王都に潜む影 3
その夜のことだった。
ミネルバの用意した料理に舌鼓を打ち、久しぶりにお腹も心も満たされたエディールは、ミネルバに案内された部屋の寝台で身を横たえていた。干しておいたシーツもなんとか就寝時には間に合ったようで、清潔な寝具をありがたく使わせてもらっていた。
旅の疲れもあり、エディールはすぐに眠りに落ちたようだった。夜の帳が部屋に落ち、静けさが辺りを包む。薄く開いた窓の隙間から月の明かりが細く直線を伸ばしている。
と、部屋になにかの気配が侵入し、エディールの枕元へと近づいてきた。黒い影は音もなく彼に覆い被さると、なにかをその体から取り出し、振り上げた。そして次の瞬間、それは彼の喉元まで落ちてきた。
がっ、とエディールはその何者かの腕を掴んだ。そして、思っていたよりもあまりに細いその感触に驚く。
「ミネルバ……」
信じられないことに、部屋に落ちた月光は、仲間だと思っていた美しい少女の姿を照らし出していた。彼女の手には鋭いナイフが握られており、それは紛れもなくエディールの喉に向けて切っ先を向けている。
「なぜきみがこんなことを」
ミネルバは、エディールの手が少し緩んだ隙に彼の腕を振り払うと、さっと距離を取った。そしてすぐに踵を返し、そのまま部屋の外へと向かって駆け出した。
エディールは寝台から飛び降り、すぐさまそのあとを追いかける。そして二人は月光の降り注ぐ外の世界へと降りたったのだった。
ミネルバは町を繋ぐ橋の上に立っていた。下には川の水が流れている。川の上にあるというのに流されずにあるこの都には、やはり不思議な力が備わっているのだろう。
ミネルバの周囲には、なにか妖しい雰囲気が漂っていた。菫色の髪が月光に透けて、ほのかに光を宿す。
「貴様はミネルバではないな。何者だ?」
エディールはそう声をかけた。すると、彼女はゆっくりと振り向き、まなざしをこちらに向けた。
その瞳には、光がなかった。表情のない顔からは、生気そのものが欠けてしまったように見える。
ミネルバの姿をしているが、目の前にいるのは彼女本人ではない。エディールのなかの本能的ななにかがそれを察していた。やがて、目の前のソレは、ミネルバの口を借りて話し始めた。
『貴様ノモッテイル聖王ヘノ親書ヲコチラヘヨコセ』
その声を聞いた瞬間、ピリピリと背筋が粟立たった。
「魔物……。それもポートワールからずっと付き纏っているシャドーというヤツか? あの吊り橋を壊したのもお前だな」
『親書ヲヨコセ。サモナクバコノ女ノ命ハナイゾ』
「要求はこちらの質問に答えてからするのが礼儀というものだ。礼儀も知らぬ魔物の言うことなど、こちらも聞く耳はないな」
エディールがそう言うや否や、ミネルバの体を操っている魔物は彼に向かって猛然と近づいてきた。そして持っていたナイフで切り付けてくる。
キィン!
エディールも、護身用に身につけているナイフをその手に取り、シャドーの攻撃を跳ね返した。
キンキンキン!
夜の闇に、金属の鳴らす高い音が響き渡る。
ミネルバは、普段の彼女からは考えられないほどの素早さで攻撃を仕掛けてきた。魔物の力によるものに違いなかった。
だが、魔物に操られているとはいえ、体は彼女のものであるはずだ。だとしたら、それを傷つけるわけにはいかない。
エディールは攻撃を受け止めながら、どうするべきかを模索していた。
シュッ、と彼女のナイフの一閃が彼の頬の皮膚を掠めた。パッと散った鮮血に、一瞬だけミネルバの視線がそちらへ流れる。
と、次の刹那。
ズンッ、とその鳩尾にエディールは拳を沈めていた。
ミネルバは大きく一度咳き込んだあと、ついにその動きを止めた。ずしりと重くなったその体を抱え、しばらく彼女の様子を眺めていると、俯けていた口のほうから黒い靄のようなものが出てくるのが見えた。
靄は空気中に散り、やがて薄くなって消えていった。
それを見届けたエディールは、気を失ったミネルバを抱えると、元いた家のほうへと戻っていったのだった。




