青い空の彼方に ■
王都へと帰還したエレノアを待っていたのは、聖王からの召喚状だった。さっそく城へと向かい、聖王への謁見に向かった。
途中、聖王の側近の一人であるエクバムが、手を揉みながら近づいてきた。
「この度の活躍、お聞きしましたぞ! さすがは天下に名高いユクサール天馬騎士団。エレノア殿さえいれば、我が国も安泰でありましょうな」
強きものになびき、己が身を護ろうとする。そんなエクバムの思惑などとうにお見通しのエレノアは、そんな彼を一顧だにすることなく、謁見の間へと真っ直ぐに向かった。
謁見の間の前にいた兵士に声をかけ、扉を開けさせると、そこにこの国の聖王であるラクシンが待っていた。
「エレノア。よくぞ無事帰還した。ご苦労であったな」
玉座の前で跪いたエレノアに、ラクシンはそう声をかけた。そのねぎらいの言葉に、エレノアは素直に感謝の意を示す。
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
天窓から陽の光が燦々と降ってきていた。この日はいつになく空が晴れ渡っていた。美しい青色が、天窓の先に広がっている。
「実は今日、そなたに来てもらったのには、今後のことについて、話をしたかっ
たからだ」
エレノアはつと顔をあげ、ラクシンの顔を見つめた。怜悧で知的な聖王の額の竜玉が、光を浴びてきらりと光を放っていた。
「我が国は、先日南の国フェリアと同盟を結んだ。現在東の国ハザンにも同様の同盟を結ぼうと、我が国セイランとフェリアから使者が送られている」
――三国同盟。
その話は、エレノアも以前に耳にしていた。現在のシルフィアの危機は、北の国ノーゼスから端を発していた。北の国の聖王はシルフィアの神である女王に反旗を翻し、魔物たちと手を組み、この世界を牛耳ろうと企んでいるらしい。
だが、そんなことは断じて許されることではない。人間が神にとって変わろうなど、決してあってはならないことなのだ。しかもシルフィアと対を為す世界の魔物の力を使って。
なにが北の聖王をそうさせたのか。なにが彼を狂気に走らせたのか。
それはわからない。だが、どんな理由があるにせよ、それを許すわけにはいかない。どんな手を使っても北の国と魔物らにこの世界を渡すわけにはいかない。
「まだ東のハザンからの返事はきていないが、先日の魔物の我が国への侵攻などを鑑みて、フェリアへと援軍を要請し、北への進軍をそろそろ考え始めたいと思う」
少し赤みを帯びた黒き瞳が、エレノアをじっと見つめていた。エレノアはその瞳の奥の闘志に胸が震え、熱くなった。
「ついてきてくれるか」
その言葉に、否やはなかった。ただ、どんなことがあってもついていく。この聖王に忠誠を誓ったそのときより、エレノアの返事は決まっていた。
「おおせのままに」
頭を垂れ、誓いを胸に刻む。
北との決戦のときは、すぐそこまで近づいてきていた。
騎士団駐屯地内の訓練場で、ナギリは槍を振るっていた。足が少し不自由なナギリだが、その槍の腕前は、並みの騎士団員たちよりもすごい。肉体も鍛えられており、無駄な贅肉などは一切ついていなかった。先程から訓練場内で一人汗を流している。
とそこに、小さな人影が後ろから近づいてきていた。
「パパ……」
その声に驚き、ナギリは槍を振るのをやめて、そちらを振り向いた。
「ニナ……」
娘とまともに声をかわすのがかなり久しぶりになるナギリは、その顔に緊張の色を現していた。ナギリは妻であるカチュアを亡くしたときから、心を閉ざし、優しかった面影をなくしていた。そんな父親に、当然ニナはあまり近づかなくなった。そのことをナギリもわかってはいたが、それに対しどうすることもしてこなかった。
それより、こんな憎しみの心に染まった自分と一緒にいるよりも、村長の家で健やかに暮らしていてくれたほうが助かるとさえ思っていたのだった。
そんなナギリの心を知ってか知らずか、ニナはとことこと父親のもとへ近づいてきた。
そして、突然満面の笑みを見せた。
どきりと心臓が鳴る。
それからさらにこんなことを言った。
「助けにきてくれて、ありがと!」
鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、ナギリはぽかんと口を開けていた。
そんな父親に言いたいことだけ言ったニナは、「じゃーね」という言葉を残すと踵を返してそこから去っていった。
しばらく経ち、ナギリはどんどん自分の顔が紅潮していくのを感じていた。
嬉しくて嬉しくて。
彼の少し皺の見える目尻に、きらりと光るものが浮かんでいたのだった。
エルネストは、いつもの駐屯地内にある東屋で、同期組のアーニャとリュードたちと、ひとときの休憩時間を過ごしていた。
「あー、今日はひっさしぶりにいい天気だな」
エルネストが両手をあげて伸びをしながらそう言うと、アーニャがくすくすと笑った。
「いいわね。エルネストのそれを聞くと、なんか平和な感じがする」
「は? なんだよ。それってどういう意味?」
エルネストが微妙な顔つきになって聞き返すと、左側にいたリュードが言った。
「馬鹿は頭が平和ってことでしょうね。まったく僕も、のんきなあなたが羨ましいですよ」
眼鏡の奥の目が馬鹿にした目であることに気づいたエルネストは、みるみるうちに頬を膨らませ、眉間に皺を寄せた。
「てめえらっ! おれは平和馬鹿じゃねえ! 平和が好きなだけだ!」
その言葉に、アーニャとリュードはさらに吹き出した。
「もうっ、あんまり笑わせないでよ!」
「本当に手に負えない馬鹿っぷりですね! まさしくあなたの存在こそが平和ですよ」
笑い声の充満する東屋に、一人憤然とするエルネストである。
と、そこに背の高い二人の大人がやってきた。
「お、なんか楽しそうにやってるな」
「笑い声が随分先まで響いていたぞ。なんの話をしていたんだ?」
リバゴとオドネルである。
「ああ、あのですね」
アーニャが正直に話そうとするのを、慌ててエルネストが止めた。
「だーっ! 言わなくていい言わなくていい!」
アーニャの口を塞ぐエルネストを見て、今度はリュードが騒ぎ立てた。
「なっ。ちょっと、エルネスト! アーニャさんの麗しい顔をそんな汚い手で触るなんて……!」
リュードがエルネストにからみつき、アーニャからその手を引きはがそうとする。ますます大騒ぎとなった新人騎士たちを、大人たちは大笑いしながら見ていた。
とそこに、後ろから赤い髪の毛をなびかせながら近づいてきた人物がいた。
「元気があっていいな。お前たちは」
その声に気づいたエルネストが、動きを止めてそちらを見やった。
「エレノア団長!」
慌てて三人は体勢を整えるが、みな髪はぼさぼさ、服は皺だらけといった様相を呈していた。そんな姿にエレノアは思わず笑みをこぼした。そして、こんなことを言った。
「お前たちがいてくれれば、きっとこの先も大丈夫だ」
その言葉の意味は、そのときのエルネストにはわからなかった。
ただ、その日の空の青さにエレノアの赤い髪が映え、なにか眩しいものを見たように彼は目を細めた。
「さあ。そろそろ午後の訓練が始まるぞ。お前たち、遅れるなよ」
エレノアがそう言って、そこから立ち去っていく。
「はい。団長!」
新人騎士たち三人の声が、青い空へと吸い込まれていった。
―第二部完―
※2017年1月26日追記
イラストは五十鈴りく様よりいただいたエレノアです。普段戦いに身を置く彼女ですが、本当の彼女はこんなふうに女性らしい人だと思っており、そんなところを本当に素敵に表現してくださいました。とても優しそうな美しいエレノアさんです。
イラストの無断転載は控えてください。
これにて第二部完結です。ここまでお付き合いくださった方々、本当にありがとうございました! 少しでもこのお話が記憶として残ってくださっていると、とても光栄に思います。
第二部は皆様の期待と予想を大きく裏切ったまま進んでいきましたが、次の第三部はようやくお待ちかねの彼らが登場します! まだかまだかと思っていてくださったかた、申し訳ありませんでした。今度こそあの人たちのお話です。
さて、その第三部の公開についてですが、ただいま鋭意執筆中であります。しかし、なかなか遅筆なものでまだまだこれからといった状況です。はっきりいつ頃ということがいえず、申し訳ありませんが、できればそれまでお待ちいただけると嬉しく思います。
長い目で見ていただければ……と思っております。 皆様の応援があればそのぶん頑張れるかもしれません。
詳しい予定などはまた、活動報告などで発表していきたいと思います。
では、最後までお読みいただきありがとうございました!
2016年5月23日 美汐拝




