第56話
「どうするんだ、進路希望」
三年生半ばにして未だ進路希望調査用紙を一度も提出していない美緒は、放課後三好の研究室に呼び出された。
二人はソファーに向かい合って座り、話し合う。
「何をしたい、何になりたい。夢は無いのか?」
美緒が溜息を吐き、眉を寄せて額に指を当てた。
「うーん・・・夢?楽にこなせて尚且つ高収入の仕事に就き笑いが止まらないような毎日を送りたい―――――痛いでしゅ」
美緒の頭を三好が片手で鷲掴みにする。
「ちょっとは賢くなったと思ったのは、先生の勘違いか?ちゃんと真面目に考えろ。あと1週間待ってやる」
「え?人生がかかった選択に与えられるのがたった1週間?って、うぉおー!揺れるー!揺れるー!」
三好が美緒の頭を振り回す。
「みんなもっと早くから考えているんだ!」
「うぅ・・・暴力教師。分かったでしゅ。一週間後の返事を乞うご期待」
美緒は涙を拭う振りをしながら立ち上がり、三好の研究室を逃げるように出て蓮の待つ教室へと向かった。
「はぁ・・・」
教室に入るなり溜息を吐いた美緒に、机に座って勉強していた蓮が片眉を上げる。
「どうしたんだい?」
「1週間以内に進路を考えろと言われたでしゅ」
「ふーん」
蓮は立ち上がり、鞄に教科書とノートを片付けた。
「帰ろうか」
「ん」
蓮が差し出した手をギュッと握り、美緒は笑う。
堂々と手を繋いで校内を歩く二人の姿は今や見慣れた光景となっていて、すれ違う生徒達もまったく気にする様子は無い。
昇降口を出て家までの道をゆっくりと歩きながら、美緒は自分より少し高い位置にある蓮の顔をチラリと見て気になっていた事を訊いた。
「蓮君は悠真の大学に行くんだよね。教育学部?」
「・・・・・」
蓮が美緒の顔を見つめる。
「何故悠真大学の教育学部って思うのかな?」
「え?だって・・・」
「違うよ」
美緒は立ち止まり、目を見開いた。
「えぇえ!?蓮君は先生になるんでしょ!」
「だから何で僕が教師になるって勝手に決め付けてるんだい。僕は父の会社を継ぐ予定なんだから」
「・・・・・!」
そういえば以前そんな事を言っていたような気もするが、それより三好が教師候補だと言っていた印象の方が強く、蓮は悠真大学の教育学部に進学すると美緒は勝手に決め付けていた。
「じゃあ何処!?」
「秘密」
「何故!?」
蓮が眉を寄せて美緒の手を引っ張り歩く。
「僕の進路を知ってどうする気だい?」
「それは当然―――――」
「僕は大学に学びに行くのであって、遊びに行くのではない。美緒だってそうだよね?」
美緒が「うっ」と言葉に詰まる。
それはつまり、一緒の大学に行くつもりが無いという意味なのだろうか?
蓮の真意が分からず戸惑う美緒。
「・・・・・」
「・・・・・」
蓮は美緒を引っ張り黙々と歩く。
美緒は何となく気まずい雰囲気に声が出せないでいた。
一緒の大学、一緒の学部ならば、これまで同様の関係だって保てる。
自分に執着している筈の蓮が、ここに来て何故突き放そうとするのか。
「浮気!?」
「・・・誰が?」
「ごめんなさい」
心の底まで凍える冷たい声に、美緒は即座に謝る。
可愛いメス犬と出逢った訳では無さそうだ。
ならばどうして・・・。
美緒がうーうー唸る。
石田さんの家が見えてもうすぐ家に着く所まで来た。
庭先に居たコロが蓮に服従するように伏せる。
蓮が握る手に少しだけ力を込めた。
「結婚しようか」
不意に聞こえた言葉。
「・・・は?」
美緒がポカンと口を開けて蓮の顔を見る。
今、何か凄い事を言われた気がするが・・・?
蓮は真っ直ぐ前を見つめている。
空耳だったのかと美緒が思った時、蓮が振り向いた。
「高校卒業したら結婚しよう。住む家はあるし、二人の生活費は僕が頑張ってバイトでも何でもして稼ぐから」
蓮の表情は決してふざけてなどいない、真剣そのものだ。
「・・・はい!?」
「家事も僕がやるよ。料理も上手くなったからね。美緒は家でのんびりしていればいい」
「え、え?」
「無理して大学に行く必要があるのかな?それより僕の傍にずっと居て欲しい」
「・・・・・!」
これは・・・まさかの!?
「プロポーズ!?」
「うん」
「いや、そんなあっさり!待ちたまえ若人よ!」
蓮が不満げに首を傾げる。
「僕と結婚するのが嫌なのかい?」
ブンブンと首が飛んで行きそうな勢いで美緒は首を横に振る。
「嫌じゃない!」
「じゃあ結婚しよう」
「え!ええと・・・!」
美緒が激しく狼狽える間に、二人は家の前に着いていた。
手が離れる。
「じゃあね」
「え?寄ってかないの?」
「うん。返事はゆっくりでいいから。今言った事、よく考えて」
蓮は軽く手を上げて去って行く。
その後ろ姿を美緒は呆然と見つめた。




