護ることと戦うこと 4
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ナギリが語り出したのは、今から四年ほど前のことだった。
ナギリにはそのとき、結婚した女性がいた。名をカチュアという。
「ナギリ。行ってらっしゃい」
カチュアは三つになる娘とともに、狩りへと出かけるナギリを家から送り出した。
ナギリはそんな愛しの妻と子供に笑顔を向けると、飛竜のユノを駆って、空へと舞い上がっていった。
その日は、風の強い日だった。そのころ世界にはまだ風が存在し、風の竜が世界をめぐっていた。ユノもやはり、風に乗って空を舞うのは気持ちがいいらしく、とても生き生きと翼を広げていた。
だがその風も、いつでも生物たちの思い通りに吹くわけではない。ナギリの乗った飛竜のユノは、山から吹き下ろしてきた突然の突風にあおられ、ばっと体勢を崩した。途端にナギリは宙に投げ出される形となり、気がつけば真っ逆さまに地上の森へと墜落していったのである。
一瞬死を意識したナギリだったが、奇跡的に木の枝に引っかかり、一命を取り留めていた。
しかし、体を動かした途端、身を切られるような激痛が左足に走った。
「ぐ……っ!」
痛みで顔が歪む。口元から、堪えきれずにうめき声が漏れた。冷や汗なのか脂汗なのかわからないものが、額や脇から伝い落ちていく。
これはやばい。ナギリはとにかく引っかかっていた木からなんとか地上へとおりたものの、それ以上そこから動くことなど到底無理だった。途中まで一緒だった仲間やユノが見つけてくれればいいが、この広い森の中からそう簡単に自分を見つけてくれるとも思えなかった。それに森には猛獣などがうろついていたりするのだ。ぼやぼやしていたら、せっかく助かった命も襲われて一巻の終わりとなってしまう。
しかしこの足は、このぶんだと確実に折れてしまっているだろう。こんな状態でどうやって村へ帰ればいいのかと、ナギリは途方に暮れていた。
それからどれだけの時間が過ぎただろうか。
ずきずきと痛む足とその怪我による発熱で、ナギリは落ちてきた木の根本で意識を朦朧とさせていた。
このまま自分は死ぬのだろうか。誰にも看取られぬまま、朽ちて、あるいは獣の餌食になっていくのだろうか……。
辺りは夕闇の気配が満ちてきていた。不気味な鳥の鳴き声が森の奥に響いている。
荒い息の音だけが、耳の中を駆け巡っていた。
カチュアと娘のことが脳裏をよぎった。残していくかもしれない家族のことに想いを馳せる。すまない、とそう思う。
やがて、ナギリはその意識を闇に移していった。
次に彼が気がついたのは、温かいベッドの上だった。ぼんやりとした意識のなか、見覚えのある天井に、自分は夢を見ていたのかと思った。しかし、ずきりとした痛みが左足に走り、あれが夢ではなかったことを理解した。
ふとそばになにかの気配を感じ、視線をそちらにずらすと、ナギリの腕のそばですやすやと寝息を立てて寝ている娘の姿があった。
「気がついたのね」
扉の開く音がしてそんな声が聞こえてきた。声のあったほうに顔を向けると、部屋の扉の向こうから、カチュアが柔らかそうな枯れ葉色の髪を揺らしてこちらに近づいてきていた。
「よかった……。すごく心配したのよ。なかなか帰ってこないと思っていたら、ユノだけが帰ってきて、しきりになにかを訴えているような仕草をしてたから、きっとあなたの身になにかあったんだと思ったの。すぐに谷の手の空いている人たちを呼んで、あなたを捜索にいったわ。すぐに倒れているあなたを見つけられたからよかったけど、あのまま見つからなかったらと思うと……ぞっとするわ」
その言葉で理解した。ユノが村に戻って助けを呼んでくれたのだ。なんと賢い飛竜だろう。外で忠実に待機してくれているだろう彼のことを思い、ナギリは深く感謝した。
飛竜は、普段は獰猛な生き物だが、手懐ければとても賢く忠実な生き物なのだ。なかでもユノは特別利口な飛竜だった。
「ユノが……。そうか……」
「だけど、運が悪かったわね。突然の山颪にあうなんて。風の竜のいたずら? なにか神竜の怒りに触れることでもあったのかしら……」
カチュアはふと、なにかを思い出したような顔をした。
「そういえば、先日山火事があったわね。あれは人間たちが消し忘れたたき火のせいだったようだけど、そうしたことがもしかしたら神の怒りに触れたのかも……」
神竜の怒り。その言葉に、ナギリは顔をしかめた。
それを被るとしたら、それは竜の民ではなく、人間たちであらねばならない。自然を破壊し、森を切り開いて自分たちの欲望のままに森の恵みを食べ尽くす悪しき種族。
自然に生かされ、育てられているということを忘れ、自分たちの国を豊かにすることばかりを考えている。
自分は、そんな人間の悪しき行いに対する罰のとばっちりを食ってしまったのだろうか。自然との共存を大切に暮らしている竜の民である自分に、罰が当たるなんてことがあるわけがないのだ。
悪いのは人間。
許せないのは人間なのだ。
と、再びずきりと左足に痛みが走った。「うっ」とうめき声をあげるナギリにカチュアは慌てて近寄り、かけていた布団をめくって左足の様子を見た。
「また腫れが酷くなっているみたい。応急処置として当て木をして固定してあるけれど、やっぱりこのままにしておくのはよくなさそうね。ただ、今お医者様のギシルさんは遠くに行っていてしばらく帰ってこないらしいの。だから本当はあまり気が進まないんだけれど、人間たちの町までいって、そこのお医者さんを頼
ろうかと……」
すると、ナギリは思わず大きな声をあげた。
「よせ! 人間の世話になどなるくらいなら……っ!」
「ううん……」
ナギリの怒声に、娘が目を覚ましたらしい。ゆっくりとベッドから頭を持ちあげ、まだまどろみかけたような目をしながら、ナギリと顔をあわせた。
「パァパ……?」
「ああ。ごめんよ。起こしてしまったかい。ニナ」
「パァパ。ケガ、だいじょーぶ?」
「あ、ああ……こんなのたいしたことは……」
苦痛に歪みそうになる顔を必死で堪え、笑顔を見せる。しかし、ニナは不安そうな顔を浮かべていた。
「ほらほら。ニナはもうママとあっちのお部屋でおねんねしましょうね。パパのことはママがちゃんとお世話するから」
カチュアはそう言うと、ニナをつれて部屋を出て行った。
カチュアはニナを寝かしつけると、ナギリを献身的に一晩中看護した。熱で浮かされたようにうめくナギリの額と足を冷やすために、水で濡らして絞った布を何度も取り替えてくれていた。
そしてその翌日、カチュアは家から姿を消していた。
*
「ニナ……?」
ナギリの話の中にその名前が出てきたのを、エレノアは驚愕の表情を浮かべながら聞いていた。まだ話の途中だったが、どうしてもそれが気になってしまったのだ。
「ああ、ニナは私の娘だ……」
ナギリは言った。言われれば、ナギリの深緑色の瞳は、ニナの瞳の色と同じだった。それは、エレノアの瞳の色にも似ていた。
「あなたが父親だったのか……。しかし、ということはニナの母親はもう……」
「ああ。あの子はほんの幼いころに母なし子になってしまった。それはすべて私の責任だ。私があのとき、怪我などしなければ……」
ナギリは卓に手をつき、うなだれた。苦悩の皺が彼の眉間に刻まれていた。
「なぜニナの母親は死んだ? 人間が彼女になにをしたというんだ?」
エレノアはだが、彼への追求の手を止めようとはしなかった。さらに迫るように言う。
ぐう、と低いうなり声のようなものがナギリから聞こえてきた。見れば、ギリギリと音がしそうなほどに、彼は歯を噛み締めていた。
「あいつらは……っ! あいつら人間は……、私のカチュアを……っ!」
ナギリの悲痛な叫び声は、部屋の空気をビリビリと振動させていった。




