〈番外編〉 白き竜が見る夢は
第一部に登場するルーフェンを主人公とした番外編です。
ネタバレを含みますので、第一部本編を読んでから読むことをおすすめします。
白い毛並みが波打つように揺れていた。一匹の白き獣は、青い空を割くように彼方へと向かう。背に生えた翼を懸命に羽ばたかせながら、彼はついさっきまで共にいた風の竜のことを思った。
優しく清らかで、しなやかな強さを持つ竜は、そのときすでに瀕死の状態のさなかにあった。
セレイアの女王を護るために、死力を尽くした風の竜〈フェン〉だったが、もはや残された力はわずかしかなかった。
しかし、その残された力でやらなければならないことが、風の竜にはあった。
――どうか世界を。女王を。
この愛しき世界を、お救いください。
白き竜の祈りは、光となってその胸に宿った。そして光は珠となり、風の竜の胸から飛び出した。
どうか、お願い。
わが分身よ。
このシルフィアに残された最後の希望のきみよ。
どうか、世界を、女王を救って――。
風の竜の悲痛な祈りは、たくされたその身を焦がした。
ルーフェンは、半身である風の竜の悲しみと痛みが、痛いほどよくわかった。苦しくてつらくて、張り裂けそうなほどなのに、それでもただただ慈愛に満ちた竜の祈りを、ルーフェンは感じていた。
――きっとその願い、叶えてみせる。
ルーフェンに与えられた使命は、その小さな体には重すぎるほどに重かった。しかし、だからといって、あきらめることなどできるはずもなかった。そして、そんな想いは、わずかも彼の胸にはなかったのだった。
(風の竜。オレの半身。尊き慈愛の竜。大丈夫。お前の願いはオレが叶える。この世界を再びお前がめぐって、豊かな風で満たすように、オレがきっとこの危機を救ってみせる)
ルーフェンは、熱き想いを胸に、白き光となって南へと向かった。
痛みと孤独に身を震わせながら、力尽きるようにルーフェンはとある森に降り立った。その森はシルフィアの南の国フェリアの南西部に位置する場所だった。
南へと進路を取ったのには、確とした理由があったわけではない。けれどルーフェンは、なにかに導かれるように、南へ南へと向かい続けた。
その森には、白い木が生い茂っていた。セクと呼ばれる白い木の生える白の森。ただ、本来の輝くような白とは違い、どこかくすんだ力のない幹の色をしていた。
(これも風の竜が活動を停止した影響か……)
ルーフェンはそのなかの一つの木を選び、根元に倒れるように崩れ落ちた。
ルーフェンの体には、もはやどれほどの力も残ってはいなかった。彼は風の竜が最後の力を振り絞って生み出した力の欠片だったが、休みなく飛び続けた長い旅は、傷ついた身には相当にこたえていた。
(眠い……)
ルーフェンは、どうしようもない疲労感と眠気に襲われ、ついに重い目蓋を閉じたのだった。
ルーフェンは夢のなかにいた。
風がなびく草原のなか、一人の少年が空を見上げていた。
栗色の髪と、紺碧の瞳を持ったその少年は、気持ちよさげに草原を撫でる風をその身に受けていた。風も彼の体を撫でるのが楽しくて、躍るようにその丘を吹き抜けていた。
風が吹くたびに、少年の髪の毛はキラキラと輝く。
少年はそのたびに、嬉しそうに大きく手を広げていた。
大好きだよ。きみのことが。
そんなふうに風に向かって少年は言っているようだった。
ルーフェンは、そんな彼のことが一瞬で好きになり、彼に会いたいと強く思った。
風の声を聞き、風を愛する少年。
きっと彼ならこの世界を救える。彼ならこのシルフィアに、再び風を起こすことができる。
ルーフェンは、夢のなかで風となり、少年をその胸に包んだ。
再び目が覚めたとき、ルーフェンは闇のなかにいた。体の下の木の感触から、どこか建物のなかにいることはわかった。
身じろぎすると、体の近くでじゃらりと音が聞こえた。目をそちらに向けると、鎖のようなものが自分の首から伸びているのが見えた。
とてつもなく嫌な予感がして、すぐに首に前足を伸ばした。冷たくて硬いなにかが、己の首に巻き付いているのがわかった。ルーフェンはそれを外そうと首を振ったりもがいたりしてみたが、まるきりそれは体から外れる気配はなかった。
すぐに首輪になにかしらの呪術がかけられていることに気付いたが、今のルーフェンに、それを外して逃げるだけの力は残っていなかった。
(しまった。寝ている間に捕まったんだ……!)
ルーフェンは、己の油断が招いたこの事態に、強く後悔した。
しかし嘆いたとて、いまはどうすることもできない。
(ごめん。風の竜。お前の願いのためにここまで来たのに……)
ルーフェンは悲しみに震え、目に涙を浮かべた。
世界が次第に崩壊へと向かっている。そんな大変なときに、自分がなにもできないのだとしたら、こんなに悔しいことはない。
そのとき、ふいにルーフェンは優しい声を聞いた気がした。
『大丈夫』
柔らかな懐かしいその声を聞き、ルーフェンは落ち着きを取り戻した。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
(きっと来る)
ルーフェンは予感していた。
風が吹く丘に立っていたあの少年。
彼と自分は、運命的ななにかで繋がっている。そのことを、ルーフェンははっきりとあの夢のなかで理解していた。
だとしたら、こんな些細な障害はなんの問題もないはずだ。
じきに彼はここにやって来るだろう。そして自分を見つけてくれるはずだ。
ルーフェンは、あの青い瞳の少年にもうすぐ会えるそのときを思い描いた。
きっと彼は自分を受け入れてくれるだろう。そして自分とともに、歩んでいってくれるだろう。
その運命がどんなに困難なものだとしても。
ルーフェンは、その小さな体を抱き締め、祈るように再び眠りに落ちた。
〈番外編 白き竜の見る夢は 終〉




