まぼろし谷 4
ユヒトたち三人もまたあれから順調に行程を伸ばし、確実にエスティーアへと近づいていた。
「うわあ……っ! すごい……っ!」
ユヒトの眼下には、美しい光景が広がっていた。山あいの谷に流れる川は蛇のようにうねり、森を縦断している。その川を遡ったところには大きな滝が下へと流れ落ちていて、辺りを白く煙らせていた。森の雄大な自然のなか、力強い水の奔流が命の息吹となって世界を流れている。
ユヒトは目の前に広がる壮大な景色に圧倒され、そして感動を覚えていた。
「美しい。噂には聞いていたが、これほどとは……」
ギムレもまた、己の目に映った美しい景色に息を飲んでいた。ユヒトたち一行は、まぼろし谷の全景を望める高台に立っていた。ラバトスの森のほぼ中央。かなり道も昔よりは整備されてきたとはいえ、いまだ多くの謎に包まれた秘境。周囲には見渡す限り森しか見えないことからも、どれほどたどり着くのが困難かがわかる。
「このまぼろし谷の中央を流れるマオル川の源流にあるのが、このハザン国の王都エスティーアだ。あの滝の上に見えるだろう。美しい都とその中央にそびえ立つ塔の姿が」
マリクの言うとおり、その都は滝の上にあった。絶えず流れる滝の両側にある岸壁には、階段が作られており、岩壁をくり抜いて作ったのであろう家々が、滝を登るように続いていた。その滝を登りきるとその先には高い塔が建っていて、その塔を中心に、水流の間に町が形成され、見たこともないような不思議な景観を作り出していた。
「水の都って聞いてたけど、本当に水の上に都があるんだね。どうやって町が作られているのか、すごく不思議だ」
「あれは、川の中州を軸に、それぞれ人工島が網の目のように繋がって形成されているんだ。普通であれば、あんなところに町を作るなんてありえないだろうが、エスティーアは水の竜の加護を強く受けた土地。むしろあの姿こそがエスティーアという都のあるべき姿だったのだ」
「エスティーアの人たちは水とともに生き、暮らしているんだね。水の竜か。きっととても美しい竜なんだろうな」
「俺も見たことはないが、とても美しく清らかな竜らしい。都の神殿には水の竜をかたどった像が祀られているから、都に行ったら一度は見ておくといいだろうな」
ユヒトらはその高台をあとにすると、またエスティーアへと続く山道を歩き出した。朝のうちに森を覆っていた霧が、昼からは晴れて、格段に歩きやすくなっていた。霧に覆われた森は、外からは幻想的に見えるが、実際の森では見晴らしが悪く、多くの危険を孕んでいる。ギムレの生来の勘と、マリクの助言で、霧が晴れるまで同じ場所でじっと動かずにいたことは今回正解だったようだ。
「それにしても、エディールさんやミネルバ、それにルーフェンはどうしているんでしょう。あれから二日が経ってしまいましたけど……」
ユヒトの現在の心配事といえば、そのことばかりだった。無事を信じてはいるものの、日が経つにつれ、不安は募るばかりである。
「エディールのやつは、あの手紙を残していた痕跡からしぶとく先に進んでいるだろうが、ミネルバはちょっと心配だな。あとルーフェンのやつも、シャドーとの戦闘であれからどうしちまったか」
「ミネルバは俺と一緒で、橋から落ちるときに同様の魔法を使って助かっているはずだ。元々この辺りのこともわかっているし、俺たちの魔法があれば、この森の虫や獣などたいした敵ではない。まあ、巨大毒蜘蛛みたいな魔物に出くわしていたとしたら、さすがに厳しいだろうが」
「ルーフェンは……」
ユヒトはルーフェンのことに思いを馳せ、微かに胸が痛んだ。いつも心で通じ合っているはずのルーフェンが、今もまだなにもユヒトに言ってこない。無事であることは信じてはいるものの、自分の呼びかけに答えないこの状況は、いい状態にルーフェンがいないということに相違ないだろう。
元気のないユヒトに、ギムレはドンと背中を叩いて励ます。
「馬鹿野郎。お前が一番にあいつのことを信じなくてどうする。あんな小憎たらしい犬っころが、そう簡単にくたばるわけがねえだろうが。信じていればきっとそのうちひょっこり顔を出すに決まってる。そうだろ?」
「ギムレさん……。そ、そうですよね。ルーフェンは風の竜の分身。僕が今も風の力を身のうちに感じられているということは、ルーフェンもまた無事だということに他なりませんよね。すみません。弱気を見せてしまって」
「だから、お前が謝るようなことじゃねえって。とにかく俺たちに今できることは前に進むことだけだ。それももうすぐそこに見えてきたんだ。早いとこたどり着こうぜ。あの水の都とやらに」
そうしてユヒトたち三人は、エスティーアに向けて歩みを速めたのだった。




