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研究所《ラボ》


 九天魔城の一棟(ひとむね)に第三魔王狂気(マッド)Dr.ナーヴァスの研究所ラボがあった。


 それは膨大な大倉庫のような巨大空間である。


 乱雑に積まれた魔法演算機、不気味な形の魔法バイオ機器。


 灯りはほとんどない。


 あちこちで起こる魔力反応だけが盛んにまたたいているけれど、その光は研究所ラボの広大な奥行きまでは届かず、四方はただ暗闇をもってこれを区切っていた。


 チューン、カタカタ……カタ……チューン!


 そんなガジェットの山が夜の海に浮かぶ船団のごとき影を演じている中心に、とりわけ高出力の魔力を放つ一つのカプセルがあった。


 カプセルは人一人が納まる程度のサイズ。


 形はヒトの心臓に似ている。


 見た目の不気味さは制作者の趣味であろうか。


 ちょうどその右心室あたりに円形のガラス戸があって、搭乗者の姿がかいまみえる。


「あの男はおもしろいのじゃ。数百年ぶりに興味がそそられる。それからエイガ・ジャニエスとかいう人間も……」


 中に入っているのはこの部屋の主、魔王ナーヴァス。


 もっとも、目元は魔法VR機器で覆われていているのだが、その頭上の二本のツノと童女がごとき頬の幼さで魔王その人とわかる。


「おーっほっほほ! 申しておろう。このボディは観戦用の幻影。じきに消えるのじゃ」


 まるで一人言を言っているように見えるがそうではない。


 彼女は下の世界へ送ったアバターを操作し、異次元の空で遭遇エンカウントした敵へ話していたのであった。


 そう。


 このカプセルはその作り出したアバターと感覚を同期し、操作するVR送受信機なのである。


 ……プシュー!


 ふいに心蔵型カプセルから勢いよく魔蒸気があがった。


 アバターとの同期を終了したのである。


「やれやれ、あいかわらず無茶するヤツなのじゃ」


  ナーヴァスは元からVR視聴覚機を外すとあきれたように唇を尖らせた。


「おかえりなさいませ。ナーヴァス様」


 カプセルの円ガラスがぱかっと開く。


 声の方を見やると、ナース服の女悪魔が一柱(ひざまず)いていた。


 彼女の副将である。


「ゼル……見ておったか」


「もちろんでございます」


 女悪魔ゼルは主とは対照的に大人っぽい女性の姿をしていた。


 グラマラスな姿容、肌色は異形の灰色グレー肌。


 ナース服の白スカートからのぞく銀色の膝は忠誠心を象徴するがごとくピタリと石畳に接していた。


「まさかあのグリコ・フォンタニエまで観戦に来ていたとは想定外でございましたね」


 ゼルは美しい青色の唇をかんで悔しがる。


「ヤツを殺す絶好の機でございましたのに……分身アバターではナーヴァス様のお力の1割も発揮することはできない。その点、ムーン・シューターには開発の余地が残されておりましょう」


「いいや……分身アバターの戦闘能力はもうよいのじゃ」


 ナーヴィスは心蔵型カプセル【ムーン・シューター】の側面に設置された魔道モニタへ流れる数値を眺めながら言った。


「それよりも感覚同期がまだ甘いのう。視覚は65%。 聴覚は71%、それはまだいいとして、嗅覚は12%、触覚、味覚に到っては6%、4%じゃ。これでは五感を再現した『仮想現実』とは言えぬ。別にムーン・シューターはわらわの戦闘スーツとして開発しておるわけではないのじゃ」


「……そうでございました。ヒトが身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する――これぞムーン・シューターの目的」


 そう。


 彼女らはこのムーン・シューターを上の世界の人間たちへ大量販売し、アバターの転送によって下の世界で遊興ゲームさせようとしていたのである。


 名付けてムーン・シューター計画。


 これが成功すれば、ゆくゆくは上の世界の人間たちは、24時間の半分をムーン・シューターで夢幻の時を過ごし、もう半分を原材料生産の奴隷的労働に費やすという家畜的ライフ・サイクルを受け入れていくだろう。


 下の世界の人間たちがこの世界を地獄と呼ぶまさにその通りが完成するのだ。


 人間には到程思いもよらない悪魔的発想である。


「しかしナーヴァス様。触覚、味覚の再現はアウトプット、インプット双方に困難を極めます。 この際、視覚と聴覚のみの感覚をピックアップして、もう仮想現実(VR)と名打ってしまえばそれでよろしいのでは?」


「む……?」


 ナーヴァスは首をかしげた。


「たしかに現状でも視覚と聴覚だけは現実に近い再現率がある。しかし、ご馳走を食べても味も香りもしない、おっぱいを揉んでもプニプニしない。そんな世界などにヒトは没頭せぬのではないか?」


「いいえ、ナーヴァス様」


 ゼルは美しい銀色の肌に生え際のハッキリする瑠璃紺るりこん色の髪へ手櫛を入れると続ける。


「例えば、生まれた時から洞窟の奥へ縛り付けられ、首を固定され、ある岩壁のみを見続けていた人間がいたとしましょう。その逆側からは光が照らされ、いろいろな影が映されている。するとその人間は、影に映された花を花の美しさだと思い、影に映された馬を馬の優雅さだと思い、納得するでしょう。何故なら本物の花の色も馬の躍動も知らないのですから」


「うーん、難しいのじゃ。つまりどういうことなのじゃ?」


「つまり、乳房を揉んだことがなく、乳房がプニプニとするという前情報もない者にとっては、視覚情報で自分が乳房を揉んだという物語をしつらえてやれば納得するのです。影の花を花の美しさだと満足するように……」


 第三魔王、狂気マッドDr.ナーヴァスはすさまじい魔力と理系頭脳を持っていたが、文系、社会科学的な戦術や支配戦略においては副将ゼルが数段長けていた。


「さいわい現実の乳房を揉んだことのある者は減ってきておりますし、ムーン・シューターが普及すればさらに減るでしょう。他のことにおいても同様でございます」


「……なるほど。ヒトに合わせて機械を作らずとも、機械にヒトが合わせるようになるということじゃな」


「さすがナーヴァス様! ご理解が早うございますわ」


 ゼルは表情の少ない顔へかすかに笑みを浮かべた。


 その美しさはあまりにおそろしいので、もし人が見ていたら卒倒していたに違いない。



 ◇



「それでは早速、ムーン・シューターの大量生産のためにファンドを立ち上げて投資家どもを集めてまいりますわ」


「待て」


 ナーヴァスは出て行こうとするゼルの看護婦ナース服の裾をキュっとつかんだ。


「その前にわらわの供をするのじゃ」


「おでかけでございますか?」


「うむ……早急にあやつへ釘を刺しておかんとの」


 そう言って研究所ラボを出ようとしたのだが、


「お待ちください。その前にシャワーを浴びられては……」


 と、たしなめられて自分の二の腕をクンクンとかいでみる。


「ムーンシューターはこれが難点じゃ。やはり汗っぽいかのう?」


「ええ、素晴らしい香りでございますわ。ナーヴァス様のかぐわしき汗香を他の誰かにかがせるなど、あってはならぬことですもの」


「?……う、うむ」


「世の中のオスというものは一人残らずすべて変態でございます。幼女の汗の香りなんぞをかごうものならたちまち発情して襲いかかってきましょう」


「そうなのか?」


「はい(断定)。もちろん脆弱なオスどもでは瞬時にナーヴァス様の返り討ちに合いましょうが、その穢れた返り血でマーキングせんと企んでいるに違いなく……」


 ゼルは時おりよくわからないことを言う。


 首をかしげながらも、手を引かれて浴場へ向かった。


「わーい! 泡風呂なのじゃ!!」


 あわあわあわ……☆☆


 準備のよいことである。


 ばんざいをして幼女用ビキニアーマーを脱がせてもらい裸ん坊になると、ムクムクと起こる泡へ向かって飛び込んでいった。


「ナーヴァス様。しばしジッとしていてくださいませ」


 ゼルは美しい顔で何故かフンッフンッと鼻息を荒くしつつ、ナーヴァスの幼女体型を丹念たんねんに洗っていく。


 小麦色の幼女肌に弾けるあわ


 すみずみまで洗い終わると、ゼルは自身の看護婦ナース服が濡れ滴るのもお構いなく、肢体のあわを丁寧に洗い流していく。


 続いて、ふわっふわのバスタオルでその水滴を吸い上げ、風魔法で濡れそぼった髪をブローする。


 最後にゼルは、ナーヴァスの小さな乳房のひとつひとつがまるで宝石であるかのように幼女用のビキニ・アーマーをやさしくめていった。


 ちなみにナーヴァスは数千年の歴史ある大魔王であるが、ゼルの力がなければ風呂もトイレもできない。


 これは地獄でも数人しか知らないトップシークレットである。


「ひっ、ナーヴァス様……」


「いってらっしゃいませ!」


 だが、魔王の間を一歩外へ出れば、九天魔城の魔物どもすべての畏怖の対象なのであった。


 屈強な大鬼も、爵位持ちの悪魔も、彼女とすれ違おうものなら壁に張り付いてはいぼんぼん。


 頭を低くし、ぶるぶると震える他ない。


 もっとも、そのような路傍ろぼうの連中などナーヴァスは一瞥いちべつもくれぬどころか存在も意識していないのではあるが、仮に粗相そそうがあったり、態度が悪かったり、ガンを付けたと副将のゼルに判断されたなら、死ぬよりも恐ろしい刑に処されることとなる。


(あの虫ケラを見るような冷たい目♡)


(ああ、たまらん♡ 我々とてあまたの町を滅ぼしてきた強豪ではあるのに……)


(ぬおおお! せめてその御足に踏まれてみたい……♡♡♡)


 廊下にひざまずく屈強な魔物たちは、ぶるぶると震えながらもそんな恍惚こうこつを瞳に宿していたのだから、ゼルの見立てはあながち間違いではないのかもしれない。


 さて、かようにまが(まが)しき欲望渦巻(うずま)く九天魔城の中。


 そんな超強ちょうつよビキニアーマー幼女なんぞには見向きもせずに一人剣を振っている男がいた。


「む……」


 ナーヴァスは城の渡り廊下から中庭へ降り、その全身鎧の男のところへ向かう。


「おい、おぬし」


 女魔王が話かけても、全身鎧は剣の素振りをヤメなかった。


 いや、単なる素振りではない。


 男の剣の先には仮想敵があるらしく、はたからみていてもそのイメージが見え隠れするほどである。


「おい、あの人間。殺されるぞ」


「バカな男だ。ナーヴァス様を前にこうべを垂れぬとは」


 城の魔物どもは口々にほざいていた。


 だが、ナーヴァスは別に気を害することもなく、勝手に続ける。


「人間。おぬし、クロスとか言ったのう」


「……」


「忠告しておく。グリコに余計なことを吹き込むのはよせ。あれはわらわのおもちゃじゃ」


「……ユウリのことか?」


 全身鎧は修業をヤメなかったが、ようやく応答はした。


「お前にとやかく言われる筋合いはない」


 ぶっきらぼうで無礼な物言い。


 これにはむしろ隣のゼルがいきり立ったが、魔王は片手をあげて副将を制止した。


「やれやれ、おぬしのためにもその方がよいと思うがのう。やすやすと地獄門を超えることができておるのは、誰のおかげだと思っておるのじゃ?」


「……この鎧はユウリの力だ。お前は関係ない」


「ふん、あいかわらず人間は愚かなものですわ」


 ゼルが常に瞳孔が開いたようなおそろしい目でクロスをにらみつつ言った。


「そのアルム・アーマーは死神の能力。ユウリが光魔道士から真逆の死神へと転職できたのはナーヴァス様のお力でしてよ」


「黙れ」


 クロスはようやく剣を止め、振り返って言った。


「お前らのような悪魔がただの親切でやったわけがない」


「ククク。そうじゃそうじゃ。おぬしようわかっておる。わらわはおそろしき大魔王なのじゃからな!」


 ナーヴァスは笑いながら続ける。


「おぬしにはこっそりと教えておいてやる。ユウリの記憶を消したのはわらわなのじゃ」


「なに……!?」


「当然じゃろう。ヒトが生れ持った才を改変するのは禁忌……代償は必要じゃからの。ヤツの転職の願いを聞き入れてやる代わりに、記憶をいただいた。それはそういう契約なのじゃ」


「……悪魔との契約というわけか」


「ユウリが魔王になるためにはひとつ障害があった。それは姉の愛じゃ。せっかく世界全体に絶望して魔王になろうという野望を秘めていても、姉との愛という小さな世界に満足してしまっては大事はなせぬ。だから忘れてもらったというわけじゃ」


「しかし、ユウリは記憶を取り戻しつつある」


「そう。だから今ユウリを姉に会わせてしまっては台無しなのじゃ。ふたりの邂逅かいこうはもう少し後、ユウリの心が完全に闇に染まり切った後にせねばならぬ。わらわの望みはその弟姉の戦いを見ること。世界一位の女が戦う魔王の正体が生き別れた弟……とってもロマンティックなのじゃ」


「……悪魔め」


「ククク、そう褒めるでない。それにおぬしにとってもその方がよいのではないか?」


「どういう意味だ」


「おぬし、エイガ・ジャニエスとかいう昔の仲間との戦いにずいぶん執着しておるらしいの? ユウリが魔王への野望を捨ててしまったら、おぬしは上の世界にいられなくなる。そやつがおぬしと戦う理由もなくなってしまう。そうじゃろ?」


「……」


「ククク、おぬしが固執するのもわかるのじゃ。エイガ・ジャニエス……あやつも良いおもちゃになる」


 瞬間、クロスが剣を抜く初動が目に入った。


 しかし予想通りの反応である。


 ナーヴァスは挑発の前に、あらかじめ間合いを詰める準備を腰に施していたのだった。


 初動0拍の間に距離を詰め、その剣がさやから抜ける前に右手でつかを制した。


激昂げきこうの力みで抜刀が遅れていたのじゃ。気を付けることじゃの」


「う……!」


 柄を抑えた右手で、そのまま魔力を放つ。


「……ぐわッ!!」


 分身アバターではない、魔王ナーヴァス本体の攻撃である。


 一撃で国ひとつを滅ぼすほどの衝撃。


 全身鎧をまとった勇者の身体さえ矢のように吹き飛ばす。


 ちゅどーん!!!……


 彼の身はそのまま九天魔城の壁へ突撃した。


「ふん、さすがは勇者じゃのう。城外の山まで飛ばすつもりじゃったのだけど」


 もう動けないと見て足下に見下すが、ふいに半壊の全身鎧からクロスの鋭い眼光が睨み返してきたので少し驚く。


「……す……な……」


「なんじゃと?」


「エ……エイガには手を出すな……」


 その絞り出すような声を聞いた時、ナーヴァスの身体にぞくぞくするような愉悦が走った。


「ククク、コココ……キーッキッキッキ!!」


 狂った少女のような悪魔的笑いが自ずとあふれてくる。


 いけない、冷静にならねば……


 そう頭を振った後にこう告げた。


「……悪いようにはせぬわ。きっとおぬしが望むようになる」


「ッ……」


「ゼル、行くのじゃ」


 魔王ナーヴァスはそう残して立ち去った。




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