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婚約破棄された伯爵を預かったのだが、胃袋をつかまれていかんともしがたい  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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5話 手作りの食事

「上着はハンガーにかけますが、こちらの紙袋は?」


 アイザックに問われて我に返る。いかん。凝視しすぎた。


「ああ、明日の昼飯に、と」

 まさか訪問日を失念して朝ごはんを買ったとはいえない。


「ではバスケットかなにかにいれて、明日お渡しを……」

「かまわん、そのままで」


 なぜにバスケットにといぶかしんだが、そういえばメイドもそうやって持たせてくれたような気がする。最初は。


 だけどそのバスケットを持ち帰るのを何度も忘れ、最終的に紙袋に入れて突き渡された。これなら持ち帰らずともよく、すてればいいからとてもラクだ。


「そう……ですか。あ、ヨハンナさんからクロエ様は帰宅するとすぐにお風呂に入られるとお聞きしたので準備はしてあります」

「なんと!」


 目を瞠る。


「風呂に……?」

「ええ。すでに準備をしていますが」


「いまから準備をする、ではなく?」

「完了……しています」


「このまま移動してもいいのだな? 着替えなくても」

「え? 着替える? 一度お召し替えなさいます?」


「いや、したくない!」


 メイドがいたときには「ちょっと待ってくださいね」「えー……。もう帰る時間一定にしてほしい」と散々文句を言われた風呂。


 風呂、いつわかせばいいの問題。


 書類仕事のときなら我慢ができるが、訓練続きだったり夏場だったり、野営前の準備のときなどは一刻も早く服を脱いでドボンと湯につかりたい。


 最終的には待ちきれずに水浴びをしたら、「我々に対する嫌味か」とも言われた。いやその発言自体が嫌味ではないのかと思ったりしたが、クロエはメイドの仕事をしたことがない。


 したことがないことに対して、頭ごなしに「そちらの段取りが悪いんじゃないのか」とも言えない。フェアではないとも感じる。


『好きなだけお着換えなさい。洗濯はこのババがいたします』とヨハンナ刀自が言うので、クロエは仕方なく軍服を脱いで部屋着に着替え、じっと風呂を待つという時間を家で過ごしていたことが多々あった。


 ヨハンナ刀自がそのことを不憫に思っていたのだろうかと感激したが。

 単純に『着替えが増えて洗濯量が多くなる』ことが嫌だったのかもしれないと気づいてシュンとなった。


「お風呂、どうなさいますか?」

「いますぐ風呂に!」


 だがすぐに意気揚々と一歩踏み出した時。

 しゅるん、と。

 食堂から真っ白なちいさきものが出てきてクロエは足を止めた。


「あ。シャリー」

「うな?」


 焦ったようなアイザックとは対照的に、白猫は呑気に返事をした。

 金と青の瞳でクロエを見つめ、「うなぉう」と鳴く。


「はぅわああああああああああ!」

「え⁉ クロエ様⁉」


「あああああああああああああ! 猫があああああああああああ!」

「す、すみません! シャリー! だから食堂にいろって!」


 慌てた様子でアイザックはシャリーのもとに駆け寄った。抱き上げようとしたようだが、自分がクロエの上着と紙袋を持っていることに気づいたのだろう。


「シャリー、肩」

「うにゃ」


 中腰になると、白猫は身軽にアイザックの背中に乗り、そこから肩に移動した。

 そして、すりっとアイザックの頬に顔を寄せる。


「なんだそれはけしからんだろう!!!!!」

「す、すすすすすみません! すぐにシャリーを移動させます!」


 がすっと音を立ててクロエは両膝をついた。


 可愛すぎる!!!!!!!!

 なんだあのけしからんかわいい生き物は!


 犬は確かにする!

 背中に飛び乗る! だけどそれはより高みに飛ぶためだ。つまり主人を跳び箱としてとらえている。


 それに対してなんだあの白猫は!


 おんぶ!

 おんぶからの、すりっ!

 いかんだろう、あんなの! なにやってんだあの猫は!

 そしてそれを許すアイザックが憎い! 私もされたい!


「クロエ様! いまのうちに風呂場へ!」


 どの部屋に入ったのか知らないが、遠くからアイザックの声が聞こえる。

 クロエは、すっくと立ちあがった。いかん、正気を失ってしまった。


「うむ」

「その前に、申し訳ありませんがご自身でお着換えを持参してください! ぼくは触れませんので!」


「うむ?」

 なぜだ、と問うたのだが返事はない。


(あ。私が女性だからか?)

 一応気にしてくれたのだろう。


「気配りいたみいる」

 クロエは告げて風呂場に向かった。



 それから一時間後。

 風呂を終えてクロエはスリッパをぺたぺた鳴らしながら食堂に入った。


「お湯加減いかがでしたか?」

 すぐにアイザックが柔らかな声で尋ねてくれる。


「満足だ。礼を言う。しかも泡風呂。堪能した」

「それはよかったです。どうぞ」


 テーブルから離れてアイザックが椅子を引いてくれるが。

 用意されているのは一食のみ。

 向かいの席にも椅子はあるが、プレースマットすら敷かれていない。


「貴卿のぶんはどうした」


 ガウンの紐を結びなおしながら尋ねると、アイザックは不思議そうに目をしばたかせる。


「もう食したのか?」

「いえ、まだですが」


「では一緒に食べようではないか」

「えっと……。ぼくは小間使いで……」


「職務自体はそうだが、貴卿は王太子の友人であることに変わりはない。それにうちではローテーションを組んでメイドも一緒に食事をしていた」


 配膳係がいるので誰かひとりは食事を共にできないが、それ以外のメイドとは毎回食事をしていた。まあ、そのときの会話がかしましく『黙食』を命じたくなったが、ぐっとこらえたのも今となってはいい思い出だ。


「ですがそうなると配膳が」

「全部まとめて出せばいいではないか。それともまだ調理中のものがあるのか?」


「いえ。肉も火が通ってますので」

「では私も手伝うから皿を並べてしまおう」


「さすがにそれは。では、少し失礼いたしまして。あ、クロエ様先にご着席を」

「うむ」


 クロエが椅子に座る。直前に少しだけ椅子を前に出してくれるのだから完璧だ。

 なんならメイドたちは後半、無視していた気がする。クロエを。


 食堂と炊事場は扉一枚で仕切られている。

 足音も静かに出て行ったかと思うと、アイザックは籠とワインを持って戻ってきた。


 クロエの向かいにプレースマットを敷き、それからクロエの前にもカトラリーを並べる。


 ワインをグラスに注ぐと、再び炊事場に取って返す。

 クロエがワインを数口飲んだぐらいには、皿4枚持ちで炊事場から出てきた。本当にこの男は神官であり、伯爵だったのかと思う手際で皿を並べた。


「お待たせいたしました」


 そう言われるまでアイザックが着席したことに気づかなかった。

 それほどクロエは料理に見入っていた。


(以前のコックと何が違うのだ?)


 じゃがいもとたまねぎ、ソーセージの入ったポトフ。

 茹でたブロッコリーとにんじん、ゆでたまごのサラダ。

 ローストビーフ。こぶりのパン。


 内容自体はたいして変わらない。なんならメインなどもっと凝ったものが出ていた気がする。


 それなのに、何かが違う。

 すべて温かくおだやかな湯気を上げ、よい匂いがしている。


 色も違う。

 なんだか鮮やかなのだ。


 ギラギラしているのではない。やわらかな色彩であるのにくっきりとしているというか。


 調味料をまとってもしっかりとした素材の色を残しているというのだろうか。

 ぐう、と自然におなかが鳴った。


「温かいうちに」

「うむ。いただきます」


 聞かなかったことにしてくれたアイザックがそっと声をかけてくれたので、クロエはスプーンを手に取った。


 手に取って驚く。

 温かいのだ。

 どう考えても温めてくれていたとしか思えない配慮がそこにある。


 スープ皿にスプーンの先を沈める。

 淡い黄金色のスープからじゃがいもを掬い取り、口に運ぶ。


 鼻先に抜けるのはスッとした香り。ローリエだろう。そこからわずかな胡椒が舌を撫でる。じゃがいもは少しふれただけでなめらかにほどけた。


「うまい」


 つい口から言葉が出た。そのころにはじゃがいもを伴って喉に流れ落ちたスープの温かさが胃にまで届いていた。


「それはよかったです。買い物に時間がかかってしまって……。あまり凝ったものが作れませんでした」


 驚いて視線を向かいにむけると、どこかしょぼんとした顔のアイザックがいる。


「これでも十分凝っている。スープなどは煮込みに時間がかかると聞いたが?」

「ブイヨンをとったわけではないので。また時間がありそうなときに、コンソメスープを作りますね」


「コンソメスープ」

「お好きですか?」


「実家ではよく食したが……」


 以前のコックはスープが雑だった。

 手がかかることは知っていたのであまり言わなかったのだが、どんどんぞんざいになっていき、野営の時の飯盒炊飯かとツッコみたいときもあった。


「では今度作り……」

「いや、手の込んだものは不要だ。基本、食事は腹が満たせればいいし、酒は酔えればいい。貴卿の貴重な時間を割くのは申し訳ない」


 クロエはスプーンを動かし、今度はにんじんを口に運んだ。少し薬草くさいところがあるが、やわらかさは絶品だ。歯が無くても食べれそうだ。それにクロエはこのにんじんの薬草くさいところが好きだったりする。だから甘く煮たグラッセが苦手だ。


「その」

「なんだ?」


 無心でスプーンを動かし、ようやく人心地つき、今度はパンに手を伸ばしたところで声をかけられた。


「嫌いではないのです」

「なにが」


 少し力を入れると、ぱりっと表面が割れて香ばしい匂いが漂う。焼き加減抜群。口に放り込むと、かしゃと軽い音のあと、もっちりとした歯ごたえがある。うまい。


「料理です」

 おずおずとアイザックが言うのでクロエは手を止めた。


「そうなのか」

「ええ。母が病弱で小食だったもので……。でも、ぼくが作ったものなら喜んで食べてくれたのです。それで料理が好きになりました」


「なんと。器用なのだな」


 クロエなど思い通りにできない火加減に翻弄され、もう二度とやらないと心に決めている。クロエの料理は食べた人の寿命を左右するからだ。


「母が亡くなってからは理由もなく厨房に入れず……。さみしい思いをしているところでした」

「ほう。そうか」


「なのでこれからしばらくは思う存分料理ができるのかと」

「楽しみにしているのか?」


 問うと、目をキラキラさせて頷く。


「ならばお願いするとしよう。いや、こちらとしては嫌々やっておられるのかと」

「とんでもありません。非常に前のめりです」


「なるほど。では、よろしくお頼み申し上げる」

「こちらこそ。貴重な機会をありがとうございます」


 深々と頭を下げるアイザックを見て、『おかしいな、彼は命を狙われているからかくまっているのであって、趣味の料理を追求するためではなかったような』とも少し考えたが、こんなに旨い食事の前で発言するのは無粋だ。



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