15話 歓楽街の警備
□□□□
四日後の夜。
クロエとアイザックは歓楽街にいた。
「それでは先ほど説明した通りだ」
人通りが多い。
その街路の端っこで、クロエは声を張る。各店の呼び込みがうるさい上に、そこかしこで酔客が騒いでいる。
その中でえんじ色の軍服をきた素面の集団は一種異様ではあった。
「ふたり一組となり、不審者、被害者、あきらかに幽騎士とおぼしきものを見つけた場合、まずは警笛を吹くこと。それが聞こえたものから順次集まり、敵と対峙せよ」
「はい」
そろった返事があがる。その合間にも客引きの声は途絶えない。咳払いしてクロエがさらに続けようとしたとき、不意にぐっと腕を後ろにひかれて振り向く。
「お兄さん、うち、いい子いるよ? どうよ」
果敢にもクロエにまで声をかけてきた。
「こら!」
血気の多い部下のひとりが佩刀に手をかけるから、首を横に振る。
そのすきにふわりと客引きとクロエの間に割って入った者がいた。
「いま職務中ですので。すみません」
「あ……お、すんません」
アイザックの言葉は高圧的でも好戦的でもなかったが、あっさりと客引きが立ち去る。
その理由はアイザックの顔だろう。
左半分を包帯で覆っているのだ。
えんじ色の朱紅隊隊服を着、深く制帽をかぶっている。そこから見えるのは右目だけ。真っ白な包帯がこれほど威圧的になるとはクロエも知らなかった。
「最終集合場所は歓楽街中央の噴水広場。時間は神殿の夜10時の鐘とする」
「承知」
口々に部下が返事をする。
そして彼らも意識してアイザックを見ないようにしていた。
『警備係のものは知っていると思うが、私の小間使いをしてくれているアイクだ』
仕事が始まる冒頭にそう紹介し、本人も礼儀正しく頭を下げた。
『アイクと申します。砲兵隊におりましたが、顔を負傷し、一度離隊しました。いまはクロエ隊長にお声がけいただき、小間使いとして働かせていただいております』
そうして顔を上げると、半分包帯で覆われている。
隊員たちはそれぞれ敬礼をして「よろしく」とは言っていたが、その包帯の下の傷を勝手に想像してなんとなく視線がさまよう。
アイザックは線が細く、どちらかといえば華奢な部類なのだが、それも『病み上がり』感満載で非常に扱いづらい雰囲気が漂っていた。
端的に言うと。
誰もが容姿をしっかり見ようとしないのだ。
それが失礼であると思って。
「班分はできておるな?」
小隊長に尋ねる。今日はたしか20人前後であるはずだ。
「もちろんです。いつでも活動できます」
「うむ。では状況開始」
隊員たちはいっせいに敬礼をし、それぞれが歓楽街へと散っていった。
「ではぼくたちも移動しましょうか」
その背中を見送っていたら、アイザックに声をかけられた。
「うむ。しかしあれだな。見事に紛れたな」
アイザックの軍服姿を一瞥し、クロエは肩をすくめた。
「ほぼ包帯だけだからひやひやするが」
「まじめで常識あるひとほど、ぼくから顔を背けるでしょうから」
そんなものなのだろうな、とクロエは頷く。
「さて、どうする。警笛がなるまで歩いて回るか?」
クロエはベルトがしっかりとしめられていることを確認し、佩刀の位置をただしながら尋ねた。
「前回はどうでした?」
アイザックが尋ねる。
三日前の警備は副隊長があたり、『なにもなかった』と報告があり、ほっとしたところだ。
「特に何もなかったらしい。酔客のケンカぐらいだった、と」
「いままでの被害者にかたよりはあるのですか? 地理的に、とか。性別とか職業とか……」
「職業だけだな。娼婦か男娼か」
「それも不思議ではありますね」
アイザックが腕を組み、顎をつまむようにして思案する。
「ほぼ手あたり次第のはずなのですが……。なかには模倣犯もいるとは思いますよ?」
「模倣犯?」
「幽騎士の騒動にのっかって私怨を晴らした、とか」
「そんなものは警備隊の範疇であり、我々とは関係ない」
ばっさりとクロエは切って捨てる。
「本目的はただひとつ。幽騎士の退治。これのみだ。模倣犯の関与については警備隊に伝えておくとして」
「あ」
アイザックがクロエの話を断つように小さく声を上げた。
なんだと目をまたたかせるクロエの前で、アイザックは顎を上げて空の匂いをかぐようなしぐさをした。
そのあと、右目だけの青い目をクロエに向ける。
「こっちです」
「ん? なにが」
だがアイザックは返事もせずにいきなり駆けだした。
クロエは慌ててその背を追う。
(あ? なんだあいつ。丸腰か?)
走ると帯剣が揺れるため、多少抑えるようにして駆けるのだが。
前を行くアイザックの腰ベルトには武器がなにもないことに気づいた。
(しまった、着装をちゃんと確認すべきだった)
神官だから武器の携帯を嫌がったのだろうか。なんにせよ、危険が近づいたらクロエが守るしかない。
アイザックは酔客や呼び込もうとする娼婦の手をスルスルと避けながら、路地へ路地へと入っていく。
クロエはその背を追うだけで結構必死だ。
「ここ、ですね」
アイザックがようやく足を止めたのは、倉庫群のようだ。
歓楽街全体で使用する倉庫なのだろうか。
瓦の乗せられていない簡易な屋根の、長方形の平屋がずらりと並ぶ。
なんとなく安宿街のようにも見えた。
灯りは最低限のもので、倉庫群に数基、外灯がともされているぐらいだ。
だが幸い今日は満月。
視界はクリアだった。
「この倉庫のなかのどこかにいるのか?」
「気配はあります」
クロエが額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐった時。
甲高い叫び声が上がった。
アイザックと同時に顔を向ける。
一番西の倉庫だ。
最もうす暗いところから男が飛び出してきた。
そのあとを娼婦らしい女が続く。ふたりとも乱れた服装をしていたところを見ると、ことに及んでいる最中だったのだろうか。
「おい、どうした」
脇を通り過ぎて逃げる男にクロエが声をかける。
「ばけもんだ!」
男はそれだけ吐き捨てて走り去る。
「ばけもの?」
幽騎士だろうか。
クロエがこちらに駆けてくる女に視線を移動させる。
女がスカート裾を踏んで転倒した。
その音にかぶせるように。
蹄鉄が石畳を蹴る音が響いた。
硬質な、それでいて重量感のある音が響いたと思うと、西側の暗がりからいきなり騎馬が現れた。
クロエは息を呑む。
馬のたてがみは炎のように揺らめき、甲冑姿の騎士の頭は髑髏だ。
それが転倒したまま地面に這いつくばる女に向かって迫る。




