港町の盗人 5
一悶着あったものの、ゴントも一旦家に帰ったところで、ユヒトたち一行は倉庫の見張りを開始した。
あれから話し合い、倉庫の外と中と二手に分かれることになり、ユヒトとギムレは外、エディールとルーフェンは倉庫の中の担当となった。
「本当に盗人なんて現れるんでしょうか?」
木箱の陰に隠れながら、ユヒトは隣のギムレに話しかける。
「さあ、どうだかな。まあ、現れなきゃ現れないに越したことはない。どちらにしろ、見張りは今日だけという約束だ。とりあえず俺たちは受けた仕事をしっかりとこなすだけだ」
「そうですね」
ユヒトはうなずくと、それからは黙って周囲に注意を配った。
辺りは月明かりがあるとはいえ、青みを含んだ深い闇に沈んでいる。しんとした静けさのなか、聞こえてくるのはかすかな波の音。
遠くのほうで波頭が弾ける淡いせせらぎに耳を傾けながら、ユヒトはじっと闇夜に気を張る。自らの呼吸音がいつもより大きく聞こえて、否応なしに緊張感が高まった。
静寂と暗闇には、異界への扉をこちらの世界に近づける魔力があるといわれる。
もしかすると、今もそこに魔物が潜んでいるのかもしれない。
そう考えたら、むしろそうでないことを考えるほうが難しかった。
ぞくり、と肌が粟立つ。ジグルドと戦ったときの、身震いするような記憶が脳裏を駆け巡る。闇が体中の細胞を浸食し、己のすべてが飲み込まれてしまう恐怖。圧倒的なまでのあの強大な悪の力を思い出し、じわりと手に汗が滲んだ。
そんな記憶に胸苦しい気持ちを抱いていると、ふいに遠くのほうで闇が膨らんだような気がした。
どくんと胸が高鳴る。
(……なんだ? 今の)
ユヒトがその気配のした方へ目を凝らすと、また違う何かの気配を今度は近くで感じた。
「おい……っ。ユヒト……! あそこ……っ」
ギムレもそれに気付いたようで、小声でユヒトに話しかけてきた。
「……誰かがいるみたいですね。暗くてよく見えませんが」
「もう少し近づいてくるまで様子をみよう」
そうしてしばらくじっと物陰で二人が息を潜めていると、何者かが倉庫の前に近づいてきた。灯りも持たずにたたずむ影は、月明かりのわずかな光でかろうじてそこにいるとわかる。もしやあれがゴントの言っていた犯人かと、急に心が逸った。
「どうしましょう。出ていって事情を訊いてみます? それかもう少し様子を見ていたほうがいいでしょうか」
「そうだな……。もう少しだけ様子を見ることにするか」
二人はもうしばらく倉庫前にたたずむ何者かの様子をうかがうことにした。
そうして見ていると、そのうち月を翳らせていた雲が移動し、辺りが先程よりも明るく照らされた。それでようやくその人物の容姿をある程度見ることができた。
顔は影になっていてよく見えなかったが、細身の体つきをしたわりと若い人物のように見えた。その人はそれからおもむろに倉庫前の地面にしゃがみ込んだかと思うと、なにかを地面に書き出した。そしてその作業が終わると、すっとその場から離れていった。
「あっ、ギムレさん。あの人もう行っちゃうみたいですよ。どうしましょう?」
「ううむ。やはり怪しい。怪しすぎる……! これはもう出ていくしかあるまい!」
ギムレはすっくと立ちあがったかと思うと、一目散にその人物に向かって駆けていった。
「わっ。待ってくださいよ。ギムレさん!」
とユヒトも慌ててそれに続く。
「待て! そこの怪しいヤツ」
身も蓋もない言い方にヒヤヒヤしながら、ユヒトは前方の様子を見つめていた。すると、ギムレの制止に問題の人物がこちらを振り向いた。
美しく流れ落ちたのは、菫色の髪。琥珀色の双眸は神秘的な光を放っていた。旅人風のいでたちでどこか冷めたような表情をしているが、かなりの美貌の持ち主であることは間違いない。しかしどこか中性的で、一見して男か女かわからなかった。
「なにか私にご用ですか?」
発した声の響きから、その人物が女性であることがわかった。女性といってもまだあどけなさの残る少女といった年頃に見える。
「ぬ……」
案の定、強面のくせに女性にはからきし弱いギムレは言葉に詰まった様子を見せた。それを見たユヒトは代わりに彼の前へと躍り出る。
「あ、あの。すみません。急にお呼び立てして。ちょっとお訊きしたいことがありまして」
「訊きたいこと?」
「先程あそこの倉庫前であなたなにかしてましたよね」
「あら、見ていたのですね」
「実は最近この近辺で盗難騒ぎが多発しているらしく、僕たちその見張りについていたんです。そんなときにあなたが現れ、なにやら怪しい行動をしていた。少しそれについてお訊ねしたいと思いまして」
ユヒトの問いかけに、少女は愁眉を寄せた。
「つまり、私に泥棒の嫌疑がかけられていると、そういうわけですか?」
「ええ、まあ。端的に言えばそういうことになります」
少女はしばし沈黙すると、今度はじっとユヒトを見つめた。ユヒトはその神秘的な瞳に吸い込まれそうな気持ちになり、思わずごくりと喉を鳴らした。
「あなた……風の竜の加護を受けていますね」
少女の言葉に、ユヒトはもちろん、ギムレも驚きの声をあげた。
「あ、あんた、なぜそのことを……?」
「うふふ。やっぱりそうなんですね。会えて光栄です。セレイアにたどり着いた使者さん」
少女は嬉しそうに笑い声をあげ、友好的な笑みをユヒトたちに向けた。




