41話 祭壇付近の騒動
「どうしました?」
アイザックが腕を差し出しながら尋ねる。クロエはその腕を取り、彼を見上げた。
「いや、いずれの男性もアイクと同じ表情をしているな、と思ってな」
「そりゃそうでしょう。でないと結婚なんてできません。ですが、クロエ様がこの中で一番美しいのは真実ですよ」
「…………そう……か」
軍服は軍服でも礼服のほうがよかったかな。そんなことを考えていたら、視界いっぱいに花が広がった。
「ん?」
「これ、献花用の花です」
アイザックがさっきまで抱えていた花束だ。
周囲を見回すと、いずれも女性が抱えている。なるほど、なるほど、とクロエが受け取った時、聞き覚えのある声で名を呼ばれた。
「クロエお姉様!」
「アデル子爵令嬢」
振り返ると、彼女も婚約者らしい男性と腕を組み、花束を抱えている。
今日のアデルは水色のドレスに、薄手のショールを羽織っていた。華奢な彼女だが、今日の衣装はふんわりとしていて、彼女の雰囲気にとても似合っている。
「これはまた……! まさに花乙女だ!」
「クロエ様こそ本日も麗しい! お仕事のあとですよね? お疲れ様です」
クロエとアデルが挨拶を交わしている間に、アイザックもアデルの婚約者と挨拶をすませた。
クロエも初顔合わせだが、挨拶せずにまずは様子を見ることにする。
王太子ミハエルでは手痛い失恋をした彼女だ。
結婚はうまくいってほしい。
だからこそ、ついつい自分としては見る目が厳しくなる。いま、うかつに声をかけたら、職務質問に発展しそうな気がした。
「祭壇まで一緒に参りませんか?」
「もちろんです、私の可愛い妹」
クロエが恭しく一礼をすると、アデルは嬉しそうに笑い声を立てた。
(周囲からは「男三人と女子ひとり」に見えるんだろうな)
アイザックに申し訳ないとクロエは思ったのだが。
ちらりと隣に立つアイザックの表情を盗み見るに、彼はまだ「やっぱりぼくの婚約者が一番きれい」と感じているようなので、ここでも黙っておくことにする。
「そういえば、ルビー嬢にお会いになりました?」
「ルビー嬢? やっぱり来ているんですか」
クロエが目を丸くすると、アデルはぎゅっとクロエに身を寄せて来た。
「よかった! ということはまだクロエお姉さまに近づいてはおりませんのね。アイザック殿も遭遇しておりませんか? 大丈夫でした?」
まるでクマでも見かけたようにアデルが言う。
「ええ。ぼくはまだ……。ということは」
「サミュエル殿もご一緒でした」
アデルの婚約者である子爵が答えた。
「……仕事しろよ」
ため息まじりにアイザックが言う。十分に配慮したせいで、その小声はクロエにしか聞こえなかったのだが、ぎゅっと寄せた眉根のあたりには深い憂いが浮かんでいた。
花の乙女の件で、サミュエルは仕事に穴をあけている。
その埋め合わせをこの人が良い兄はやっぱりしてしまっているのかもしれない。
彼の表情は複雑だ。
「裁判のこともあってご心労もおありでしょう」
子爵がいたわりの声をかける。
「まさか公の場でなにかするとはおもいませんが……。ルビー嬢もサミュエル殿もこの件でかなり腹を立てておられるとか。十分にご警戒なさって」
アデル子爵令嬢がクロエとアイザックを交互に見て言ってくれる。
クロエとアイザックがふたりに丁重に礼を伝えたとき、列の前方でなにやら騒ぎが起こった。
子爵が素早くアデルを引き寄せるのを見て、クロエの中で彼のポイントが少し上がった。まだ「ミハエルより少しまし」程度だが。
「なんだ?」
「ケンカでしょうか」
クロエは佩刀の柄に手をかけ、アイザックは背伸びをして祭壇付近の様子をうかがった。
「ケンカのようだぞ」
「誰か警備を呼べ」
伝言ゲームのように前方の参列者からそんな言葉が届いた。
「すみません、少し持っていてもらえますか? それと警備を呼んでもらえたら助かります。神殿騎士がいるはずですから」
クロエはアデルに花束と花冠を差し出した。
この場にいて巻き込まれるよりいいだろう、とクロエは彼女に頼んだ。アデルは心配そうに花束を受け取って首を縦に振る。
「あまり無理なさいませんように」
「わかっています」
クロエは言って、足を前に出した。
「朱紅隊である!」
そう声をかけると、すぐに列が割れてクロエに道を開けてくれる。警備に来てくれたと思ったのだろう。まさか当事者だとは思われていない。その中を進むと、アイザックが後ろからついてきた。
(……まあ、あの腕なら大丈夫だろう)
武器を使った戦闘が苦手だと言っていたが、幽騎士退治の腕は見事だった。
「どうしてくれるのよ、これ!」
金切り声が間近に聞こえ、クロエは足を速めつつも眉根が寄る。
(……この声)
聞き覚えがある。
そう思って皆が遠巻きに見ている現場に近づき……。
「ルビー嬢とサミュエル殿か」
ついため息交じりの声が出た。
祭壇付近。
そこにはルビーとサミュエル。
そのふたりと向かい合うように数人の集団がいた。
幼児を抱いた母親らしき女がひたすら頭を下げ、隣にたつ花乙女らしい娘がオロオロし、その彼女をいたわりつつも、ルビーとサミュエルをにらみつけている男。彼が花乙女のエスコートだろう。
「朱紅隊である。なにごとか」
軽く頭痛を感じながらクロエが声をかけると、ルビーが顔をこちらに向けた。
涙を浮かべているので驚く。なんだ、実際になにかあったのか、とクロエは背筋を伸ばした。
「見てください、これ! その子が汚したんですよ!」
今日のルビーはその名の通り深紅色のドレスを着ていた。
上半身はぴたりと身体に沿ったデザインだが、スカート部分にはオーガンジーが一部使われていたりして、ふわふわしている。
レースの手袋も緋色で、髪に差した花も真っ赤なバラだ。かなり値の張る衣装だし、装いだった。
その彼女が、ドレスのオーガンジーを握り締めてクロエに訴える。
「ここ! 見て!」
そう訴えるので近づき、目を凝らすのだが、クロエには汚れらしきものがなにも見えない。
「どこ?」
「ここ! 濡れているでしょう⁉」
「まあ……若干……?」
「あの子が、よだれまみれの手で触ったの!」
ルビーが涙ながらに指弾する。
つられてクロエが視線を移動させた。
ルビーが怒りに燃えてにらみつけているのは、母親が抱っこしている幼児だ。
さっきまで大声で泣いていたが、いまはぐずぐずとしゃくりあげる程度になっている。
「すみません。うちの子が伯爵令嬢のドレスを引っ張ってしまって……」
泣きださんばかりの顔でまだ若い母親が頭を下げる。
「それは……仕方なかろう。ふわふわしていてきれいに見えたのではないのか? まだ年端もいかぬ子が触るのは」
わかる気がするが、とクロエが続けようとしたのだが、ルビーが怒声を張った。
「こんな場所に子どもを連れてくるのが非常識なのよ! しかも躾けもなってない!」
どの口が言うのか、とクロエは目を瞠ったが、今度頭を下げたのは花の乙女のほうだ。
「姉は私の親代わりなのです。このたび、私の結婚が決まり、私が恩返しをしたくて招待をして……。このたびは本当に申し訳ありません、伯爵令嬢」
「あなた、どこのどなた⁉」
ルビーが金切り声を上げる。父は男爵位を持っている、と娘は震える声で応じた。
「男爵風情が見栄を張るからこんなことになるんでしょう⁉ 最後尾に並びなさいよ!」
「……お言葉ですが、お参りは先着順のはず。確かに、わたしの婚約者の甥が伯爵令嬢の衣装を汚したかもしれませんが、これはあまりの言いようではありませんか?」
一歩前に出てきたのは花の乙女のエスコート役。婚約者の男性だ。
困惑しきりで謝るばかりの女性たちとは違い、こちらは怒りに燃えていた。
「衣装についてはこちらが弁償いたします。婚約者も、その姉君も存分に詫びたはず」
途端に周囲の貴族たちからも「そうだ」「あまりに理不尽」と声が飛ぶ。
クロエは若干ほっとした。
周囲もよってかたって男爵一家を責めるのかと思ったが、やはりどう考えてもルビーたちの言いがかりのようだ。
「弁償? 君らが払えるの、このドレス」
サミュエルが嗤う。
「弁償以前に、せっかくのこの日にケチをつけられたわ! 訴えます! 男爵一家に損害賠償してもらいますから! 私の心の傷も含めて!」
ルビーがぐすん、と洟を鳴らした。
「ここまで来ると言いがかりではありませんか!」
婚約者の男性が言う。ルビーがまなじりを吊りあげて怒鳴り返した。
「なによ! 男爵が私に逆らうの⁉ オースティン家は伯爵よ⁉」
泥仕合だ、とクロエは息を漏らし、双方の間にずいっと身を入れた。
「伯爵位を振りかざすのなら、私も言わせてもらおう。この中で一番の高位である。公爵だ。双方、静かになさい」
しん、と。
周囲が静まった。
クロエに会場中の視線が集まる。
そのあと、波紋が広がるように一斉に参加者たちが頭を下げていくからクロエは慌てた。




