13
血眼になって冷や汗をかいている少年。彼の翼はまだ飛べるのかと疑問になりそうなほど、大人のものとは違い、小さい。
「僕の妹が……まだ、まだ避難できてないんだっ。東の町で魔物が出たからって逃げてこようとしたら、妹がいないのに気づいてっ……クソっ…」
「とりあえず落ち着いてください」
ヴァロンは水の入ったコップを少年に渡すと、なだめるように背中を撫でた。東の方といえば、魔物が柵を壊して入りかけているという情報。
「どのへんにいるの?目印はある?妹の名前は?」
「赤い屋根。特徴的な家だからわかると思う。名前は、スズ」
「わかったわ。赤い屋根で、スズちゃんね」
「ちょっと待ってください!ルナさん!」
ヴァロンが私の手を掴んだ。兄弟そろって、悪魔と呼ばれる手を彼らはお構いなしに触れてくる。
「危険です。いくらあなたが公爵家に雇われた珍しい能力者でも、私達とは違い飛べもしません。飛べないものに、あんな危ないところは」
「飛べないからって何よ。そこに困ってる人がいるのでしょう?それで私は助けを求められているわ。行かないなんて、薄情者よ。私は自力で行ける足がある。飛べなくても、走っていけばいいじゃないの!」
ヴァロンの手を振りほどくのは、ジャックの時よりもよほど簡単だった。ジャックの手は誰かを守るために強くなった。期待を向けられてなかろうと、彼は兄のためにも町を守る覚悟をして。
ジャックは空を飛び頑張っている。たとえ怪我をしようと、医者に見せないぐらい、痛みを一人で背負おうとしたぐらい、彼は誇り高く強い。
「あれほどの折れ方、今まで見たことなかったわよ」
町で負傷者を見ていても、あれほど酷い傷はなかった。部下を守るために己の翼を犠牲にしたと聞いたから、彼はよほどの大馬鹿者なのだろう。
カラスのくせに、自分の損を視野に入れずに助けてしまう。
病院を飛び出して走りながら、空を見た。ジャックはこの大空にいる。
「スズちゃん!スズちゃん、いないかしら!いるなら返事をして!」
赤い屋根がすぐそばにあった。崩れかけ、瓦は割れて、粉々に砕けている。
下手に怪我をしないよう、瓦や木材の瓦礫を避けながら、彼女の名前を呼んだ。
「……ここ!……ここにいるの!」
「スズちゃん!」
声がする方に駆け寄る。瓦礫の影に身を潜めていた彼女は、傷はなさそうだ。ただ体を震わせて、立てそうにもない。
背中に生える小さな茶色の翼。慎重に背中に手を回して、抱き上げる。
「もう大丈夫よ。私と一緒に、お兄ちゃんのところへ行きましょうね」
何度も何度も頭を撫でたときだ。
「ギョエエエ!!!」
後ろから弦を切ったような、壊れた楽器の音がする。後ろを振り返れば、柵が壊れたそこに、人の二倍はある体高をしたドロドロと薄汚いものがこちらに向いていた。
魔の淀み。紫色の、変な液体を流しながら。鋭い銀の爪を持った化け物が手を振り上げる。
「お姉ちゃん!後ろ!」
彼女が指を指し、驚いて目を見開く。周りは家が崩れたせいで足場はすこぶる悪い。逃げようにも、転げて魔物に追いつかれるだけだ。
腕の中にある少女は震えている。
怯えないで。
私があなたを守るから。
「大丈夫。大丈夫よ」
頭を何度もなでてやりながら、私は微笑みかけた。
痛みがたとえ背中をつんざくことになろうと。
私はこの子を守りたい。
ごく自然と、激痛に耐えるために少女の体を掻き抱ことした、その瞬間だった。
「おにい……ちゃん?」
腕の中で泣きそうになる少女は、別の誰かを呼んだ。
「大丈夫っ…か?」
何が大丈夫なのだろうか。
冷や汗が額を流しながら、彼は私をおおい、包んでしまう。大きな影はジャックのもの。後ろから聞こえる不気味な魔物の叫び声。そのさなかで、彼が私に話しかけた。
赤黒い鮮血が空を飛び上がる。それはまるで雨のように私の頬に数滴落ちた。背中には一切の痛みもない代わりに、目の前で彼の翼はグチャグチャになる。
黒い大きな翼で守り抜く彼は、それでも私と目が合うとふと微笑んだ。
「ルナさん、こっちです!!早く避難を!」
両手を振り上げ、ヴァロンは私に合図をする。
「先に行け」
「でもあなたが」
ジャックは黒い翼から血をしたたらせながらも、私の背中を押した。一歩踏み出し、私は走り出す。足場の悪いところでも、彼が時間をかせいでくれている間に。
なぜ彼は私を守ってくれたのだろうか。私の力を彼はよく理解していて、その力で治してもらえると思っているからそんな行動ができるのだろうか。
否、いくら彼が私の力のことを知っていても背が傷つくことは許せないはずだ。あんなにまた酷い傷を翼に負うのは、誰だって二度とはしたくない経験だろうに。
だったら彼は、なぜ私をその翼で包むような守る形を取ったのか。
「ギョ、ギョ!ギョエエエ!」
変な鳴き声が未だに響く。
瓦礫と砂ぼこり。
鳥人の住む場所は決まって、風が強い。巻き上がった砂の粒子が私の目を傷ませる。
振り返ると、魔物は口を大きく開いていた。深淵に続くような、真っ暗な洞穴。そこの中に光は何も見えない。
「さあルナさん、こちらに」
ヴァロンに私は案内される。深淵に立ちはだかるのは一羽のカラス。
羽がボロボロになりながらも、彼は決して崩れなかった。そんな彼を、私はただ見守ることしかできなかった。




