悪鬼襲来 3
魔物が発生したのは、前回壊滅の被害を被ったレピデ村よりも南東に10ヒース(約10キロメートル)ほど離れた場所にあるモーニスという村付近ということだった。国境警備隊が先にそちらに向かったらしいが、前回のレピデ村の一件から、そう安心はしていられない。一刻も早く駆けつける必要があった。
超速で飛ばした一団のはるか正面に、暗雲がたちこめていた。不穏な生温かい空気が満ちる。モー二ス村まであと少し。一団がピリピリと緊張を高めていた。
と、一団の左翼にいたニナが突然叫んだ。
「前からなにかが来る!」
エレノアはそれを聞いて背中の槍に手を伸ばした。そして、じっと正面に目を凝らす。すると、暗雲のなかに、なにか黒く蠢くものを見つけた。それは次第にこちらに近づき、大きさを増していった。
「なんだあれ……!」
「まさか……嘘だろ……!」
ユクサール天馬騎士団の他の騎士たちや飛竜部隊もそれに気づいたようで、口々に驚愕の声をあげていた。
蠢く黒いものはどんどんこちらへと近づいて、とうとうその正体を誰もが知ることになった。
「魔物の大群だ……っ!」
黒い体をした魔物たちが、塊となってこちらに近づいてきていた。一気に騎士らと竜の民の戦士たちの間に緊張が走った。
「武器を構えろ! 散開して敵を迎え撃て!」
エレノアが叫んだ。オドネルが部隊に指示を行き渡らせるべく動き、それぞれの隊のリーダーが各自に指示を出す。
エルネストら新人騎士たちも、すでに何度か実戦を経験してきたことで、戦いに臨む顔つきが以前とは比べものにならないくらいに気迫に満ちていた。
敵の魔物が射程圏内に入ってきた。
「撃てーーーっっっ!」
エレノアの怒号を合図に、弓部隊が放った矢が、魔物の一団に向かって降り注いだ。
「突撃するぞ!」
リバゴが先駆け、一気に魔物の間合いまで近づいていった。彼の得物である柄の長い長刀を魔物に向けて振り払う。
ザン!
グールが気味の悪い悲鳴をあげて、地上へと落下していった。
それを皮切りに、一気に戦闘は激しくなっていった。
「雷雲よ。その力をここに!」
リュードが魔導書を広げ、天に向かって右手ひとさし指を立てた。すると、不思議なことに彼の頭上に小さな黒い雲が現れ、バチバチと放電を放ち始めた。
「行け! サンダーボルト!」
リュードがひとさし指を振り下ろし、正面にいた魔物の一団に向けると、先程の雷雲から激しい光が現れ、魔物たちを襲った。それを直撃した三体の魔物らが動きを止め、地上へと落下していった。
エルネストは槍を突き、襲いかかってきたノーマを二体も仕留めていた。訓練を重ねてきた成果は、確実に彼の戦いに現れていた。その後も果敢に敵に向かい、敵を追いつめていた。
そんなエルネストに、巨大な蛾の魔物であるバモスが近づいていった。
「危ない!」
ドスッ!
その音にエルネストが横を見ると、矢に射られたバモスが羽を動かすのを止め、下にそのまま落ちていくのが見えた。
「ありがとう! アーニャ!」
「気をつけて! 魔物がそこら中からねらっているわ!」
そう話す間も、彼らの前には次から次へと新たな魔物が襲いかかってきていた。息をつく暇もないとはこのことである。
いっぽうエレノアはというと、それこそ彼女は獅子奮迅の活躍をしていた。
愛馬を巧みに操り、赤い旋風の異名そのままに鮮やかに槍を一閃する。その場にいた魔物たちは己が斬られたことにも気づかぬうちに絶命していた。縦横無尽に空中を駆け巡り、周囲の魔物たちを斬り裂き、突き上げる。
その姿はまさに戦女神。恐ろしくも美しい。それは赤き風。
だが、その働きぶりは戦のすべてを左右できるほどではない。そこここで魔物の大群に押される部隊も続出していた。
「団長! 向こうの第四部隊が押されています! 他でもあちこち突き崩され始めている部隊が……! とりあえずおれは援護に向かいます!」
オドネルがエレノアにそう叫び、彼女の左手方向を天馬で駆けていった。
魔物の軍勢は三百は超えているだろう。いっぽうユクサール天馬騎士団と竜の民の軍団はそれよりも少ない二百ほどだ。ユイハが指示して飛ばした伝令が飛竜の谷に援軍を呼びに行っているものの、すぐにここまでたどり着けるかどうかはわからない。
とにかく、今いる軍勢でなんとか魔物たちを撃退せねばならない。誰もが必死に戦いを続けていた。
と、魔物の軍勢の向こうからグオオオオッと重低音のうなり声のようなものが聞こえてきた。エレノアは、はっとしてそちらに視線を向けた。途端にぷつぷつと鳥肌が立つような感覚がした。
濃い障気。あの魔の穴から発せられる気と同じ種類の、しかもそれよりももっと強い魔の気配が、近づいてきていた。
「あああああっ! 嫌だ! 嫌なものが近づいてくる!」
ニナが後方で叫び声をあげていた。それと同調するように、飛竜のアカが落ち着かない様子で首を振っている。
エレノアの愛馬もブルルッと興奮していた。
「なんだ。なにが来る……?」
エレノアは、胸の奥になにか嫌なものが沸き起こってくるのを感じていた。それを自覚してはいけない。それと向かい合ってはいけない。そう思うのに、どうしてもそれはエレノアの胸から離れない。ねばつく血の塊のような嫌なもの。
――駄目だ。思い出してはいけない。
頭の中で警鐘が鳴っていた。急に耳が外界の音を遮断し、ただ己の心臓の音だけが大きく聞こえるようになった。
次第に近づいてくる黒いソレ。
見てはいけない。それは閉じた過去の記憶。
視界が赤く染まる。
遙か昔の記憶の蓋が、ゆっくりと開こうとしている。
ソレは黒く巨大な天馬に似た動物の上に乗っていた。黒き鎧のようなもので体を覆った大きな人型の魔物。猛牛の角のようなものを頭に生やし、禍々しい牙を口から生やしている。そして、その恐ろしげな赤い瞳の色を見た瞬間、エレノアは本能的な恐怖を体中で爆発させた。
「う、わああああああーーーっっっ!」
奔流のように、過去の記憶が彼女の脳裏を駆け巡る。
目の前で飛び散る鮮血。切り裂かれた肉体。黒く太い腕に貫かれたその人は――。
「嫌だ嫌だ嫌だーーーっっっ!」
「団長?」
近くにいたリバゴがエレノアの尋常ならざる様子に思わず馬首を巡らし、駆け寄ってきた。
「どうしたんですか! 団長! あの魔物のことを知っているんですか!」
リバゴの叫ぶ声に、暗い記憶に沈みそうになる意識が寸でのところですくいあげられた。しかし、激しく心臓が脈打ち、体はがたがたと震えたままだった。
「あ、あいつは……っ。あの、魔物は……っ」
はあはあと息を切らせながら、エレノアは言葉を紡いだ。
つらい記憶。そのつらさゆえに心の奥底に蓋をして思い出さないようにしていたその記憶が、その魔物の登場により蘇らざるを得なくなった。
「あれは、私の両親を殺した魔物……。ダムドルンドの王に仕える三将の一人。――ディアブロ。屍の山から生まれた死の申し子と称される血に飢えた魔物。我が故郷の村を壊滅させたやつだ」




