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そして世界に竜はめぐる  作者: 美汐
第八章 護ることと戦うこと
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護ることと戦うこと 5

     *




 カチュアはどこに行ってしまったのかと心配していたナギリだったが、しばらくして、彼女は再び姿を現した。見知らぬ人間を連れて。

 事情を訊くと、その人間は医者であるらしかった。カチュアは人間の村に降りて、その医者をヒラキアまでつれてきたのだ。


「あなたの怪我をこのまま放ってはおけなかったのよ」


 カチュアはそう言ったが、それよりも気になったのは、その人間の医者が村に興味津々といった様子だったことだ。

 ナギリは嫌がったが、怪我人に抵抗する余力はなく、結局その医者に怪我を看てもらった。しかし、折れた左足の怪我は思ったよりも酷いものだったらしく、後遺症のようなものが残るかもしれないと言っていた。

 そうして治療が終わると、カチュアは再び医者を人間の村へと飛竜で送り届けていった。

 医者が飛竜のことをいたく気に入っていた様子だったことが、なぜかナギリは胸に引っかかっていた。そして、なにか嫌な予感を抱いていた。

 そして、カチュアは今度こそ村に戻ってこなかった。


 なにかあったのかと、ナギリはそれこそ心配で胸を焦がしていた。だが、怪我をした足では思うように動くこともできず、他の村人たちに様子を見てきてもらうよう頼む他なかった。

 だが、人間の村にこっそり捜索に出かけた竜の民らから、カチュアの姿を見つけたという情報は得られなかった。

 娘のニナも母親がいなくなってしまったことで、毎晩のように寂しく声をあげて泣いていた。

 ナギリはもう他のものに任せてはいられないと、まだ安静にしなければいけないと言われていることも無視し、松葉杖をついて、外へと出た。


 その日の空は、あいにくの曇り空だった。

 ユノを呼び、止めるものたちを振り切って、自身でカチュアを捜しにいこうとしていると、村の入り口のほうから誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。


「人間が……! 人間たちが飛竜を……っ!」


 走ってきた男の言葉を聞いて、ナギリは、はっと目を剥いた。

 そして、あの医者が去ったときに感じた嫌な予感を思い出していた。

 その嫌な予感の正体は、これだったのだ。

 カチュアの連れてきたあの人間の医者が、この村の存在を知り、飛竜を捕らえようとここへ人間たちを連れてきたのだ。


 では、カチュアは?

 あの人間の医者を送っていったはずのカチュアはどうしたというのだろう。

 ナギリは矢も楯もたまらず、不自由な足を引きずりながら、騒がしい村の入り口のほうへと向かっていった。


「捕らえろ! 飛竜は我々がいただいていく!」


 柄の悪そうな悪人面をした人間の男たちが、次々と村にいた飛竜たちの首に縄をかけて勝手に連れていこうとしていた。止めに入る村人たちを武器で脅しつけ、我が物顔で村を闊歩している。


「おのれ! 貴様ら……っ!」


 怒りが一気に頂点に到達し、痛むはずの足を無理に動かしながら、ナギリは人間たちの親玉らしき人物のもとへと走っていった。

 安静にせねば、後遺症は強く残るという言葉など、そのときはすでに頭から消え去っていた。

 武器を持っていなかったナギリは、代わりに松葉杖を振り上げ、親玉に向けて振り下ろした。しかし、ガツンッという音とともに、その男は持っていた剣の鞘でその攻撃を止めていた。

 激しい睨み合い。食いしばった歯が、ギリギリと音を立てる。

 一旦互いに間合いを取り、そのまま臨戦態勢を取っていた。


「貴様ら……っ。なんの権利があって、この飛竜の谷を荒らす! 飛竜は竜の民の宝だ。貴様らが自由にしていい存在ではない!」


 髭面のいかめしい顔をした親玉の男は、いやらしい笑みを浮かべた。


「宝と聞いては余計に欲しくなるな。くっくっく。こんなところにこんな場所があると知っていたら、もっと早くに来ていたものを。あの医者がいいところがあるから謝礼を払えば教えると言ってきたときは、眉唾ものだと疑っていたが、まさか本当に飛竜の谷があるとは、今俺の胸は驚きと興奮で激しく躍っているぜ!」


「おのれ……! やはりあの医者が!」


 それから、ナギリは重要なことに思い至った。


「カチュアは? カチュアはどうした! あの医者はカチュアが送っていったはずだ。なにか貴様は知っているんじゃないのか?」


 ナギリの問いかけに、男はどんぐりのような目をさらに大きく見開いた。


「おお。あの獣人の女か。もしかして、お前、あの女の知り合いか?」


 やはりこの男はカチュアのことを知っている。ナギリは逸る心を抑えながら、声を低めて言った。


「カチュアは私の妻だ。私は数日前から姿を消してしまった彼女の行方を捜している」


 男はその言葉を聞き、なにやら面白そうに片方の口の端をあげた。


「ほう。これは……なるほど。お前があの獣人の女の……」


「カチュアはどこだ! カチュアをどこにやった?」


 ナギリは血液が沸騰しそうになるのを必死で抑えながら、そう叫んだ。

 髭面の男は、ナギリに意味深な視線を投げかけたかと思うと、ふと後方に目をやった。ナギリもつられてそちらのほうに目を向ける。するとそこに、灰色の布を被せられたなにかが、地べたに横たわっているらしいのが見えた。その布から細い手足が飛び出しているのをみとめ、ナギリは胸をがっと潰されたようになり、自分の中で湧き出てきた恐ろしい想像に息が止まりそうになった。


「ま、まさか……」


 それだけの言葉を言うのがやっとだった。そんなはずはない。そんなこと、信じない。あれは、あそこにいるのは……。


「安心しろ。まだ息はあったはずだ。……もっとも、先程までの話だが」


 自分が足を怪我しているということも忘れ、勢い飛び出した。そして案の定、ナギリは丘を転げ落ちた。しかし、彼はすぐに松葉杖を支柱にして立ちあがり、足を引きずりながら、そちらのほうへと必死に近づいていった。


(嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ! あるわけがない。あれが、あれがカチュアなわけが……)


 その横たわっている誰かの近くに悪人の下っ端らしき男がいたが、ナギリの恐ろしいまでの剣幕に押され、その場から後じさっていた。ナギリは横たわる誰かのもとまでいくと、そこに膝をついた。


「カ、カチュア……? そこにいるのは、きみ、なのか……?」


 喘ぐようにそう言うと、ナギリは恐る恐るかけられていた布を取り払った。


「……っ!」


 そこにあった人物の顔を見て、ナギリは言葉を失った。代わりに熱いものが喉の奥に込み上げ、息が苦しくなっていった。


 カチュアだった。そこで倒れていたのは彼の妻。だが、その姿にはいつものような溌剌さは微塵もなかった。あったのは、見るも無惨に殴られ傷つけられた彼女の姿だった。


「あ、……う、あああああ……っ!」


 腹の奥に、黒く重い塊が生まれた。怒りで頭が沸騰し、目の前が真っ赤に染まった。


「カチュア! カチュアカチュアカチュアアアアアアーーーッッッ!」


 ナギリは倒れ伏していた彼女をその腕に抱き上げ、叫んだ。そして、呼吸音と、脈を懸命に確かめていた。


「……ナ、ギリ……?」


 かすかな、吐息のような言葉が、カチュアの口から漏れ出た。ナギリは、はっとして彼女の顔を凝視した。


「カチュア、気がついたのか! 早く手当をしよう! あいつら、なんて酷いことを……っ!」


 しかし、ナギリの言葉に彼女はかすかに首を横に振った。


「わ……たしは、……もう、助からない……。それより……お願いがある……の」


 ひそやかなかすれ声。もうそこにほとんど力は残されていないということは、ナギリにもわかっていた。だが、彼は信じたくないとでも言うように、首を左右に振り続けていた。


「なにを言っているんだ。きみはまだ生きている……っ。今からすぐに治療すれば……っ」


「……ニナを……」


 はっと胸を衝かれた。視線をカチュアの瞳に移す。その瞳は美しい空色をしていた。


「あの子を……お願い……」


 カチュアの手が、ナギリの顔に伸びた。ナギリはぎゅっとその手を握り、自らの顔に当てる。


「カチュア……! 逝くな! カチュア!」


 ぶわりと涙が目から溢れ、頬を流れ落ちていった。

 ふうっと力が抜けていくように、彼女の体ががくんと重くなった。そして、その空色の瞳から光が失われていくのを、ナギリは信じられない気持ちで見つめていた。


「カ、カチュア……?」


 ナギリは動かなくなった彼女の体を何度も揺すり、呼びかけた。


「カチュア……カチュアカチュアカチュア!」


 しかし、その後何度呼びかけても、彼女が返事をすることはなかった。その体にはもう彼女はいない。そのことを、ナギリは漠然と頭の片隅で思っていた。


「くっくっく。とうとう逝ったか。哀れなものよ。さっさと素直にここへ案内すればいいものを、無駄に抵抗するからそういうことになる。どうせ結果は同じだというのに」


 先程の男の声だった。神経を逆なでする、下卑た声。

 ぷつり、とナギリのなかでなにかが音を立てて切れた。そして彼は、ゆらりとそこから立ちあがった。


「……さない」


「え? なにか言ったか?」


 にやにやと笑いを浮かべる悪党の親玉。その顔に、これ以上はないというほどの憎しみを込めて睨み返す。


「許さない! なにがなんでも、貴様らを生かして帰すわけにはいかない!」


 怒りの炎が彼の瞳の奥で燃えていた。悲しみと怒りに支配された彼は、次の瞬間、足を怪我しているとは思えない速度で男へと肉薄した。


「うおおおおおおおおおおっっっ!」


 ガキン!と松葉杖が音を立てた。ギリギリ悪党の男はそれを剣の鞘で受け止めたが、彼の思った以上の力がそこには込められていた。

 バッと鮮血が散り、彼の額を真っ赤に染める。ナギリの攻撃は、わずかに男の額に当たっていたのだ。


「ぎゃあ!」


 悪党の親玉はたまらず、両手で額を押さえ、草原を転げ回った。ナギリはその隙を過たず、男の剣を奪い取り、鞘から抜いたそれを男の喉元に突きつけていた。


「お頭!」


「貴様!」


 悪党の手下たちが、頭目の危機に駆けつけてきた。だが、ナギリは彼らが近寄るのを許さなかった。


「近寄るな! それ以上近づけば、この男の命はないぞ!」


 ナギリの剣幕に、手下たちはぴたりと動きを止めた。


「お、お頭……」


「ぐ……、お、お前たち、ひとまずここは、この男の言うことを聞くんだ……!」


 髭面の男は、なさけなくもそんなことを言い、己の喉元に突きつけられた剣の切っ先に怯えた目を向けていた。

 ナギリは親玉の男を剣で脅しつけながら立ちあがらせ、両手を挙げさせて近くにあった木のところまで連れていくと、他の村人から縄を持ってこさせ、そこに男を縛り付けた。

 親玉を捕縛されたことで、他の手下たちの意気は一気に消沈し、抵抗を続ける村人たちに押されぎみになっていた。

 そんなところに、空にいくつもの飛竜の影が現れた。


「ユイハさん!」


「帰ってきたんだ!」


 村人たちは一気に沸き返った。狩りに出かけていたユイハたちがちょうど帰還したのだ。彼女らがいれば、気勢を失った人間の悪党どもなど敵ではない。

 そんな村人たちの期待を裏切ることなく、ユイハらは村の異変をすばやく察知し、人間たちをみな撃退していったのだった。


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