モイラの手紙 (1)
翌朝、食事をすませて後片付けをしていると、玄関の扉をせわしなく叩く音がした。
しかも叩きながらベリンダの名前を大声で呼ばわっている。フリッツだ。声を聞いただけですぐわかる。
「ベリンダ!」
「おはようございます、お兄さま」
げんなりした顔で彼女が玄関の扉を開けると、フリッツが鬼気迫る表情で立っていた。いつもなら手土産に食事の入ったかごを手にしているのに、今日は手ぶらだ。ベリンダと目が合った瞬間、ずいっと顔を寄せてくるので、思わずのけぞる。
「ベリンダ、迎えに来た」
「だから、戻りませんってば」
もはや「戻っておいで」でさえない。この強引さはどうしたことか。いつもなら軽い調子で「戻って来ない?」と言うだけで、否と言えばすぐ引くのに。今日は違う。
「素直に自分から王都に帰るのと、僕に強制連行されるのと、どっちがいい?」
何だ、その選択肢は。ベリンダは呆れた。王都には戻らない、という彼女の意思がまるで無視されているではないか。じっとりとした目でフリッツをにらむと、彼は少し我に返ったようだ。しかし焦れていることに変わりはない。
「早く帰らないと、お父さまとお母さまがこっちに出発してしまう」
「え。なんで?」
これにはベリンダも目を見開いた。何だかよくわからないが、フリッツには焦るだけの理由があるらしい。「説明するから、中に入れて」と言うので、仕方なくベリンダはフリッツを家の中に通した。
居間のソファーに腰を下ろすが早いか、フリッツは身を乗り出して話し始めた。
「昨日、お父さま宛てに手紙が届いたんだ」
「そうですか」
「王太后さまから。いや、ベリンダにはモイラって言わないとわからないか」
「はい?」
フリッツからわけのわからない言葉が聞こえてきて、ベリンダは眉根を寄せた。
「それじゃまるで、モイラが王太后さまだと言ってるみたいじゃないの」
「うん。そう言ってる」
さらりと肯定されて、ベリンダは絶句した。モイラが王太后? ありえない。そんな雲の上の人が、こんな片田舎で貧乏暮らしをすることなんてあるだろうか。それも捨て子を育てながら。疑念に満ちた目で彼女がそう指摘すると、フリッツは首を横に振った。
「捨て子なんかじゃない。お前はうちの子だ。正真正銘、僕の妹なんだよ」
「どういうこと?」
ますますわけがわからなくなり、ベリンダの眉間のしわが深くなる。公爵家で娘扱いしてかわいがってもらった覚えは、確かにある。感謝もしている。でも、だからといって「正真正銘、僕の妹」とはならないだろう。ベリンダの困惑ぶりに、フリッツは苦笑した。
「あー、最初から順を追って話そう」
フリッツが説明したのは、次のような話だった。
王太后ゲルトルードは、とても力の強い魔女として知られている。邪神に繰られた人間にテオドールが呪いをかけられたとき、それを緩和させる祝福を与えたのは、実は王太后だ。
そしてリンツブルク公爵家には、ルイーゼという名前の娘がいた。フリッツの四歳下の妹で、幼くしてテオドールの婚約者となったのは、このルイーゼだった。
ルイーゼはたびたび邪神の手のものに狙われたが、ある日ついに警備の隙をついてさらわれてしまう。王太后はルイーゼを取り戻しに行くと言い置いて王宮を出たが、そのまま戻ることはなかった。
捜索の結果、ルイーゼと王太后の遺品とみられるものが発見される。いずれも血まみれで、周囲には二人のものと見られる髪の毛や肉片が落ちており、生存は絶望的と判断された。
ところが昨日になって、王太后からの手紙がリンツブルク公爵宛てに届いた。そこには驚くべき事実が記されていた。ルイーゼと王太后の死は、王太后による偽装だったと言うのだ。
このままでは幼いルイーゼを守り切れないと判断した王太后は、死を偽装した。実際に死にかけるほどのけがもして、命からがら逃げ出したそうだ。そして自分はモイラ、ルイーゼはベリンダと名前を変え、アステリ山脈の麓で二人で暮らすことにした。アステリ山脈には霊峰スペシアがあり、邪神の魔の手が届きにくいためだ。
邪神に繰られた者によりルイーゼがさらわれたことを考えると、王都にはまだまだ邪神の手に堕ちた者がいるだろう。だからルイーゼの安全のために、生存は伏せておくことにした。かわいい盛りの娘を両親から引き離し、しかも生存していることさえ知らせなかったことを、手紙の中でしきりに詫びていたと言う。
この手紙は、テオドールの二十歳の誕生祝いの前に送られるはずのものだった。モイラは、この夜会でベリンダのお披露目をするとともに、親元に帰すつもりでいたのだ。テオドールとフリッツの活躍により邪神の力が削がれた今なら、親元に戻しても大丈夫だろう、という判断だった。ところが、モイラにとっては想定外なことに、ベリンダのお披露目を目前にして風邪をこじらせ、あっさりと世を去ることになる。
おそらく風邪が治ったら出そうと用意してあったのであろう手紙は、そのまま出されることなく引き出しの中にしまわれ続けることになったのだった。
フリッツの話を聞き終わっても、まるでどこか遠い国のおとぎ話を聞いたみたいで、ベリンダには現実感がない。何だか頭の中がふわふわした状態だったが、ふとひとつのことが気になった。
「どうして今頃になって、急に手紙が飛んで行ったのかしら」
「ベリンダが何かしたんじゃない?」
「私は燃やそうとしただけよ。そうしたら鳥になって飛んで行ってしまったの」
前日、遺品の整理をしたことをフリッツに話した。他人の手紙の中身を読むのはどうかと思い、迷った末に燃やそうと思ったのだ、と。フリッツは「ふむ」とうなずいてから彼女に質問した。
「そのとき何か言わなかった?」
「特に何も。──あ、でも、ひとり言なら言ったかも」
「なんて?」
「『せめて思いだけでも伝わればいいのに』って」
「それだ」
きょとんとするベリンダに、フリッツが説明する。彼女には「無機物を使役する」という魔法が使えるのだそうだ。それもモイラからの手紙に書かれていた。その魔法は、遠い昔に女神スペシアの愛し子だった娘が使っていたのと同じものらしい。モイラはこの魔法は幼い子どもが使うには強力すぎて危険だと判断し、ベリンダにはホウキで飛ぶことしか教えなかった。
ベリンダが使役できる無機物は、何でもよいわけではない。使役できるのは「心のこもっている無機物」に限られる。そしてもちろんモイラの手紙には、心がこもっていたに決まっている。だからベリンダの「伝わればいいのに」というつぶやきを命令と受け取って、宛て先に飛んで行ったのだろう、とフリッツは推測した。




