同盟 2
西の国の聖王ラクシンと南の国の聖王ナムゼとの対面は、謁見の間ではなく、会議室で行われることになった。
ラクシンが、わざわざ足を運んでもらったナムゼに気を遣わせるようなことがあってはならないと、肩を並べて話せる場所をと選んだのが、普段は官吏たちが使用している会議室だったのである。
ラクシンが先に会議室の椅子に座って待っていると、やがて扉が開かれ、案内のものがナムゼの到来を告げた。
そうして入ってきた初めて見るもう一人の聖王に、ラクシンは驚きとともに、深い感銘をその姿に対して受けた。
「初めまして。私が南の国フェリアの聖王、ナムゼと申します」
そう堂々たる声で話す男は、立派な顎髭を伸ばした男で、ラクシンよりは少し茶色の赤みのある黒髪をしていた。貫禄のあるたくましい男で、瞳の色は深緑色をしている。そしてその額には、聖王の証でもある竜玉が、その瞳の色よりも明るい翡翠色に光っていた。
「ようこそ我が国セイランの王都であるフエンダーナへ。はるばる長い道のりを、よくぞお越しくだされました」
椅子から立ちあがり、正面で他国の聖王を迎えたラクシンの態度も、それは立派なものであった。
向かい合う聖王と聖王。二人の間には、なにか余人には計り得ぬ時間の流れがあるようだった。長きに渡り国を統治してきたお互いの苦労を、一瞬で二人とも分かち合ったかのかもしれない。
自然と握手を交わした二人の様子を、周囲に詰めていた兵士たちが感慨深げに見つめていた。これはこのシルフィアの歴史上に残る瞬間に違いないと、彼らも思っていたのだった。
そうして互いに席につくと、先にラクシンのほうから口を開いた。
「さて、先日の書簡にて伝え聞いたることでは、この度のご来訪には、重大な意味があるとのことでしたが、その詳細についてお教え願いたい」
そう話すと、にわかにナムゼの表情が厳しいものに変わっていった。そして、彼はゆっくりと口を開いた。
「さよう。この度の訪問は、このシルフィアを脅かす異変についてお話したく、まず自らでもってこの危機をラクシン殿にもお伝えせねばと、こうして参った次第であります」
その言葉を聞き、ラクシンも鷹揚にうなずいた。鋭い目が、きらりと光を放つ。
「やはりそれは、風の竜が活動を停止したことに由来することで……?」
「ええ。先日、我が国のとある村に住んでいた少年が、セレイアへたどり着いたということはご存じであられますかな?」
すでにその噂はこの王都における一番の話題となっていた。ラクシンも迷うことなくそれに首肯する。
「はい。すでにそのことは耳にしております。しかし、我ら聖王が成し遂げることのできなかったことを、なにゆえその少年はやり遂げることができたのか。不思議でならないのですが」
ラクシンがそう言うと、ナムゼは我が意を得たりという表情を浮かべ、こう言った。
「実はその少年なんですが、これが不思議なことに、その活動を停止させたはずの風の竜の加護を受けし少年で、そのかたわらには驚くべきことに、その風の竜の分身だと名乗る少女がともにおりました」
「風の竜の……?」
ラクシンは目を見開き、ナムゼの深緑色の瞳を凝視した。
「そう。その証拠として奇跡の力を見せてもらいましたが、いやはや、まさか本当にセレイアへの扉を開くとは、私も驚いておりますよ」
ナムゼはそう言うと、口の端に深い笑みを浮かべた。その様子は、どこかおもしろがってでもいるようである。
「まあ、とりあえず、私も悲願だった女王への謁見をその少年らは果たしたわけです」
「それはすばらしい。ですが、現状まだ世界に風は戻ってきてはいない。これはいったいどういうことなのでしょう。女王への嘆願は叶わなかったということなのでしょうか?」
ラクシンが質問すると、笑みを刻んでいたはずのナムゼの表情が、逆に渋い表情へと変化していった。
「女王様は、その力を失ってしまわれたのです」
ナムゼのその言葉の意味を、ラクシンはすぐには理解できなかった。しばらく黙したまま、その意味を咀嚼する。
女王が力を失った。
つまり、神の力、世界を創り上げしその力をなくしてしまったということか?
「そ、それはどういう……」
ラクシンは自分の声が震えているのを感じながら、ナムゼの言葉を待った。
ありえない。そんなことはあってはならない。
そう願うように思いながら、ラクシンはナムゼの口元をじっと見つめる。
「女王様の力の源である光の宝玉が、あるものの手によって奪われたのです」
ごくりと唾を飲み下す。長きに渡り聖王として生きてきたラクシンだったが、これほどまでに身の竦む思いをしたことはいまだかつてなかった。ナムゼの次に続く言葉がどんなものであるか。恐ろしさのあまり、手にじわりと汗が滲んだ。
「北の国の聖王ゲント。そのものが魔物と共謀してセレイアを襲い、女王様の持つ光の宝玉を奪っていった。それが、この世界から風が消えたあの日に起きた真実だったのです」
「馬鹿な!」
ラクシンは思わず座っていた椅子から立ちあがり、そう叫んでいた。
「ありえない! 聖王という立場にありながら、神である女王に刃を向けるとは! そしてその手から神の力の源たる宝玉を奪うとは……!」
怒りと憤りに、体が震えていた。ラクシンは、静かなるその見た目とは裏腹に、燃えるような炎を身のうちにたぎらせていた。
「ええ。私もそれを聞いたとき、本当に信じられない気持ちでした。同じ聖王という立場にありながら、そのような行動に及ぶものがいるとは……。絶対にこれを許すことはできません」
ナムゼもその言葉に怒りを滲ませているようだった。固く握ったその拳が、かすかに震えている。
「そこで、今回私自らがこのセイラン国を訪ねることにした理由ですが……」
ラクシンははっとして、ナムゼの顔を凝視した。
「このシルフィア全土を脅かす非常事態に対処するため、我が国フェリアと貴国セイランとの同盟を結び、北の脅威に備えるとともに、協力して女王様の手から奪われた光の宝玉を取り戻そうではありませんかと。今日はそれをお伝えすべく、こうして直参した次第であります」
ナムゼは精悍な顔に、ギラギラとした闘志を燃やしていた。翡翠色の竜玉の下にある双眸は熱く光っており、触れれば火傷しそうな迫力をそこに宿していた。
「我が国とフェリアが同盟を……?」
再確認するようにラクシンが口にすると、ナムゼは席を立ち、ラクシンの前まで進み出た。
そして、すっとその骨張った大きな手を正面に差し出す。
「ええ。ともに戦おうではありませんか。このシルフィアを護り、光の宝玉を取り返すために。そして、風の竜を復活させるのです。さすればきっと、世界に希望の光が戻ってくるでしょう。ダムドルンドの世界の魔物もこの地より去り、美しいシルフィアが戻ってくるはずです」
ラクシンはゆっくりとうなずくと、自らの手をナムゼの手に合わせた。そしてぐっと互いにその手を握り締める。
聖王ナムゼと聖王ラクシン。
人徳と智慧で知られる二人の聖王は、そのとき初めて互いに手を取り合った。
これは、シルフィアの歴史上に残る奇跡の瞬間であった。




