182.邪竜、息子の帰りを信じて待つ【前編】
リュージがこの星を救ってから、半年が経過しようとしていた。
「ハァイ、カルマ」
カミィーナにある、カルマたちの家に、チェキータがやってきた。
「また来たのですか? 暇なのですね、あなた」
ふぅ、とカルマがあきれたように吐息をつく。
だが以前のようにチェキータに対する刺々しさはなりを潜めていた。
カルマはお茶を入れて、チェキータにティーカップを差し出す。
「暇じゃないわ。王国の騎士として、国の平和を日々守っているもの」
チェキータは元王国騎士団長。
娘の自殺をきっかけに団長を退役。
監視者としてカルマを監視する役を担っていた。
だがカルマアビスは邪神の力を失った。
チェキータもまた、自分の心に刺さったとげが失った。
だから、チェキータは騎士としてまた働き出したのである。
「街の人たちは、そのご様子はどうです?」
「そうね、半年も経てばさすがに、世界蛇やベリアルによる恐怖も薄れてきてるわね。街の被害も、リューのおかげでゼロだったし」
チェキータがリュージの名前を呼ぶと、少しさみしそうに目を細める。
リュージが宇宙へと旅立っていった後、大きな爆発が遙か上空で起きた。
彼の放った聖なる光は、ヨルムンガンドによって傷付いた大地を癒した。
世界蛇の毒によって犯された大気も海も大地も、勇者の持つ浄化の力で元通りになったのだ。
毒によって命を失った物たちもまた、息を吹き返した。
かくしてメデューサたちの計画は、死傷者ゼロという、規模から考えればあり得ない結果となった。
……ただひとりの、犠牲を除いて。
「チェキータ。そんな顔、しないでください」
ハッ……! とチェキータが顔を上げる。
カルマは微笑んで、静かに紅茶をすする。
「りゅーくんは、帰ってきます。必ず」
「……そうね」
とはいうものの、チェキータはリュージが無事だとは考えていなかった。
チェキータたちと分かれた後、彼はひとり、落下する月を止めにいった。
月にとりついていた邪神を破壊し、月は元の位置へと戻った。
汚されたこの星は元に戻り、邪悪なる神は滅びた。元の平和を取り戻した。
だが……一番の功労者であるリュージは、未だ帰ってこない。
さすがに半年経っても、何の音沙汰もなければ、嫌でも考えてしまう。
リュージは、戦いの末に死んでしまったのだと。
「死んでいませんよ」
カルマは、チェキータの心を見透かしたように言う。
「私たちの息子は、約束を破るような子じゃないでしょう?」
「カルマ……」
この子は、あの日からずっと信じ続けている。
リュージが約束を守り、無事ここへと帰ってくることを。
いつ帰ってきても良いように、この半年間ずっと、三食毎回彼の分までつくっている。
リュージの部屋はいつだってピカピカに掃除されていた。疲れた息子が安眠できるよう、常にシーツは新品同様。
それはすべて、リュージがカルマとかわした約束を、きちんと守る。
そう固く、カルマが信じているからだ。
「帰ってくるわ。必ず、りゅーくんは」
そう告げるカルマは、普段以上に優しい笑みを浮かべていた。
だがチェキータには、泣きそうになるのを、必死になって我慢している子供にしか見えなかった。
そんなカルマのことを、チェキータは優しく抱きしめようとする。
だが……やめる。
「わかったわ。わたしは信じる。あなたが信じた、息子のことを」
チェキータは立ち上がると、玄関へと向かう。
「ハグしないのですね」
「優しくするだけが母親じゃないのよ?」
「釈迦に説法ですよ。ほら、いったいった」
しっし、とカルマが手を払う。
チェキータ微笑むと、きびすを返して玄関を潜る。
「カルマ。……泣きたくなったら、いつでも呼んでね」
「不要です。子供じゃないんですから」
「それもそうね。じゃ、カルマ」
チェキータはフッ……と煙のように消えた。
あとにはカルマだけが残される。
からになったティーカップをもって、台所でそれを洗う。
「…………」
台所には、リュージの使っていた食器が、まだおいてある。
彼のお箸も、お気に入りのマグカップも。
息子が使っていた日用品は、すべて取っておいた。
「ねえ……りゅーくん。いつになったら……帰ってくるの?」
カルマは震える声で、ここにいない息子へ向かって言う。
「あなたが出て行って、もう半年になるわ。シーラとルトラは冒険者としてのランクを、どんどん上げていっている。この間Aランクになったわ。このままじゃ置いていかれちゃうわよ?」
カルマは、肩をふるわせる。
「ルコとバブコは、最近学校に通うようになったの。あなたのような強くて賢い子になりたいからって。早く帰ってこないと、娘たちは卒業式を迎えてしまうわ」
カルマの手が、止まる。
「……ねえ、りゅーくん。もう、」
もう、帰ってこないの?
……弱音を吐きそうになるのを、カルマがグッとこらえる。
「私、泣かないわ。絶対に泣かないもの。だってあなたが帰ってくるって、信じてるもの。信じて……るから」
その場にしゃがみ込む。
そして……小さくつぶやく。
「早く帰ってきてよぉ……りゅーくん……」
カルマは鼻をすする。
だが涙は決して流さなかった。
泣いてしまうと言うことは、リュージの死を受け入れてしまうことだから。
それは、息子の言葉を、帰りを、信じることをやめることになるから。
ややあって、カルマは立ち上がる。
「もう……そろそろ半年。もう……駄目なの、りゅーくん……?」
と、そのときだ。
ドガァアアアアアアアアアアアアアン!
「な、なに!?」
カルマは目を白黒させる。
急に、家の壁が破壊されたのだ。
「けほこほ……着地失敗しちゃった。着地点間違えちゃったみたい……」
もくもくと立ち上る土煙の向こうに……カルマは見た。
そこいたのは、黒髪の少年。
愛しい愛しい、ひとりの男の子。
そう、そこにいたのは……。
「りゅー、くん……?」




