現代への帰還
結局燃え残りや瓦礫の撤去には、私たち全員だけでなくゴライアスやジンまで総動員したにもかかわらず、丸1日費やす事となった。
途中「用がある」と言って場を離れた先生は、辺りが薄暗くなる頃になるまで帰って来る事は無く。
来たら来たで、何故か妙に疲れた顔をしていたわね。
ぐるりと周囲を見渡し、作業が終わったと判断した先生は、これですべての“役目”を終えたと判断して全員に対し帰還する旨を告げる。
反対したのは約1名。
「やだあっ!おねーちゃんたち帰っちゃうの、やだあっ!」
……この時代の“私”、だった。
「ここまでしていただいたんですもの、それだけでも、ね?」
「だってぇ~」
「レディ、あまり無理を言うもんじゃない」
「うう~」
もう2度と会えなくなると、どこかで感づいたのかもしれない。
直感だけは、昔から鋭かったから。……それこそ、パパに褒められるくらいに。
みんながいなくなるのを寂しがった私が、私の服の裾を強くつかんだまま離さない。
そんな光景を見かねたのか同情したのか、セイラが「せめて、明日の朝帰るのはダメなんですか?わたしも、ちっちゃなレディちゃんともうちょっとお話したいです」と言い出せば、同調なのか正義感から来るものかは分からないけどアルフレア殿下が「彼女の言うとおりです!このまま一家を置いて帰る訳にはいきません!」と(謎の)後押しをし始め。
そうなれば後の面々も、追従するのが目に見えて分かって……。
ルーエが「一緒に……お泊り、する?」と勝手に聞けば、小さな私は分かりやすく目をきらっきらさせて「うん!」と大きな声で返事をするものだから、大人たちもそれ以上は言えなくなってしまったみたい。
「あ~……じゃあその、任せた」
投げたわね、お父さん。
「これはどうしますか?」
ヴィクトールが、ふんじばって時間を停止させたままの犯人たちを親指で行儀悪く指す。
あら珍しい。
……本性隠さなくなってきているっぽいお父さんの影響かしらー……やだわー(棒)
「お前らの棟で預かっとけ。出来るな?」
「あっ、はい!」
「だってよ!頼んだぜ、ゴライアスっ!」
『了解!』
「当然逃がしはしないっ!」
「仕方ないね」
……こっちは問題なさそうねえ。
妙な安心感があるわ。
何故か脱力しそうにもなるけれど。
「ちゃんとお泊り出来る?お姉ちゃんたちに無理言わないのよ?」
「だいじょーぶ!おねーちゃんたちといっしょだもん!えへへー」
ママは心配そうだけど、小さな私は気にも留めない。
『お姉ちゃんたち』と一緒にいられるのが、それほど嬉しいんだろうか。
少なくとも、あれだけとんでもない魔法を連続で見せられて怖がっている……という風には見えないけれど。
「……もし何かあったら、いつでも呼んでくれ。多分起きてるだろうからな」
「……はい」
言いたいことが山ほどあるはずなのに、何を言ったらいいのか分からない。
他に何か言いたそうなパパの頼みにも、喉の奥が詰まった様な返事しかできなかった。
「パパもね、たまにおっきな黒いおおかみさんになるの!おねーちゃんといっしょだと、家族みたいかも?見てみたいなあ。ねえっ、もう一回おおかみさんになって!ね、えっ!」
「……それ、いい」
「わたしも!さわってみたい!」
「いやー……拒否する理由も無いからいいけど……何だか不穏な空気が漂っているような?」
「気のせい!」
「うん、気のせい」
「そう!気のせいだから安心して触らせてね!」
「……良いけど、もみくちゃにしないでよ?」
「それは……ねえ」
「状況、しだい?」
「自重しません?小さな子の前だし」
女子棟でも、小さな私は大はしゃぎだった。
騒がしいのは私だけでは無かったけれど。
「きゃー!ははははは!」
「………」
セイラやルーエと飽きもせずずっとおしゃべりしているかと思えば、そばにいたジンの首元に楽しそうに突撃したりして。
えっとジン、何か色々、ごめん。
話の内容は、私の狼化した姿についてやラビの召喚したゴーレムについてがほとんどね。
白くてきれいでかっこいいとか、おっきくてキラキラしててかっこいいとか、そんな話をずっとしていて。
そうして、ぽろっとこぼれた1つの疑問。
「ねえ、おねーちゃんたちみたいに、わたしもマホウ使えるかなー?」
「使えますでしょう。そういう“風”に“世界”は出来ているのですから」
少し考え込むように、クルエラが答えた。
……多分この時代は、強い忌避感が世界から魔法を遠ざけているのだと思う。
だから、きっかけさえ掴んでしまえば彼女にも魔法は使えるはずだ。
魔法そのものが消えて無くなった訳ではないのだから。
それになにしろ、時代が違うとはいえ成功例が今まさに目の前にいるんだしね。
魔法を使うにはどうしたらいいのか、その話から最終的に学園の話にまでいきついた。
「ガッコウ?」
「そう、学園、ね」
「おべんきょ、するの?」
「ええ。魔法の事ももちろんですけど、どういう風に大人になったらいいのか、望んだ大人になるにはどうしたらいいのか、そういった事も教えて下さる所よ」
「ふうん?」
「まだ小さいお子様には難しかったかしら?」
「んー、うん。よくわかんない……マホウだけじゃないのー?」
「もちろん、1番は魔法の事だけどね!他にも社会とか、数学とか……。わたしも分からない事まだまだいっぱいあるけどね。それでね、学園ってお城みたいな場所なんだよ。最初に見た時、ここ本当に学校なのかなって、勝手に入っちゃっていいのかなってドキドキしたもの!」
「えー!?お城なのー!?すごーい!」
学園の外観の話、受けた授業の話、友人の話、家族の話。
話題は尽きなかった。
……炎で家を焼かれた割に怖がってないのは、その後に私たちが与えた衝撃が大きすぎるせい?
複雑な気分にもなりそうだけど、きっとそれ自体は良い事なのよね。
もっとも、どうやら妙な気を回したらしいクルエラが、魔法で嫌な事を思い出さないよう心に働きかけているというのもあるみたいだったけど。
……その気遣い、私にも欲しかったわ。
ともかく、それを置いたとしても、今まで魔法というものをまともに見た事が無かったせいで逆に興味を持った……というのはあると思うわ。
逆に、というのも少し違うわね。未知なるものに対する、純然たる興味なんでしょう。
……私だって、そうだったもの。
覚えのある感情、覚えのある記憶。
私がかつてお父さんに拾われてから塔の中で見た事知った事を、きっと彼女はこれから知らずに過ごす。
今頃、大人たちはその話をしているはずだわ。
だからこそ、私たちは同じ人間だけれども同じ生き方をする事は無いのだと、今さらながらに気付いてしまった。
……辿る未来が重なり合う事は、決して無いんだわ。
しゃべり疲れたのか、いつの間にか膝で眠ってしまった小さな『レディ』の頭を撫でながら、そんな風に思った。
手のひらから砂がこぼれるように、時間はさらさらと容赦なく過ぎて行く。
クルエラの魔法のおかげか、夜泣きもせずぐっすりジンにしがみつきながら眠った私は今、私と正面から向き合っていた。
一夜明けた朝――――――いよいよ別れの時が来たのだ。
帰還の準備はすでに整っていて、私たちは“時の魔法陣”の上にいる。
当然と言っていいのか、縮小化されたラビの新ゴーレムであるレッドヘッドアームとブラックシザーアームも一緒だ。
犯人一味……最早一族とはいえないそれは、縛って放置する事が決まった。
放置って言っても、すぐ見つかる様にはしておくんだけどね。
今は……これから大規模な時間移動魔法を使う都合もあって、外部から侵入できない様に結界が張ってあるけれど、私たちがこの場を去った後、近くの町から人を誘導するような魔法に切り替わるようにしてあるから遠からず見つかるとは思う。
ちゃんと『頼りになる人』って選別も魔法の中に含まれているから、恐らくは近隣に駐在する騎士あたりが派遣されてくるんじゃないかしら。
もしくは昨日、例の女の子を連れてった男の人たちとか。
先生はパパやママと「巻き込んでしまって」とか「こちらこそすっかりお世話に」なんて保護者との会話っぽい挨拶を交わしている。
他の皆もそれぞれ挨拶を終え、小さな私にもちゃんと言葉をかけてくれていた。
あのクルエラでさえ「怪我や病気に気をつけて、ご両親の仰る事を良くお聞きなさい」なんて言って。
でもすぐその後「(結局この子はリグレッドさんで間違いないのよね?少なくとも、セイラに人狼の血は流れていない事だけは確かだもの。でも、だとしたら子供の頃のセイラは何処に?やはりシナリオが……)」とか聞こえないようにぶつぶつ言い始めるのが彼女らしいけど。
若干冷ややかな目で見てしまったかもしれないわ。
「では、後は」
「ええ……頂いたこの紹介状、無駄にはしません。必ずたどり着いて見せましょう」
「少なくとも『森』までなら遠くはありませんから。そこから先は『彼ら』に頼るのが良いでしょう」
『森』?『彼ら?』
気になる単語が出てきて首を傾げる。
「先生、それは?」
「紹介状、ですか?」
殿下方も気になったのだろう、問いかけると、とんでもない返事が返って来た。
「ああ。こいつは『訪問者』と呼ばれる者に宛てた手紙だ。彼らは異界から来た者たちだが、私たちが知る異種族の先祖でもあるからな。同族と認めれば保護してもらえるだろう」
「「「「「訪問者!?」」」」」
あまりに驚きすぎると声が出ないって、この事?
「あの、先生は『救世界の英雄たち』と面識が……?」
「無いな」
そんなあっさり。
「それで、どうやって……」
「それこそ時間移動で、だよ。まあ他にもちょっとした“裏技”があってな」
「あ……」
じゃあ、先生がいなくなったっていうのは……つまり昨日の内に下準備は済ませておいたという事ね。
裏技……あの『神様』絡みかしら。
だとしたら……ううん、それにしたって本当にご苦労さまだわ。
「まったく……何から何まで」
「いえ……今回は……なんだかんだ言って彼らのおかげでもありますから」
「……」
「……」
そこで、多分恐らく初めて……目が合った。
心配そうなママの目、不安なのかどこか揺れて……だけどまっすぐ見つめて笑ってくれたパパの目。
もしかしてお父さん、何か言ったの―――?
「貴方の様な方に指導してもらえるのなら、親はきっと安心でしょうね」
「いえ、買いかぶりですよ」
「でも……とても“強い子たち”ばかり。先生は、ご自慢に思っていいと思いますよ。ふふ、禁忌であるはずの魔法の数々を苦も無く実践して見せた時にはびっくりしてしまいましたが」
「……いやはや、お恥ずかしい」
えっとね、ママ。
私もそれ指摘されるの、ちょっと恥ずかしい。
頼むから気にしないで、本当に。
「それでは、名残は尽きませんがそろそろ……」
「ああ、引き止めてしまって申し訳ない。ほら、レディ。ちゃんと『サヨナラ』するんだぞ」
パパは私の肩を叩く。
それを見つめる私たちの足元では、お父さんの描いた魔法陣が輝き点滅を繰り返していて。
―――早く、何か言わなくちゃ。
そんな焦りと裏腹に、私の口は動かない。
どうして、こんな時に。
言いたい事、言いたい事って何?私もサヨナラって、言えばいいの?ねえパパ。
どういう顔をしていたのか、自分でも分からない。
けれど、小さな私はそんな私をじっと見つめて。
「ねえ、おねーちゃん。わたし、おねーちゃんみたいになれるかな」
きらきらと輝く目をせいいっぱいまんまるにして、真剣に聞いてきた。
「私、みたいに?」
唐突なその質問に、思考が追い付かず問い返す。
彼女はそれに「うん」と真面目な表情でうなづいた。
両手を自分の方に向けながら胸のあたりで握りしめ、彼女は繰り返す。
「ガッコウに行ったら、マホウ教えてもらえるって言ったでしょ?だからね、わたしもガッコウ行ったら、おねーちゃんみたいにつよくなれるかな?パパとママ、まもれる?ジンとももっと、いっしょにいられる?」
……その時の心の震えを、一体何と言ったらいいだろうか。
この子は最初から、“誰かの為に”魔法を覚えたいと言っているのだ。
ただ不思議で、好奇心から「私も魔法使いたい!」と思った私と違って。
私とは違う私に、私は笑みを浮かべた。
「……なれるよ。きっと、強くなれる。私も、強くなれたよ」
「マホウのガッコウ行って、たくさんおべんきょしたら、おねーちゃんみたいになれるよね!」
「そうだね、きっと」
この時代に魔法学園は無い。
けれどいつか……ううん、今の時代に訪問者がいるというのなら、きっとそう遠くない内に彼女の願いは叶うだろう。
私には、それを祈る事しか出来ないけれど。
「じゃあっ、わたし、おねーちゃんみたいなマホウ使い、なる!」
「……そっか。楽しみだね」
「なって、おねーちゃんたちといっしょにまた遊ぶの!」
「………うん、じゃあ……もし、もしも強くなれたら、その“時”まで、パパとママを守ってね。お願いよ」
くすん、と後ろで誰かが鼻をすする音が聞こえた気がした。
足元の点滅が大きくなる。
時間が来たみたいだ。
「……――――――」
視線を上げ、まっすぐ前方へ戻す。
祈るように両手を組んでこちらを見守るママ。
その肩を抱いて微笑むパパ。
「――――――」
何か、言わなくちゃ。
心配しないで?
大丈夫?
それとも、“今でも”愛している―――とでも、言えばいいの?
どれも合っていて、どれも間違っている気もして。
「お見送り、ありがとうございました」
「さよなら!」
「さよーなら!」
皆が最後の別れを惜しむ中、私だけが何も言えないまま。
焦りだけが募っていく。
違う、違う、本当に言いたいのはそんなんじゃないの。
消える、消える、景色が、世界が――――――ああ。
金糸が閃く。
「リグレッド……っ」
最後に叫んだのは、一体誰。
ふ、と。
光が消えれば、そこは見慣れた研究室で。
「お、おおおおおおっ!?」
「戻って来たあ!」
「……本当に、ここは現代か?」
「扉が壊れている、という事は……あの時とさほど時間が経っていないという事、ですわよね?」
「確認してきましょう」
「あっ、私も行きます!」
「待ちたまえ、何があるか分からない内に動くのは危険だ」
逸る生徒たちを、先生が冷静に止めた。
「影で、探る?」
「……いや、その必要はない。跳んだ時とさほど変わらないはずだ。ただ……そうだな、君たちがあまりこの場に留まり続けるのも問題だ。速やかに塔から降りてもらおう」
「ええっ!?」
「禁呪行使の責は私が負う。君たちは学園に戻りなさい」
「責任って……」
「何だかよくわかんねーけど大丈夫なのかよ」
「ああ。大丈夫だ」
押されるように出される生徒たち。
ただその中でヴィクトールだけが振り返り、戸惑う様な声を上げた。
「リグレッドは」
「私が送って行こう。さあ、もういいから」
「しかし」
何故かごねているらしいヴィクトールと、抑えているらしい先生の声が遠ざかる。
そんな彼らの様子に気付きながら、私は―――ただひたすら見つめていた。
魔法陣が消えて真っ暗になった部屋の“向こう”を。
「…………リグレッド」
びくりと、肩が震える。
触れた手は『お父さん』のもので。
……パパのじゃ、なくて。
ずっとこらえていた、涙があふれた。
「やだ」
「……」
「やだよぉ」
漏れた嗚咽、震える声。
やっと出た言葉は、全てがもう遅過ぎて。
気付いていたはずだった。
お父さんに言われていた事、覚悟だってしてた。
そのはずで。
でも、やっぱり――――――
「行かないで」
「……」
「置いて行かないで!パパ、ママ!!」
お父さんは、『両親は戻らない』と言った。
世界の辿る歴史が変わった今、いくら時を遡りやり直しを繰り返したとしても、もう私は生まれない。
亡くなる不幸を共にあり続ける幸福に変えたのなら、消えゆく未来は2度と繰り返される事が無く。
また、その意味も無いのだろう。
だから白い髪のリグレッドは、過去も未来もこの世界にただ1人きり。
白光に消える両親と幼い私の姿は、私にしてみれば置いて行くのじゃなくて置いて行かれるのにも等しくて。
幸せな家族の光景。その中から、私だけはじき出された様な疎外感。
こんなの、私の被害妄想だって分かってる。
分かってる、けど。でも耐えきれなくて。
ついにわあわあと泣きだした私を、お父さんは抱きしめ背を撫でた。
「……よく、頑張ったな」
ただそれだけを、口にして。




