6話 猫にとって必要な道具
またたくまにポトフをたいらげ、ブロッコリーをフォークで刺す。
ドレッシングの中に粉チーズが入っているらしい。あの独特の匂いがしたが、なによりブロッコリーと一緒に咀嚼するとまったりとした味になる。うまい。ワインを一口飲むと後味がいい。というより、これはワインと一緒に食すものだ。
ワイン、温野菜。と無言で繰り返していたが、終わってしまった。
仕方なくメインに移動する。
ローストビーフだ。
実はこの赤い部分が苦手だったりする。正直に言えば怖い。「血がぁ」というのではない。ひたすら気になるのは食中毒だ。
おっかなびっくりナイフをいれる。すっとあっさりと切れた。
ソースと共に口に運ぶ。
驚いたのは生臭さなど全くないことだった。
甘い。
柔らかい肉からの汁。それとソースがあいまり、口の中でまず感じたのは甘さだった。
そこから肉本来のうま味が口中に広がる。
クロエはやっぱり無心でナイフとフォークを動かした。
ふと視線を感じて手を止めた。
ゆっくりと顔を起こすと。
向かいの席でアイザックが微笑んでいた。
「なにか?」
「いえ。美味しそうに召し上がっておられるので。すごく幸せだな、と」
「しまった。礼が遅れたな。非常に堪能している」
礼を言ってから、ぱくりとローストビーフを口にほおばる。膝に広げたナプキンで口元をぬぐい、ワイングラスに手を伸ばす。
「さきほど、クロエ様は『腹が満たされればいい』とおっしゃっていたでしょう?」
「そうだな」
腹が空いたから食事をする。喉が渇いたから水を飲む。酔いたいから酒をくらう。
クロエの食生活は基本それだ。
「作り手はきっと『心が満たされる』から食事を作るんだなぁと。あなたの食事を見てつくづく思いました」
「そうなのか?」
ちょっと意外だ。クロエは顔をしかめた。
「私など、まだ実家にいたころなにかを作っては小言しかいわれず、最後は父がひどい胃痛になってな。お前の料理は寿命を縮めるからもうやめろと言われた。二度とやらん」
聞いた途端、アイザックが愉快そうに笑うから、クロエは肩をすくめた。
「その代わり、乗馬技術や剣術は褒められた。つくづく人には向き不向きがあるのだなと思う。だから性別など関係なく、料理が好きなら作ればいいし……いや、やめよう。この話は」
また愚痴っぽくなるところだったと、クロエは片手を振り、がぶりとワインを飲む。
「身体はもういいのか?」
「え?」
「刃物傷だ。かなりの出血量であったが」
あの隠し部屋で見た衣服の破損具合と出血量は相当のように見えた。
「ええ、はい。おかげさまで」
すい、と視線を下げてアイザックが答える。
なんとなく気まずい沈黙が食堂におりた。しまった、なんかこれ話題を間違えた、と室内を改めて見回した。
「そういえばシャリーはどうした」
「ああ、いまはぼくの部屋に」
「部屋? どこを使っている?」
「ヨハンナさんが『メイドの部屋を使えばいい』というので」
「あそこは狭いだろう。客室を使ってくれ」
「いえ、とんでもない。荷物といっても聖書と着替えぐらいですから」
「猫は?」
「え?」
おや、と思って尋ねると、アイザックも同じような表情でこちらを見ている。
「猫関連の荷物はないのか? 私は猫を飼ったことがないからあれだが……。犬でもエサ皿や水皿、寝床の毛布やリード等がいるだろう?」
猫はいらないのだろうか。
「ああ……えっと。ええ、もちろん持参していますが、そんなに幅をとるわけでもないので」
急に歯切れが悪くなる。
ひょっとしたら我が家の食器をエサ皿に使用しているのかもしれない。別に構わないのにと思いながらクロエは無言で頷いた。
それに猫とはベッドにあがるイメージがある。クロエは犬と一線を画すためにベッドにはあげないが、猫は違う……のだろう。そうなると寝具も必要ないのだろう。
(猫とはあまりモノがいらない動物なのだな)
飼いやすそうだと思うが、いかんせん猫族がクロエを敵視するので仕方ない。そっと愛でるしかない。
「あの、クロエ様の目には入らぬようにしますので」
「なにを」
「猫」
「なぜにかようなことをするのだ!」
がんっとワイングラスをテーブルにたたきつけてしまい、盛大にしぶきが散った。
「わ、大丈夫ですか⁉」
向かいからアイザックが手を伸ばしてナフキンで拭いてくれようとしているが、そんなどころではない。
「猫は自由にさせるように!」
「それはありがたいのですが、お嫌いなのではないのですか?」
「そういう問題ではない! 危険がないのに行動制限をするなど言語道断!」
「わかりました。シャリーも喜ぶと思います」
「うむ」
クロエも自分でテーブルを拭きながら返事をした。『喜ぶと思います』と言われてちょっとだけうれしい。
「あ、そうだ」
「はい?」
「買い物に出歩くと人目にもふれよう。明日からは八百屋と肉屋、酒屋に順番に訪問させるゆえ、必要なものを購入するように」
「いいのですか? ぼくはショールさえ巻けば結構いける気がしましたが……」
「その過信がいかん。そういえば市場までどうやって行ったのだ?」
「ヨハンナさんと一緒にロバに乗って」
「目立つ! いやすでに目立った!」
クロエは頭を抱えた。
馬ならまだしもこんな長身の男がロバ……っ。足がついていたのではないのか⁉ しかも顔をショールで隠していればいやでも目立つではないか! しかもヨハンナ刀自までロバに乗ったら注目度アップだ!
「即刻やめるように!」
「ですが御用聞きの商品以外で必要なものあればどうすれば」
「足りないものがあれば私に言うように。帰宅までに買ってくる」
「ですが」
「それ以外に個人的に必要なものがあれば、私が同行する。次の休暇までいましばらく家で待機だ」
しょぼんとしているのでよほど外に出たいのかと思えば、決然とアイザックは顔を上げた。
「ぼくは居候の身でありながら、これではクロエ様の負担ばかりが増えるような気がしますが」
そもそも王太子が押し付けてきた段階で負担だ。
……とはさすがにクロエは言えなかった。
グラスに残ったワインを飲み干し、立ち上がる。
「料理や掃除をしてくれるだけで十分だ。この食器はさげればいいのか?」
アイザックのように四枚持ちをしてみようとおもったが、アイザックに悲鳴を上げられた。
「いいです! ぼくがやりますから!」
「片付けぐらいするが」
「そんな風にぼくの仕事をとってもらったら困ります」
憤然と言われ、そんなものかと思い直す。
「では私室に戻る。なにかあれば声をかけてくれ」
「承知しました」
「風呂は自由に使うといい。喉が渇いたなら、茶や酒も自由に。足りなければ御用聞きに」
「支払いはどのようにすればよいのですか」
「私の管財人が町にいる。商人は月ごとにその管財人のところに行って代金を受け取るから問題ない。あ」
言いながらクロエは気づく。
そういえばアイザックの給料だ。
「貴卿の給料についても月末でよいか? 管財人に言って……」
「いえ! ぼくはここに住まわせてもらっているだけで大感謝です!」
「だが労働の対価は……」
「その対価がこれです!」
力強く言うので、それ以上言うのを控える。あとで王太子にでも相談しよう。
「ではよろしく」
クロエは告げて、食堂を出た。




