黎明は止まぬ雨の中
「ええーっ!そんなの!」
「ずるい」
各方面からブーイングが起こるけど、それすら想定内だったようで、クルエラは余裕ぶった微笑みを見せた。
「でも後期が始まれば、もうわたくしも成人まで間がありませんから。婚約話の1つや2つ、あってもおかしくはありませんわね」
おお、さすがは大公爵家。
なんて、感心したのは私とルーエだけだったみたい。
「ええーっ!?恋人でもない見ず知らずの人といきなり結婚なんて、そんな!」
案の定、と言ったらいいのかしら。
セイラはこういうの、ダメみたいね。
私は……どちらの意見も理解は出来る。
……感情論で言わせてもらうなら、そりゃ断然セイラ派だけど。
貴族社会にコネがあるだけに『決められた結婚』の必要性理解も出来るけれど、どちらかといえば私も一般市民枠に分類される方だものね。
だからセイラが、例え当事者で無いにしろ、いきなり婚約だの結婚だの言われて戸惑ってしまうのも無理無いとは思うわ。
この子の場合、お見合いだと言われただけでも反発しそうだけど。
友人の将来を心配して不安そうにしている彼女に、クルエラは優しく微笑んだ。
「ご安心なさって、貴女。おそらくお相手となる殿方は、王子殿下方やヴィクトール、それにラビあたりでしょう」
そんなセリフに、え、と声が上がる。
「でも、ラビ君、レディちゃんと仲、良かったよね?」
そこ、振って来るのね……。
「仲が良いって言っても、同じ学科に所属する女子の中では……ってだけよ?」
「あら、本当にそれだけですの?」
クスリと笑うクルエラ。
いやホント、それだけなんだってば。
うーん、クルエラの話の時もそうだけど、こういう場合は適当でもなんでも名前上げないと収まらないものだったりするのよね。
これが彼女らに限った話では無く、同じ召喚学科に所属する友人たちでさえそうなんだもの。
女子の恋愛に対する前のめりと言えるほどの姿勢って、本当に凄いと思うわ。
「まあ、外見が良いのは認めるわね。あれで女子にはモテるみたいだし。召喚学科内でつるんでる男友達も、軒並み基本仕様が高いって評判よ」
「ええっ!?そうなの!?」
「……黙ってれば、美形?」
ルーエ真実。
まさにその通りなのよねえ。
「そういう事みたいよ?非常に残念な事に口を開けばゴーレムの話しか出てこないから、その手の話題について行ける人間じゃないとダメみたいで」
頑張ってる女の子もたまに見かけるけど、これが中々手ごわいらしく。
「一緒に遊ぼうって誘っても、まずゴーレム開発研究会の活動が忙しいからって、すげなくお断りされちゃうみたいね」
優先順位はあくまでそちらが先。
それで女子の心が、ポキッと逝っちゃうらしいのよねえ。
話聞くたび『ご愁傷さま、健闘は称えられるべき』って思うのだけど。
「だから私も、彼についてはあくまで友人とまでしか見れてないわね。相当ドキッとする様な事があれば、別だとは思うけど……何せ本人がまだ『そっち方面』の情緒発達して無さそうだし、今こっちがその気になっても意味無い気もするのよ」
「どうしよう、否定できない」
「情緒」
「要するに、まだまだお子様って事よ。けどまあ、いいんじゃない?殿方にとっては、ある意味褒め言葉なんでしょう?『子供の心を持ってる』って」
「そうなの、かな?」
「違う、気がする」
「誤魔化していません?それ」
誤魔化すというと、ちょっと語弊があるような気もするけど。
でもだからって、どうしようもないと思うのよ。
こればっかりは、自ら気付いてもらわないと。
ゲームと違って、女の子に目覚める契機がどっかすっとんでいってしまったみたいなのは……良かったのか悪かったのか。
思わず中空を見つめて溜息を吐いてしまったわ。
そんな評価を下された―――下されてしまったラビの「よっしゃ、でけたーーー!!!」という興奮した様な声が―――防音の壁を突破して女子棟にまで響いたのは、情報のすり合わせからぐだぐだしたくだらない雑談になってしまったおしゃべりを止め、そろそろ食事の準備をしなきゃかなと重い腰を上げかけた時だった。
何やらかしたのかしら。
不安に思う私たちは、誰からと無く顔を見合わせるのだった。
その後、騒がしく興奮している―――その割に何故か口を割ろうとしないラビと、逆にどこかぐったりとしている男性陣と共に夕食を済ませ、身支度を済ませばもう就寝の時間となった。
暇をつぶす物もろくに無く、パパたちにも特に異常が無いらしいとなれば、もう後は眠るくらいしかない。
さあさあと雨降る音の聞こえる中、セイラの魔法が消えれば暗闇が落ちてくる。
目を閉じて、どこかもやもやした気持ちを整理してみれば―――会えない事に、不安が募る一方で安心している自分を自覚する。
やはり、どういう顔をしていいのか分からない。
相手は本当の、パパとママなのに。私自身、なのに。
流れるままに思考を重ねれば、夕食時に先生が言った言葉を思い出した。
「歴史には『動かしてはならない時点』があり、それは川の本流とも似ているものだ」
そこから始まる話を、私たちは講義を受講する時のように黙って聞いていたように思う。
確かに興味深い話ではあったから。
先生によれば今回の出来事は、いくつか分岐をした後で正史が入れ替わりつつある、歴史の中でも特に不安定な箇所なのだそう。
それゆえ大筋に手を入れるにも細心の注意が必要で、なおかつ『しがらみ』によって変更できない点もある、との事だった。
―――その『しがらみ』とやらが何であるのかは、絶対に言わなかったけれど。
なので、現時点で取れる策は『相手を泳がせる事』くらいしかないのだと先生は言った。
この状況の中、敵意を持つ連中が本当に動くのか、私には分からない―――分かりたくない。
怖い。
私は、何に脅えているのだろうか。
家族の敵か、それとも―――この時間が終わる事が怖いのだろうか。
「……」
心の中、何かが囁いたような気がして目を開ける。
闇の中、それでも分かった―――分かってしまった。
こちらを見つめている瞳が『彼女』のものだって。
「わたくし……貴女の事、転生者だと思っていたわ」
上体を起こして見れば、ジンを挟んで反対側に寝ていたはずのクルエラに確信を突かれ、どう答えていいか分からずに黙り込む。
彼女は起きて、窓際に静かに立っていた。
どこか―――怖い?彼女が、これから何をするのか、何をしようとしているのかが分からないから?
私の中の戸惑いに気付いた様子も無く、彼女は言葉を紡ぐ。
「もしかしたら、違うのね?ねえ、答えて。この時代で出会った人たちは、貴女の家族なの?」
ぞわり。
心の内側を撫でる感触。
ああそうだ、ここは学園では無いのだから、こういう事も出来てしまうんだわ。
可能性を考えていなかったというのは、私の怠慢か。
……嘘は、吐けないでしょうね。
「……ええ」
言葉少なに肯定すると、彼女は考え込むように「やはり」と呟いた。
「やはり、間違ってる。こんなの、おかしいわ。なら、主人公はセイラでは無くてこの方?いえ、だとしたらそもそもの前提条件が違ってきてしまう。主人公は魔法学科で合っていたはずだもの」
今度は撫でられるあの微妙にぞわぞわする感覚が無かったから、こっそりほっとした。
ジンは伏せた姿勢のまま、耳だけ警戒するようにぴくぴくさせている。
月や星の明かりも無い中で、私と彼のつながりがそれを教えてくれていた。
呟きこそ小声だけど気にしているそぶりが無いあたり、セイラやルーエにも魔法をかけているのかしら。
じわじわと彼女から染み出す様な魔力の流れで、いまいち良く分からない。
「でも昼間本人に確認したのだから、あの子の『両親が亡くなったいきさつ』は『事件』では無く『事故』で間違いはない……過去は過去でもここまで遡った昔の話でもない」
昼間、雑談にまぎれるように、わたしだけでなくルーエやセイラの過去も聞き出していたのは確認のためだったのね。
もっともルーエはあまり話したがらず、当たり障りのない話にとどめていたみたいだったけど。
……彼女が確認したかったのって、そこもあるんでんでしょうね。
確証が得られたとは思えないけど。
私の方は昨日の内に塔の話をしていたせいか、さほど深く掘り下げて聞かれる事が無かったのが救いだわ。
むしろ、さも周囲の町で過ごす事の方が多いように見える様話したのが功を奏したのかも。
「………関係、無いわよね」
やがて長い長考の末、彼女が出した結論は。
「現時点での異常は、リグレッドなる異分子が、主人公の過去を乗っ取った事だけ。まだ、その立場まで奪われた訳じゃないわ。……だったら、やりようはある。まだ、どうにでもなるわ。彼女さえ、動かなければ」
ぞくり。
あ、これ、完全にダメなやつ―――!
心を支配する、従属の―――!?
「ヴヴ……」
ジンが警戒音を発したけれど、どうやら開き直ったらしい彼女は微笑ましそうに眠りの魔法を紡ぐだけ。
「あらあら。ダメよ、貴方も寝ていなさいな」
いけない!まさかこんな時に、彼女が仕掛けてくるとは思わなかった。
っていうか、諦めて無かったの!?
ジンの状態異常耐性は並み。
つまり抵抗力はそこそこあるけど、まったく効かない訳じゃないって事。
不慣れな魔法構築を練り上げ、はじき出すよう仕向けるけど……いかんせん土俵上あちらの方が有利なのには変わりなくて。
「冗談でしょ!?この状況で普通そういう事する!?」
相手次第では、これから荒事だって起こる可能性があるのよ!?
「貴女さえ堕ちれば、そこの彼ごと操る事など雑作もありませんもの。……なあんだ、思ったよりも抵抗力に乏しいようですし、やはり最初からこうしていればよかったですわね」
周囲から攻めるのは悪手でしたかしら、なんて悠長に分析して!
くっ、余裕そうねえ!こっちはあいにく余裕なんて無いけど!
男子棟からの救援は望めない。
不審には思うかもしれないけど、見た目が派手な魔法じゃないもの。
ああでもせめて、シャリラン様あたりか先生―――お父さんが気付いてくれたら―――
からめ捕るような魔力の触手、そんな感覚からどうにかして自分を守ろうとし―――
ぴーーー、ぴ、ぴ、ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!!
「「!?」」
「えっ!?」
「きゃあっ!?」
けたたましい音と共に、全てが無かった事になった。
危なかったと安心するけど、それどころじゃない!
―――これは!
叩き起こされたというか、起きてしまったセイラやルーエと同時に叫ぶ。
「「「「警報!!」」」」
ほぼ同時に、どこか遠くからどぉん!という大きな音が聞こえた。
爆発音だと理解するよりも早く、私の足は床を蹴り飛ばす。
蹴破る様に扉から飛び出し、雨の降る中を全力で走りだした。
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人狼、という生物がいる。
人工的に造られた『変化する魔狼』という意味だ。
俺は、いわゆる非合法魔活動組織に拾われた孤児であり、恐らくはこの世でただ1人の『人と魔物の合成生物』だ。……少なくとも、ここ十数年はそうだった。
薄暗くだだっ広いだけの部屋で幾人もの実験体と共に暮らし、そして幾人もの仲間を見送って来た。
研究者たちが言うには、成功例は俺1人だという事だ。
……つまりは、そういう事なのだろう。
残り物が自分1人だという事で、おエライさんと会う機会も増えた。
やせぎすでいけすかない顔をした、同年代の男。
言う事を聞かないと殴られた。
別に痛くも無かったが、その後の実験が酷い事になると知ってからはむやみに抵抗するのを止めた。
俺だって切られれば痛い。例え魔物であったとしても、痛覚はあるのだ。
正直、全てがどうでもよかった。
どんな扱いをされたとしても、気にするヤツなんていなかった。
そういうもんだと慣れ、諦めてしまっていた俺も含めて。
たった1人、俺を見るたび自分が痛そうな顔をする女以外は。
彼女が、研究所の所長で組織の顔役―――あのいけすかない男の妹だと知ったのは、その存在に慣れ、言葉を交わすようになってからだった。
やがて俺は彼女に勉強とやらを習い、この世界の事、国の方針、今いるこの場所が犯罪組織にも似たものだという事を知った。
そばにいるだけで心臓が高鳴り、どこか温かく感じるこの感覚がなんなのか、どこか浮ついた思考と共に。
そしてそれは、彼女も同じらしかった。
いかんせん俺は人であって人では無い。
だから気付いたんだ。
兄と共にいる時の彼女の心音と、俺と共にいる時の彼女の心音。高鳴る鼓動の速さの違いに。
指摘したら、顔を赤く染めて「そういう事は黙っててください」と言う。
可愛いと、愛おしいと思う事も……それが悪い事だという事も、俺はこの時、これっぽっちも自覚してはいなかった。
実験が特に酷く生死をさまよったあの日、俺は『彼女』が新たな実験体として選ばれた事を、あのいけすかない男の口から知らされた。
拘束され、意識がおぼろになるほどにあちこちを切られいじられもう動けないはずの身体は、それでも魔物としての本能に突き動かされるようにして、拘束する全てを引きちぎり彼女をさらう。
やがて理性と体力が戻って来て血まみれのまま頭を下げた俺は、怯える彼女にそれでも許しと愛を乞うた。
彼女から返って来たのは是。
こうして、俺たちは―――
眠っている愛娘を見やる。
『後悔の赤』と名付けた愛娘を。
本当に後悔している訳じゃない。ただ、忘れちゃいけないと思ったんだ。
―――今日は雨だったからな。眠るまで、散々ぐずっていたものだ。
ここ数日に起こった出来事を思い返す。
事前に取り決めたあったとはいえ、ずいぶんと寂しい思いをしたらしい。
常に何かを探すようなしぐさを繰り返し、どこかそわそわして落ち着かなかったもんだ。
―――結果も何も、そのものずばり組織から逃げ出した形になった俺たちは、着の身着のまま日々を転々としながら暮らした。
なにぶん、世間知らずが2人である。
どうにかして手に入れたなけなしの金を無情にも巻き上げられた事もあったし、俺がへまをして留まれず逃げ出す事もあった。
遠くへ遠くへ。
山伝いに逃げ、間もなく嫁にした女の腹に子が宿った事を知り、不安もあったが腰を落ち着けると決めた。
不慣れな大工仕事も、2,3年もあれば慣れる。
危なっかしくおぼつかなかった嫁の家事も、同様に。
……子育ても。
親の愛に恵まれたと言い難い俺たちだったが、どうやら産婆や医者には恵まれたらしい。
生まれた娘は大きな怪我も病気も無く、すくすくと育って行った。
頑丈なのはどうやら親……というか、俺譲りらしいというのが分かったのは、初めて娘が姿を変えた日。
そうだ、娘もまた人工的な魔狼―――ライカンスロープとして生まれてきたのだった。
身を守る事を教え、溺れればいいと思うほどの愛を注ぎ、さてこれから彼女の事を考えれば棲家を変えるべきかと悩んでいた―――そんな折、あいつらは現れた。
銀髪の怪しげな男は、俺がこうなった元凶である魔法を使って見せた。
だが、敵ではないと言い張る。
そして―――娘と同じ名を名乗ったあの娘。
娘と―――やたらおかしな……そう、薬か何かを大量にぶっかけ誤魔化したみたいな中に、ほんの僅かに残った―――娘と同じ臭いのする少女。
あれに、娘がやたら懐いた。
彼らは―――銀髪の男曰く数日でいなくなるということだったが、俺の事も知っていて―――どういう訳か逃げる手助けをすると言いだした。
曰く、彼は『時の守人』であり、この家が燃えるのは歴史の必然、変えられない事象であると。
しかし『住人』がどうなるかは決まっていないという。
さらには、現在中央―――セントラーダ王国のとある森に、俺と同じ存在―――人狼の男がいるのだと。
ツテを辿れば彼らの手助けを得る―――その縁を繋ぐ事が出来るのだと。
マユツバな話だったが、こうして警報装置なる魔法の植物を植えられたことからして、彼らの本気度が分かろうというものだ。
それに、あいつは言わなかった。
娘と同じ匂いのする少女にも、他に取り巻く教え子だという子供たちにも、あの最悪な―――最悪だったと今なら思えるあの組織について、具体的な話を一切しなかった。
……それに、少しだけ好感を持った。
子らに聞かせる話ではないと言ったそれは、俺にも覚えがあった。
きっと彼なりの『守る意思』の現れで『優しさ』なんだろうと思ったから。
家は、最悪無くなったとしてもまた作り直せばいい。
居場所も……また探せばいい。
けれど。
むにゃむにゃと眠りこけている娘の掌に指を滑り込ませる。
くっと握られ、泣きそうな気分になった。
そうだ――――――この手だけは、離せない。
騙されても良いとは思わない。
あいつらにも何か事情があるらしいから、タダで、なんて事にならないのかもしれない。
ただ―――例えばそれが俺を代償にする事だったとしても、少しでも娘や嫁との生活が―――平穏で愛おしい生活が守られるのであれば。
そう、思った時だった。
どぉん!ビリビリ……
家が震えるほどに巨大な音が、間近で起こった。
警戒しつつ、事態の推移を見守る。
雨のせいで気配が分かりづらいが、外に人がいるのは分かった。
やがて。
ぱち、ぱち……
どこか煙くさい臭いがする。
「あなた!」
「来たな」
バタンと勢いよく扉を開き、嫁―――ナタリーが飛び込んで来た。銀の弓矢を持って。
覚悟を決めて、頷き合う。
恐らく追手の連中は、炙られた俺たちが外に飛び出してくるのを待っているのだろう。
だとしたら、放たれたのは魔法の炎。
雨の中、衰える様子の無い炎が家を包もうとしていた。




