ニナとアカ 2
昼間の調査では、この辺りの山の付近に飛竜の姿は見当たらなかった。森でも特に異変は起こってはいなかったようである。
「さあて、鬼が出るか蛇が出るか。夕方が楽しみだな」
村に戻ってしばしの休憩中、天馬の背を撫でながら、エレノアはそんなことを言った。なにげにその様子は楽しそうにすら見える。
「夕方は魔のときというからな。この世界の裏側にあるダムドルンドの世界とも
一番近くなるころだ。なにかがそこで起きる可能性もある」
オドネルは相変わらず冷静である。
「まあ、開けてみてのお楽しみってことだな」
リバゴもどっしりと構えてみせていた。ベテラン騎士たちはさすがといったところである。
対して新人騎士のエルネスト、アーニャ、リュードの三人はというと、
「飛竜って凶暴なんだろうか」
「夕方に現れるって、なんか不気味だわ~」
「お願いします。お願いします。どうか神様女王様。おばけだけは勘弁してください~っ」
という感じで、三人とも腰がひけていた。
まだまだ騎士としての修行はこれからのようである。
それはさておき、時間は刻一刻と過ぎていった。陽は西に傾いていき、辺りには夕闇が広がりをみせていた。
西の空が茜色のグラデーションを作り、山の峰々が影で黒く染まっていく。一日の昼と夜の境目、光と闇が交錯するときである。
その曖昧なときには、世界の境も曖昧になると言われている。
つまり、シルフィアの裏側にあるというダムドルンドの世界が近づいてきて、どこかで交わるのだという。
世界の均衡が崩れた今では、夕方と言わず、昼も夜もどこかしらで魔物の発生が多発しているが、以前でも魔物は時々シルフィアに現れることがあった。
その最たる時間帯が、この夕方なのである。
そのために、夕方は魔のとき、と昔から人々に恐れられてきた。
「みな、そろそろ気を引き締めておくように」
エレノアの鶴のひと声で、騎士たちにいい緊張が走った。おのおの騎乗している天馬の手綱を握り締めたり、武器の構えを直したりしていた。
そして、しばし静かなときが流れたあと、山の稜線の間の茜色に、黒い小さな点が現れたのが見えてきた。
それを最初に見つけたのは、新人騎士であるエルネストであった。
「なにかが近づいてきています!」
その黒い点が次第に大きくなって、形もよく見えるようになってくると、それが翼を持つ竜の姿をしているのがわかってきた。
「飛竜だ!」
「現れたな!」
リバゴとオドネルが叫ぶ。そして、エレノアが号令をかけた。
「行くぞ! 私に続け!」
そしてついに、ユクサール天馬騎士団は自分たちの主戦場へと舞い上がった。
ユクサール天馬騎士団の一番の目的は、飛竜を仲間とすることにあった。
セイラン国は天馬の産地ではあるが、天馬を飼育するのにも限界がある。おいそれとすぐに数を増やすということは難しいのである。しかし、この世界の窮地に際し、そんなに悠長なことも言ってはいられない。とにかくすぐにでも戦力を増強したいのだ。
そんなときに入手した飛竜の目撃情報。
飛竜は大きさとしては天馬よりも少し大きいくらいの個体である。これを手に入れ空中戦に活用することができれば、大きな戦力になることは間違いない。
ということで、今回の彼らの目的は、飛竜の討伐ではなく、保護することにあった。そしてあわよくばその棲み家を見つけ、他の飛竜も戦力に組み入れたいと思っていた。
向かってくる飛竜は一体。
その空を飛ぶ姿は、天馬とはまた違ってなんとも雄壮である。土色の肌には斑に模様があり、広げた翼は左右合わせて4ルース(約4メートル)ほどもあるだろうか。尾も長く、首もぬっと伸びている。その顔には鋭く尖った牙が並び、眼光は黄色く光っていた。
飛竜は、向かってくる天馬に乗った騎士たちに気づいても、まっすぐそのままの速度でこちらへと近づいてきていた。もしや襲いかかってくるのでは、とエルネストは武器を身構えようとしたが、「くれぐれも飛竜を傷つけるなよ!」という団長の言葉に、武器ではなく用意していた縄に手をやった。
前方では、先に輪を作った縄を振り回しながら、エレノアたち古参の騎士たちが飛竜を取り囲むように広がっていった。
飛竜はどんどん近づいてくる。そして、エレノアたちがいよいよ縄を投げようとしたそのとき、飛竜はそれまで固く閉じていた口を突然開いた。
「うわあっ!」
「熱っ!」
突然現れた炎の渦が、エレノアたちに襲いかかった。たまらず彼らは散りぢりになって逃げていく。
飛竜が炎を吐いたのだ。
飛竜のなかには炎を吐く個体もいると、話には聞いたことがあったが、聞くと見るとでは大違いである。エルネストは衝撃のあまり、その身を強張らせていた。
そして、そのまま通り過ぎようとする飛竜の背に、彼はなにかの影を見た。
子供だ。
頭に長い獣の耳を生やした子供。枯れ葉のような髪の毛の間から見える瞳は深い新緑の色をしている。ぼろきれのような動物の皮でできた衣服に身を包んだその子供は、薄汚れたその体に強烈な野生を宿しながら、飛竜を駆っていた。
「子供だ! 子供が背中に乗っているぞ!」
リバゴが叫んだ。
その事実は、騎士たちみなに大きな衝撃をもたらしていた。




