21
最近、彼女が可愛くて仕方ない。
「ジャック、離して」
いつも同じ言葉をかけてくる。彼女の小さな手を握るたび、いつも肩をぷるぷると震わせながらも、俺をはかなげに見てくるのだ。
離してと言いながら、ルナは少しずつ俺に心を開いてくれている。
「君の手は怖くない証明のために握っているんだ」
「それを言ったら、証明にならなくなるわよ」
頬を赤く染めさせて、目は合わせづらいようだ。俺が怪我をしたとき、あれほど懸命に看病をしてくれたというのに。
重症を負った中で、俺は眠るフリをしていた。
『ジャックっ……あなたって人は本当にバカねっ』
涙ぐみながら、美しい目をルナは向けてきた。
『私を守らないで、さっさと魔物を倒せばよかったのよ』
泣くなと言ってやりたかったが、もう起き上がる体力がなかった。正直、話しかける力もなかった中での、意識の回復だから不可抗力だと思ってほしい。
彼女は震えながら、俺の頬に手を伸ばしたことは覚えている。
「いい?あなたはまだ血液が十分体に回ってないの。だから安静にして、治して」
病室を出ていこうとするルナは、そそくさと俺の手をうまく振りほどいた。掴みそこねたと思いながら、ここまで連れてきてくれたルナと繋いだ感触に浸る。
顔の熱を恥じらい、手を握られることに困惑しているルナは特別可愛い。その表情は、誰にも見せたことがないものだろう。患者に優しく微笑む一面以外に、特権ができた。
「っっっ…可愛い」
心で激しく身悶えて、それから言葉に出ていた。もう我慢などできない。
羽を一つ、一番大きいのを引っこ抜いて懐に持っておく。
羽は鳥人なら、個人を特定できるほどの大切なもの。そしてこれは、矢を使う時に重宝される。
包帯が取れた日になると、ヴァロンからは診断がくだされた。
「まあ、そろそろ復帰しても良い頃ですね」
「ルナはどこだ」
「あなたというカラスは……考えるのはルナさんのことばかりですね」
女たらしの兄にはわからないだろうが、ルナは俺のたった一人の伴侶だ。たとえ兄であろうと、彼女を助手にしていいようにこき使っているのを見ていて黙ってはいられない。
「ルナさんに手を出すのは控えたほうがよろしいですよ」
「まさか、俺の敵に」
「私があなたの敵になったら、こてんぱんにされる未来しか見えませんよ。私、運動は苦手ですからね」
「む……本当にルナには」
「鳥人は人間嫌いだというのに。ルナさんは不思議な人だから、私も気に入っているだけですよ。ほら、彼女は公爵令嬢なのに、あろうことか人間の王子に婚約破棄されたあげく、異種族の、それもこんな辺境に飛ばされたんですからね」
「婚約破棄?人間の王子に?」
一体どういうことだろうか。疑問符が頭の中を占めていたのが顔に出たが、ヴァロンは目を見開いた。
「驚いた、あなたも知らされているとばかり」
「待ってくれ。それは彼女から聞いたのか」
俺は全ての過去を知っていると思い上がっていた。ルナから聞かされた心臓病のことは、確かに彼女の苦悩の過去だったに違いない。だかそれを超えてくる、情報に頭はすでにパニックだ。何より、ヴァロンにだけは伝えていたということ。
「ルナさんはおそらく、あなたには教えたくなかったことなのかもしれませんね」
「は?」
「ご令嬢にとっての婚約破棄というのは、傷物になったも同然ということですよ。あなたにだけはそれを、知られたくなかった」
知られたくなかったとはどういうことか。
俺はルナの全てを知りたかったし、ルナは俺に心を開いてくれていると思っていた。なのに、ヴァロンには明けておいて、俺には閉じていること。
許せなかった。
「ルナはどこだ」
「先程、二階の病室に診に行きましたよ」
ズカズカ歩いて、廊下の突き当りから階段を上る。それからルナが廊下を歩く姿を見かけた。
「ルナ」
「ジャック!?急に驚かせないで」
後ろから話しかけたら、彼女はびっくりして胸を抑えた。驚いて飛び上がるその仕草すら、可愛いが。
「どうしたの?」
「少し時間をくれないか」
「ええ。いまちょうど、力を使い終えたところで」
ルナの手を握り、空いている病室に駆け込んだ。それから彼女が逃げないように、壁に追いやる。頭二つ分は小さく、ルナは背に壁をべったりつけて見上げてきた。
ルビー色の瞳は俺を見上げ、不愉快そうに口元を歪めた。
「あなたがしたいのは、私を問い詰めることなの?」
「答えてくれ。ヴァロンに話したな」
慌てて落ち着かない心が口を開かせる。俺の図体は鳥人の中でも特別大きい。
ルナを怖がらせることはしたくないが、こうでもしないと多分、彼女は答えてくれない。一人で全てを抱え込もうとするから。
「何を?」
「とぼけるな」
「ヴァロンと話すことなんて、たくさんありすぎてわからないわよ。私の能力については、彼がよく研究してくれて」
「過去についてだ。婚約破棄、されたということ」
俺が言えば、ルナは目をそらした。きまりが悪そうに、彼女は下をうつむき、何も答えない。
「なぜヴァロンには良くて、俺には話さないんだ」
「あなたには関係ないわ」
俺は君の夫で、守ってやろうとしているのに。
やはり彼女さえも、ヴァロンが良いというのだろうか。
周りもみんなそうだった。
俺はずっと孤独だった。鳥人の男児として生まれると、早いうちから同年代の仲間と飛んだり、弓矢の練習をする。
だが体格もよくて、強すぎた俺は仲間には入れてもらえなくなった。
『手加減してやりなさい、ジャック』
父はそういうばかりで、俺が弓術を身に着けても褒めてはくれなかった。彼らが期待してその眼差しを向けているのは、いつも長男のヴァロンだ。
彼の周りにはいつも人がいる。嫌気が差して、俺は何度か近くのエルフの森に家出したこともある。だがみんな、俺がいなくなっても気づいてはくれなかった。
「もういい……」
酔いが覚めた。俺はルナを困らせたいわけじゃない。だからその場をさろうとしたときだ。
「婚約破棄……あなたが知ったら私…………嫌われると……思ったの」
彼女は眉をひそめて、自分を抱いていた。それは怯えているウサギのよう。
「ジャック、あなたは強いわ。それから隊員があなたをよく慕っていることも、よく聞くのよ。あなたを知る度に、私は……あなたには釣り合わないとどんどん知っていくのが怖いの」
俺はそんなにすごいやつじゃない。弓矢は自信があれど、勇者と称賛されるような、兄さんに褒められたこともないような不出来な弟だ。人を見返りも求めずに治す彼女と比べても、俺は立派なやつではないが。
「あなたは光を見せてくれる。あなたはとても優しくして、温かい人よ。私はあなたを心の底から尊敬しているわ。だからこれ以上、知られたくないのよ自分の醜聞を」
涙を今にも流しそうな彼女を、俺はすぐに抱きしめた。泣かせたかったわけではない。でも最近のルナが、俺に弱いところも見せてくれるのが嬉しかった。眼の前で流れることのほうが、隠れたところで泣かれるよりも慰めれるから。
彼女が俺を突き放すような態度をするのは、きっとその人間野郎が酷いことをしたせいだ。だから人を信じることや、再び嫌われることに、怖がっているのだろう。
「ルナ、俺は簡単に君を嫌いになどならない」
「あなたが私に向けているのは恩情よ。過去を知って、私を哀れに思われるのも、あなたの優しさにも漬け込みたくない」
一人で戦おうとしている。
力を持ってしまったがために利用され続けた聖女の覚悟が、そこにある気がした。
もっと頼ってほしい。
君の過去を知らないことが、俺には多すぎると理解した。
過去を知らなければ、彼女の深みにある心の傷を治せない。俺はすごい能力を持っているわけじゃないから。だから一つずつ、ルナのことを知って、心を癒してやりたい。
ヴァロンは、彼女に温かいミルクと頭を撫でることを与えた。
兄さんにはできないことをしたい。
俺は彼女を、翼を広げて抱きしめる。
「一人で戦わなくていいんだ。鳥人だって、連携して戦うんだぞ。一人で戦うなんて、よほどの馬鹿しかいない」
「魔物に向かって、単身で立ち向かった馬鹿はどこかしら」
彼女が言うのは、俺が彼女をかばったときのことだろう。
あれは仕方なかった。
上空から魔物を追っていたら、視界の端にルナの姿が映って。そしたらすでに、急な滑空を始めていて、俺は彼女を守ろうと、大きい翼を広げていたから。
「俺は君の味方だ。カラスは裏切らない」
カラスの番は、一生に一羽。俺は彼女を、とっくのうちに番と定めたから。
胸に抱いた小さな小鳥を、俺はもう手放せない。




