まぼろし谷 2
「……エルフ族は、今はそれこそかなり他種族にも友好的にはなってきましたが、昔は本当に閉鎖的で、他種族に対して随分酷い仕打ちをしてきたという歴史があります。それは主に、エルフ族の持つ不思議な力が他の種族と混じり合うことで、弱まってしまうことを恐れた王家が取ってきた政策でもありました。王家は、純血、特に王族の血を持つエルフの奇跡の力を、民への求心力として利用していたということもあります」
二人の間には、形容できない緊張感が流れていた。ミネルバは話を続ける。それは、エディールに聞かせるというよりは、自分に言い聞かせているような、そんな雰囲気でもあった。
「王家のエルフは、王族同士の婚姻を代々繰り返すことで、その血脈を護ってきました。市井の民のように人間や他種族と混じることを禁忌とし、純血のエルフ族であることを誇りとすることで、他種族との交流を厳しく取り締まっていたのです。ですが、時代の流れとともに、そうしたことに異議を唱える王族も出てくるのは必然でした。そしてついに、禁忌を犯す王族のエルフが現れてしまったのです」
「遙か昔、人間と駆け落ちをしたエルフの王女、エステル様のように、ね」
ミネルバはそれにこくりとうなずく。
「結局、そうして他種族と混じり合ったエルフは、王家を追放され、エスティーアでも低層階級の住む貧民街で貧しい暮らしを余儀なくされました。それでも、本当の愛に包まれて幸せそうだったとも聞きます。けれど、そんな元王族となった人たちには、思ってもみない苦難がまだ待ち受けていたのです。それは、同じ立場であるはずの市井の民からの侮蔑や非難でした。
人々は王族として特権階級の立場だった者が落ちぶれていくのを嘲笑い、エルフ族王家の権威の象徴である血を穢していると罵声を浴びせました。本来なら同じ立場のものとして友好関係を築けるはずなのに。きっとそこには王家の差し金もあったものと思われます。
何人かのそういう人たちのなかには、危険なまぼろし谷を越えて外地へと去っていくものもいましたが、何人かの元王族の人たちは、生まれ育ったエスティーアから離れることを厭い、苦難とともに町に残ったと聞きます」
ミネルバはそこで言葉を切り、じっとエディールにまなざしを向けた。その真っ直ぐな視線を受け、無表情を保っていたエディールも、にわかに表情を崩した。
「なるほど。きみが言いたいのは、その追放された元王族の末裔がわたしではないのか、ということだね? ふふ。なかなか面白い話だ」
「私の想像、間違ってますか? やはり考えすぎでしょうか?」
エディールは少しの間沈黙したままだったが、ミネルバの真剣な様子に観念したのか、苦笑を浮かべながらうなずいた。
「ほぼ、きみの想像通りだよ。わたしの祖母はエルフ族の元王族。死ぬまで故郷であるエスティーアの地を離れず、苦難とともにその地で果てたと聞いている。わたしの父もまた、そんな祖母の気持ちを汲み取り、エスティーアで生きることを選んだが、わたしの小さい頃に運悪く森の獣にやられて亡くなった。そして父をなくした母は、幼いわたしを連れて外地に住み家を求めて旅立ったんだ」
「そうだったんですか……。話しにくいことをお話させてしまって申し訳ありません」
「いや。きみが謝るようなことではないよ。ただ、そういう理由もあって、故郷に帰ることは複雑な気持ちもあるんだ。帰るのは幼い頃に母と旅立って以来でもあるからね。さて、この話はもうここまでだ。そろそろ先を進もうか」
エディールはそう言うと、何事もなかったかのように颯爽とした足どりで洞窟へと向かっていった。ミネルバはその後ろ姿を複雑な気持ちで見守りながら、後ろに続いて洞窟内へと足を踏み入れていったのだった。




