していく。恐怖に身体全体のマナが霧散しそうになるのを必死に堪える。


 ドスン、と鈍い音を上げて、ロビンはなんとか両足で着地した。痛みはない。普通では考えられない経験にロビンは混乱しっぱなしだった。身体全体に浸透していたマナが霧散していくのがわかる。


「短時間だったが、成功したな。三ヶ月ほど訓練すれば、私の助けがなくても今の状態までもっていけるだろう。半年もあれば、その状態を長時間維持することも可能になる」


 アレクシアはロビンを冷たい目で見遣りながら、そのように伝える。貴君の番は終わりだ、他の学生も見なければな、とつぶやき、アレクシアはロビンの元から離れていく。


「ロビン、凄いじゃない」


 ロビンの近くでマナのコントロールに四苦八苦していたカーミラが近寄ってくる。


「僕にもびっくりだよ」


「私は残念ながら、才能が無いみたい。マナのコントロールなんて考えたことなかったもの」


 カーミラはそうだろうなぁ、とロビンは思う。吸血鬼になってマナも増えているのに、それを精緻にコントロールしろという方が難しい。それに、筋力強化なんて使わずとも、カーミラの膂力は凄まじい。


「コントロールに関しては随分練習したからね。そのおかげかも」


「ロビンが人外じみた力を発揮するのって、あんまり想像できないけどね」


 カーミラがにこりと笑う。確かに、自分が肉体言語で誰かと戦う場面は想像できない。


「それは僕もそう思うよ。才能があるって、ロドリゲス先生に言われたから、習得までは頑張ってみるつもりだけどね」


 もともとやる気がなかったわけでは無いが、俄然やる気が湧いてきたロビンは腕を曲げて力こぶを作った。悲しいかな、筋肉の無い彼のそれは、力こぶと呼べるものではなかったが。






 アレクシアは、一通りの学生の身体を撫で回し、マナの流れを確認するという作業を完了させた。才能があったのはロビンを含めて、二名程度。その中でもロビンは突出していた。あの平々凡々とした少年がそこまでの才能を持っているとは、アレクシアも想像していなかった。


 しかし、そんなことよりも、アレクシアには大事なことに思いを馳せる。


 見つけた。


 カーミラ・ジギルヴィッツ。彼女のマナに触れてみて、アレクシアは疑念を確信へと変えた。あれではマナのコントロールなんてできないだろう。事実全然できていなかった。それよりも大事なことは、そう、あれは人間の持つマナの量ではない。人外のそれだ。


 アレクシアは、学生たちに気取られないよう頬を釣り上げてニヤリと嗤った。さて、どう料理してやろうか。獰猛なその微笑みは大型の肉食獣を彷彿とさせる表情だった。


「ロドリゲス先生、もうちょっと教えてくれませんか?」


 学生の一人が、アレクシアに声をかける。振り向いた彼女の顔は、既に冷たい無機質なものへと戻っていた。なんだ、と言いながら声をかけてきた学生の方へ歩き出す。


 歩きながら、カーミラを見た。仲が良さそうにロビンと話している。どんな話題で話しているかは知らないが、そんなものに興味はなかった。


 授業中ずっと気取られないようにカーミラを観察していて感じた。彼女が一番大切にしている者。それがロビンだった。


 学生にマナのコントロールのコツや、理論的な説明をしながら、アレクシアは別のことを考えていた。そうだ、まずウィンチェスターと話そう。彼は知っているのだろうか、仲よさげに話している、ジギルヴィッツ公爵家の令嬢が、人間を容易く屠る事のできる怪物であるということを。アレクシアは思わず嗤ってしまいそうになるのを必死でこらえた。


 授業終了の鐘がなる。すまないが、今日はここまでだ、と説明を受けていた学生に一言謝罪すると、ロビンに近づいていく。


「ウィンチェスター。今日の放課後、私の居室まで来てくれないか? 貴君の才能は素晴らしいものがある。今後の訓練について話しておきたい」

アレクシアの授業です。本当は彼女は体育会系でスパルタな人なのですが、

その部分が出てくるのは、もうちょっと後の話です。


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