ローズの選択2
そのため、湖から少し距離を置いて馬車を停めて、そこにアーサと御者を残し、ローズとジェイクとフェリックスのみで歩いて向かうことになる。
ジェイクに続いて、ローズも馬車を降りようとする。しかし、周りに集まってきていた人々や精霊たちからの挨拶に、冷たくも感じるくらいの凛とした面持ちで、軽く手をかかげて応えているジェイクの様子に思わず動きを止めた。
「民を前にすると、ジェイク様は心なしかお顔が厳しくなりますのね」
自分の知っているジェイクとの雰囲気の違いにローズが思わず呟くと、まだ馬車の中にいたフェリックスがこっそりと教えてくれる。
「仕方ないよ。子供の頃から、王子として毅然とした態度でいるように求められてきたし、本人も人間に対して信用してないところもあって、たとえ平民相手だとしても、わずかな隙も見せたくないらしい」
「まあ、そうでしたの。身分が高い者ゆえの苦悩がたくさんおありなのでしょうね。王子様も大変ですわ」
孤高にすら感じるジェイクの後ろ姿からローズは目を離せずにいると、ジェイクがくるりと踵を返し、馬車から降りずにいるローズの元へ戻ってくる。
「人が多くて不安か? 大丈夫、何かあったら俺が守るから。おいでローズ」
ジェイクの言葉と、自分に向けられた彼の優しい微笑みに、ローズの鼓動がわずかに高鳴る。
紳士的に差し出されたジェイクの手に、ローズは迷うことなく自分の手を重ね置き、軽く握りしめた。そして今度は彼の澄んだ瞳から目を離せないまま、ゆっくりと馬車を降りた。
ローズの腰にジェイクが手を添えて、寄り添うように歩き出すと、興味津々の様子の人々から、「あの子にジェイク様が一目惚れして連れ帰ってきたっていう噂は、本当だったみたいだね」といった囁き声が聞こえてくる。
自分も注目されていることにローズが緊張で顔を強ばらせた時、後方から声援が上がった。
「とってもお似合いですよ。頑張ってくださいませ、未来の花嫁様!」
思わず足を止め、ローズは声がした方へと驚き振り返る。嫉妬や羨望の眼差しを向けてくる若い女性も中にはいたが、ほとんどがローズを応援しているかのような温かな眼差しで、ローズはぎこちなく笑みを浮かべて、頭を下げた。
「行こう」とジェイクに軽く腰を押され、ローズは湖に向かって歩き出す。
「どう考えてもポンコツのわたくしでは見劣りしていますのに、こんなに素敵なジェイク様とお似合いだなんて、皆さん気を遣ってくださって、お優しいですわね」
「ジェイクがローズにベタ惚れしているように見えるからじゃないか?」
フェリックスがニヤニヤしながら口を挟むと、ローズが「まあ」と目を丸くする。
「わたくし、近いうちに辞退いたしますのに、それではジェイク様が振られたみたいに思われてしまいますわ。それはいけません。少し離れて、心の距離を醸し出しておくべきですわ」
フェリックスを冷めた目で見つめていたジェイクが、今度はローズを物言いたげに見下ろし、ぽつり呟く。
「いいや、ベタ惚れだと思わせておいた方が面白そうだ」
「でもそうしますと、ジェイク様のメンツが……」
訴えかけるようにジェイクへと視線を上げた瞬間、頭部に温もりを感じて、ローズはキョトンとする。
今のは……ぶつかってしまいましたのねと、状況を理解できていないのはローズだけ。ふたりを観察していた人々は、ジェイクが愛おしそうにローズの頭部に口づけを落としたのをしっかりと目撃していたため、歓声やらどよめきが同時に沸き起こったのだった。
湖は少し古びた柵で取り囲まれていて、やがてローズたちはその柵の切れ目にたどり着く。
「三代前の国王が、許可なき立ち入りの抑止力となるようにと、精霊たちに頼まれて柵を設置したんだけど……そろそろ新たな柵に変える必要がありそうだな」
役目を引き継ぐ者としての責任ある発言をする凛としたジェイクの横顔をローズは少し眩しげに見つめながら、特に誰かが見張っていることもない出入り口から、中へと入っていく。
柵の内側の林の中へと一歩足を踏み入れた瞬間、精錬な空気に包み込まれ、明らかに雰囲気が変わったことにローズは思わず息をのむ。
「神聖な場所とされているだけありますわね。なんだか身が引き締まります」
「俺も、ここに来る度そう感じている」
先導するように歩き出したジェイクとフェリックスに続いて、ローズはそれ以上無駄話をすることなく、厳かな気持ちで小道を進んでいく。
やがて、ローズの目の前に湖が現れる。街中にあるから小さいものかと考えていたが、湖は想像していた以上に大きく、ローズは圧倒される。
湖の真ん中にはこんもりと生い茂っている森の小島があり、ジェイクは短く息をついてから、そこに通じる桟橋を渡り始めた。
ローズもジェイクを追いかける。その途中で、透明度が高く、魚が泳ぐ姿がはっきりと目にすることができる湖面へと視線を落とすと美味しそうに感じてしまい、いけません神聖な場所で不謹慎ですわと、ローズは心の中で自分自身を戒めた。
桟橋を渡りきって森の中へ入ると、葉で陽光が遮られたことで、あたりは一気に薄暗くなる。
暗さに目が慣れず、転びそうになってしまったローズは、すぐさま後ろからジェイクの腕を掴んだ。
恐々とした足取りで先へ進んでいくと、やがて、少し開けた場所にたどり着き、そこにあった一本の大木にローズは目を奪われる。
開けている場所のはずなのにまだ薄暗いのは、その大樹から伸びた太い枝たちがローズの顔くらい大きくい葉をたくさん有していて、光を遮っているためだ。
その大木の手前には、多くの精霊たち、そしてひとりの女性の姿があり、大木に向かって祈りを捧げるような格好となっている。
太い幹の窪みから、杖を持った精霊がふわりと舞い出てきて、窪みのそばの枝へと移動した。
「ジェイク、よく来ましたね。待っていましたよ」
その女性の精霊は年老いてはいるが、目力が強く、身なりも品があり、周囲の精霊たちとはい一線を画している。何より、言葉を喋っていることもあり、上位精霊であることは間違いなく、もしかしたらとローズがその正体に感づいた時、ジェイクが恭しく頭を下げた。
「バレンティナ様、ご無沙汰しております」
ジェイクのひと言で、やはりバレンティナ様なのですねとローズが目を輝かせたとき、肩までの栗色の髪を大きく揺らしながら、祈りを捧げていた人間の女子が勢いよく振り返り、ジェイクに対して笑顔を弾けさせた。
「ジェイク様! 会いたかったです!」
パタパタと駆け寄ってきては、思いの丈をぶつけるかのように、ジェイクに抱きつく。
「国に戻られたら夕食をご一緒にとお約束していましたのに、お顔すら見せていただけないなんて、ひどいです!」
「す、すまないオトゥール嬢。仕事が立て込んでいて」
「それでしたら、今夜のご予定は? 私、つい先ほど、バレンティナ様から、ジェイク様の花嫁候補となる許可をやっといただくことができましたの。今日もまたジェイク様との記念日となりましたし」
ジェイクは「……え」と冷めた顔つきになりつつも、女性の勢いに押されて、二歩ほど後退する。女性はジェイクの表情に気付かぬままに、逃さないという風にジェイクにぴったり抱きついたまま離れない。
ふたりの密着度に、ローズの心の中でわずかな苛立ちが芽生えた。軽く拳を握りしめてしまっている自分に気づくと同時にローズは我にかえり、体の奥底でゆらめくこの不愉快さはなんなのでしょうと、不思議に思い首を傾げる。
「相変わらずだな」とジェイクから冷めたぼやきが発せられたことで、女性はようやくジェイクから体を離し、自分を見つめているローズへと視線を向ける。




