*平折の悪戯 にゃーん③
これは第3章-幼馴染、第62話「思い出した瞳」と連動した話になります。
これは昴が、暴力沙汰を起こして謹慎している時の日の事だ。
「ただいまです――ぁ」
平折が学校から戻ると、リビングで昴が眠っていた。
少し驚いたものの、起こさぬよう足音を殺して静かにキッチンへと移動する。
どうしてリビングで寝ているのかはわからないけれど、寝ている義兄を起こす事は憚られた。
無防備にも、すやすやと規則正しい寝息を立てている姿を見ると、どうしてか目尻が下がってくるのがわかる。
平折は珍しい昴の寝姿をにこにこと眺めながら、レジ袋に入った食材をキッチンに並べていく。
帰宅途中、母から義父の所に行くというメッセージを受け取っていたので、夕食の買い出しをしていたのだ。
思えば、義兄でもある昴には世話になりっぱなしだった。
だからこの状況は好都合とも言える。
(たまには、私が夕飯を作るです!)
ふんす、と鼻息も荒く、エプロンをつける。
おいしいって言ってもらえたらなと想像しながら、傷みやすい食材を冷蔵庫に入れていく。
彼の事を考えると、胸に温かいものが広がっていく。
不思議な感覚だった。
だけど嫌なものじゃない。
そして昴の事を思うと――何故か今朝寝起きの顔を見られたことを思い出し、眉間にしわが寄るのがわかった。
平折にとって、寝起きの顔を見られるのは痛恨の出来事だ。
今までが無頓着過ぎたというのもある。
親友である凛に色々と教えてもらった今となっては、黒歴史ともいえる。
(だから、寝顔を観察してもいいですよね?)
夕食の準備がひと段落した平折は、そんな事を思い――自分に言い訳しながら、彼の傍に近寄った。
昴は良く寝ていた。
眠りは深く、寝息は規則正しい。
無防備な姿をさらす義兄を、何故か正座でまじまじと眺めてしまう。
(まつ毛、長いです……)
はぁ、と大きなため息が漏れた。
普段頼りにしている義兄ではあるが、こうして見ると凄く可愛らしいだなんて思ってしまう。
髪型も変わり爽やかになった彼は、義妹である平折から見ても、ドキドキしてしまうほどの魅力がある。
それに最近、女子の間でも彼氏にしたいかもという声が、よく囁かれていた。
(――っ)
――自分がしゃしゃり出る様な話じゃない。
そうは思っていても、チクリと胸が痛むのも事実だった。
気付けば、昴の手を取り自分の頬に寄せていた。
平折は、彼の手が大好きな自覚がある。
ひとたび頭を撫でて貰えれば、不安が吹き飛ぶ魔法の手なのだ。
(えへへ)
その感触を顔全体で味わうと、幸福感が溢れてくるのがわかる。
きっと今、だらしない顔をしているのだろう。
それと同時に、いつかこの手が自分から離れていくかもと考えると――とても怖かった。
「んぅ……」
「ふぇっ?!」
その時、昴が寝返りをうった。それと同時に頬に添えてた手も動き、彼の胸に抱き寄せられる形になった。
とくとくと、規則正しい音を奏でる義兄の心臓の音が聞こえる。
明らかに自分の心臓より穏やかな音が、なんだか恨めしい。
鼻腔に嫌でも入ってくる彼の匂いは、寝汗をかいているのかいつもより強烈だ。
「ふにゃあ~」
思わず変な声が出た。
先程手を頬に寄せていた時とは比べ物にならない幸福感に包まれてしまった。
頭の中は色んな感情がサンバを踊る程の大混乱で、どうしていいか分からない。
だというのに、すやすやと眠る義兄が、憎らしくすら思ってしまう。
その顔を見ていると、直ぐ傍に、ぷっくりとした紅い唇が見えてしまった。
乾燥しているのか、すこしガサガサと荒れている。
(……ぁ)
自分は義妹で相手は義兄だ。
いけない事だとわかっている。
こんな彼の知らないところで、自分の唇の初めてを押し付けられても、迷惑だなんていうのもわかっている。
だけど花に吸い寄せられてしまう蝶の様に、自分の本能に従えば、どうしてもそこに吸い寄せられてしまった。
『しょうがないですよね』と思ってしまう自分が――卑怯に思えた。
「――平折っ!」
「ぴゃうっ」
「――っ?! 痛っ!」
「~~ぁぅ……」
昴が目を覚ましたのは、いきなりの事だった。
額を強く打ちつけたのは、不埒な事を考えた自分への罰なのだろうか?
色んな意味で涙目になってしまう。
だけど、自分が今しようとしたことを知られるのはどうしても恥ずかしかった。
「け、今朝寝起きの顔を見られましたから!」
「……え?」
気付けばそんな言い訳をしていた。
自分の顔が熱いのはわかるけど、知られたくはなくて、そんなことを言うのだった。
その後の事は何を言ったかはわからない。
ただ――一緒に作る夕食はとても楽しかった。
これからもそんな日々が続けば――平折は、そう願わずにはいられなかった。












