闇へと通じる穴 3
鏡は魔法道具のひとつでもあるという。
リュード本人はそれを魔法道具として使うことはほとんどないようだが、とりあえずいつも身につけていた。本人いわく、鏡をのぞくとなんとなく安心するからということらしい。若干ナルシストの気があるのかとエルネストなどは気味悪く思っていたのだが、まさかここでその鏡が活躍することがあるとは、エルネストはもちろん、本人さえも思ってもいなかったことだった。
「その鏡で太陽の光を集めて反射させるんだ。その先はもちろん闇の世界に続く穴へと向けてな。それできっとこの穴の活動も弱まるはすだ」
オドネルの言葉に、リュードは鏡を胸に当てながら、こくりとうなずいた。
「や、やってみます……!」
リュードはやや緊張した面持ちだったが、きらりと眼鏡の奥の瞳を光らせて、穴の手前へと進んでいった。
東の空がどんどん明るくなり、空は白くなっていった。そして、森の木々が光に照らされ、きらきらときらめきを放ち始めた。と同時に、闇の気配がざわざわと穴へと向けて収縮を始めたように感じられた。
リュードは高鳴る胸の鼓動を感じながら、鏡を持つ手に力を込める。一度深く息を吸い込み、深呼吸をした。
太陽が、森の向こうに姿を現し始めた。明るい日差しが、戦いに疲れた彼らを照らし出す。温かく柔らかな日差し。それは闇を消し去り、世界を明るく照らすのだ。まだ、世界には光がある。それは、人々の希望そのもの。
闇を払い、その勢力に打ち勝つ力なのだ。
「リュード。鏡を天に掲げろ!」
エレノアがそう声を発した。それを合図に、リュードは手にしていた鏡を自分の頭上に掲げた。太陽の光が天より注ぎ、鏡が光を放つ。
リュードはその光を鏡の位置を微妙に変えながら、木の根本へと向けていった。
――一瞬。
ぐにゃりと空間が歪んだ気がした。それから、どこからともなく、不気味な音が響いた。
それがその穴から響いていることに、リュードは気づいていた。穴の奥にはあの不気味で凶悪な魔物たちがひしめいているはずなのだ。突然強烈な光を浴びせられて、魔物たちは苦しんでいるのかもしれない。
自然と鏡を持つ手から緊張の汗が噴き出した。額からも、じっとりとした汗が滲み出していた。
静かなる戦いだ。だが、これまでリュードが味わったことのないような大きな戦いがそこで繰り広げられていた。
光と闇の拮抗。シルフィアを浸食しようとする闇の世界、ダムドルンドの勢力を、今、リュードはたったひとつの小さな鏡で封じようとしているのだ。木の根本で暴れ狂う闇が次第に小さくなっていった。
空には太陽が燦然と輝き始めた。
「光よ!」
リュードは思わず叫んでいた。
それからしばらくして、ジュウウウッという音とともに、その穴はそこから消え去ったのだった。
一旦村へと戻り、ユクサール天馬騎士団一行は休息を取ることにした。ニナとアカは、一度飛竜の谷に戻っていった。再び明日の朝、村のほうへ来るという約束になっている。
「本当に行かせてしまってよかったのか? もう二度と会えないんじゃないのか? せっかく飛竜を捕まえられたっていうのに」
オドネルが先を歩くエレノアにそう言った。
「ニナは私との約束を守ると言った。アカはニナの指示には従うだろう。それを信じるしかない」
陽はすでに高い位置へと昇っていた。騎士団の他の団員たちは、すでに宿場に入り、戦闘の疲れを取っている。二人きりとなったエレノアとオドネルは、互いに立場をなしにした口調になっていた。
エレノアは少し村の高い場所までくると、ふと立ち止まった。そしてくるりと振り向き、そびえ立つアルバール山脈の連峰を見やった。美しき山々の姿は、雄大で荘厳である。そんな山々の遙か向こうへと、ニナを乗せた飛竜は飛び立っていった。
「飛竜のことは、あまり期待しないほうがいいかもしれないな」
エレノアがつぶやくと、隣でオドネルは意外そうな顔をした。
「お前がそんな消極的なことを言うとは、意外だ」
「そういうわけじゃない。ニナたちのことは信じている。……だが」
エレノアは今回のことについて考えていた。たった一人と一匹で、魔物と戦いを続けてきたあの子たち。飛竜やニナの一族が、そのことをまるで知らないわけはないだろう。それなのに、他に飛竜が現れたという話も聞かない。ニナもそのことについて、なにも語ろうとはしなかった。
「飛竜も、その飛竜とともに暮らしているだろう竜の民と呼ばれる獣人族たちも、おそらくかなり排他的なはずだ。ニナたちは特別なんだろう。また彼女にはいろいろと事情を訊ねる必要があるだろうが、おいそれと簡単に私たちに強力してくれるとは思えない」
エレノアの言葉に、オドネルも難しい表情を浮かべた。
「確かに、そうかもしれないな」
なぜニナたちは危険を顧みず、孤独に魔の穴に立ち向かっていたのか。なぜ他の飛竜らはそれを助けようとはしなかったのか。
それを思うと、ニナたちの境遇があまりいいものではないような想像をしてしまう。ニナはまだ幼い子供だ。それを彼女の親は、なにも気にしていないのだろうか。魔の穴に近づくのは危険だと知りながら、それを止めようと、なぜしなかったのだろうか。
ぎゅっと唇を噛み締め、エレノアは胸の奥底でうずき始めたものを堪えた。
「とりあえず、飛竜のことは抜きにしても、今回のことで、ひとつの危機は去った。もし明日の朝、ニナが来なくても、今回の件はよしとしよう」
「ああ。そうだな」
オドネルも感慨深げに言った。
彼らの視線の先には、山々を背にしたミヘン村の姿があった。そんなミヘン村の姿は、気のせいかもしれないが、どことなく来たときよりも生気を取り戻したように見えていた。
風は相変わらずそよとも吹くことはないが、それでもまだ、世界はこうして輝いている。
それを信じたい。
エレノアは空と大地に挟まれたその場所で、そう思っていた。
これで六章終了です。お読みいただきありがとうございました。




