幕間 3
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怒りもあらわに馬車に乗り込んだルビーは、馭者が扉を開けるや否や、大声を張り上げた。
「早く出しなさい!」
「かしこまりました」
馬車の扉をしめながら、馭者はちらりとノラに視線を走らせる。お疲れ様、そんないたわりの視線に目を伏せた。
馬車が動き出すと、額のこぶが、ずきずきとさらに痛み始めた。手で押さえたかったが、そんなことをすれば「またおおげさな!」と叱られるに決まっている。
じっと耐えていると、向かいの席に座ったサミュエルの貧乏ゆすりに気づいた。
「なあ、あれ、兄上はおれたちのこと、わかってるって感じだったよな」
「うるさいわね! 裁判所に訴えるって言ってるんだからそうでしょ⁉」
ルビーは爪を噛む。
最大限にいらだった時の彼女のくせだ。
せっかくきれいにネイルを手入れしたのに、とノラはぼんやりと思った。
「あの感じじゃ王太子、事業の後押しなんてしてくれないだろうしなぁ」
「それどころか、社交界でのわたしたちの立場はどうなるのよ!」
王太子ミハエルは顔が広い。
情報通でもある。
それなのにあんな会話を聞かれていた。
いや、そもそもアイザックとは親友であり、クロエとはいとこなのだ。
彼が自分たちを敵視して悪しざまな噂を流すことは容易に考えられる。
「……アイザックの醜聞を流すのよ」
ぼそりとルビーはつぶやいた。
途端に、頭の中に熱い奔流が巡るのを感じた。そうだ、それしかない!
「わたしたちの噂なんて大したことはないってみんなが思うような……! それほどの醜聞を!」
「醜聞? だって母上のことはもう、嘘だってばれたんだろう?」
「そうよ! それを上回るぐらいの……!」
熱に浮かされたようなルビーを見て、ノラは空恐ろしくなる。
どうしてこのお嬢様はまともな発想をしないのだろう、と。
そもそもアイザックと結婚しておけばよかったのだ。
それなのにサミュエルをそそのかしてアイザックを蹴落とし、あまつさえ殺そうとした。
それが露呈したのだ。
なぜこれ以上のなにかは悪手とわからないのだろう。
「アイザックの不貞……これならどう⁉」
「兄上の? え? 兄上が不倫するってこと?」
「そうよ! 王族の……公爵と婚約が決まったのに、アイザックは浮気するの! どう、この醜聞は!」
「そりゃ……すごいけど。え? あの堅物の兄上が誰と?」
サミュエルが訝しむ。
ノラはただ、身体を小さくしてルビーの隣に座っていたのだが。
なにやら視線を感じて顔を上げた。
サミュエル。それからルビーと目が合う。
「ノラ、あなた近日中にあのふたりの家に行きなさい。公爵が留守の時を狙うの。アイザックが一人の時にね? で、大声で叫びなさい。『やめて! なにをなさるの!』って」
「…………え?」
ノラの声がかすれた。だがルビーはご機嫌な笑みを浮かべて命じた。
「アイザックに襲われたって叫びなさい。あそこ、警備がいるんでしょう? たくさん証人を作りなさい」
「あ、あの……」
唇が震えた。いや、唇だけじゃない。全身が震えていた。
アイザックに襲われた、と。嘘の証言をしろ、ということか。
「そのとき、ちゃんと服とかも破っておくのよ? あ、もちろん誘惑できるんならそれはそれで構わないけど。あんたみたいなのに手は出さないでしょうし」
ルビーが笑い、サミュエルも爆笑した。
だがそんなふたりの声がノラの耳には入っていない。
あの優しげな男性を騙せと言うのか。
突き飛ばされたときに、誰より早く駆けつけて助け起こしてくれた女性を不幸にしろというのか。
「もちろん成功したら、あんたに褒賞を渡すわ。あ、この指輪どう? 売れば結構なお金になるわよ。もちろん、屋敷での待遇もめちゃくちゃよくしてあげる! ね? できるわよね。あんた、仕事、辞めたくないんでしょ?」
ノラはただただ、目の前が真っ暗になった。




