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そして世界に竜はめぐる  作者: 美汐
第三章 苦悩の檻
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苦悩の檻 1

「ハッ!」


「トウッ!」


 オドネルは、王都の騎士団専用駐屯地にある訓練場で、槍を振り続けていた。

 体中が血で漲り、熱くなってくる。

 したたる汗もそのままに、オドネルはひたすら槍を動かしていた。

 彼の脳裏には、レピデ村の惨状と、エレノアの慟哭する姿があった。それを振り払うために、彼は夜明け前からずっと、兵舎の横に併設されている訓練場で、一人槍を振り続けていたのである。


 辺りが薄明るくなってきても、まだそこには他に誰も人の来る気配はなかった。

 しんとした中で、オドネルのかけ声だけが兵舎の壁に響いている。

 それもそのはずである。まだユクサール天馬騎士団が王都に帰投して、ほんの数時間しか経っていないのだ。まだこの時間、他の団員たちは、疲れて泥のように眠っているはずだった。

 だが、オドネルはまるきり眠れそうになどなかった。一度は自分の部屋へと訪れたものの、休む気が起きず、そのまま訓練場へと足を運んでいたのだった。


 槍を手にすると、少しだけ気が紛れた。

 それまで、悔しさとやるせなさと無力感で、自分がどうにかなってしまいそうだったのだ。

 それを懸命に振り払うように、彼は槍を振り回していた。


(ちくしょうちくしょうちくしょうっ! なにが天馬騎士団だ! なにも護れず、なにも倒せず、ただおめおめと帰ってきただけ! このまま、世界を魔物に食い荒らされようとしているのを、黙って見ているしかないのかよっ!)


 シュッという空を切り裂く音とともに、汗の雫が周囲に飛び散った。

 こうしていれば、少しはわだかまった気持ちが解放される。

 息苦しさから解放される。


 だが、それだけだ。

 無為である。

 魔物たちにその槍が振るえないのならば、こんなことは単なる戯れでしかない。


(なぜもっと早く向かえなかったのか。あと少し早くにたどり着けていたな

ら……)


 いまさらそんなことを考えてもどうしようもないことだとはわかっていた。わかっていたが、どうしてもそう考えてしまう。

 あのときこうしていれば。もっと違う方法を採っていたら。


 そして彼は、エレノアのことを想った。

 激しく慟哭し、王都に帰ってきてから部屋に閉じこもったままの彼女は、今どうしているのだろう。

 気高く強く、美しい彼女は、今回のことにきっと誰よりも責任を感じているだろう。


 誰も悪くなどない。

 けれどユクサール天馬騎士団長という栄誉ある称号は、その輝かしさとともに、大きく重い責任を背負っている。

 その重荷に、彼女が苦しみながら耐えていることをオドネルは想像し、彼女のその苦しみを少しでも自分が代わりに負えたならと、そんなことを思っていた。






 エレノアは自分の部屋にある寝台の上に座っていた。そして、横にあった卓上の杯に入っていた水をひと口飲もうと口をつけた。すると、すぐに胃の腑がよじれる感覚がし、床に置きっぱなしにしていた洗面器の中に嘔吐した。


「う……っ、はあ、はあ……っ」


 もう吐く物などなにも残ってはいないというのに、ずっと吐き気が止まらない。

 鳩尾のあたりがきりきりと痛む。


 悔しい。

 悔しい悔しい悔しい!


 なにもできない自分が歯がゆくて、死んでしまった人たちに申し訳なくて。

 堪えていた涙がまたじわりと滲む。

 なぜ、自分は生きている。なんのためにここにいる。

 人々を救うために、そのためにユクサール天馬騎士団はいるというのに。自分がその団長であるというのに。


(なにもできなかった……!)


 ぎゅっと胸の辺りの衣服を掴む。


 焦土と化した村。

 死んでしまった多くの人たち。

 自分には力があったはずなのに。村の人たちを救うことのできる力があった、そのはずなのに……!


「なんのために、私は……!」


 だんっと卓を叩き付ける。その拍子に水の入っていた杯が倒れ、卓上を濡らした。その水はやがて卓の端からこぼれ落ち、床にぽたぽたと雫のあとをつけていったのだった。



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