第八十九話「黒い靄」
フロンと一緒に家に帰って、さっそく技能書を使ってみた。
【技能書スキル:闇魔法ゼロを取得した】
よし、覚えた。
持っていた技能書という名の宝石が砕け散る。
これで俺は石を出すだけの石魔法黒い靄を出すだけの闇魔法を覚えたということになる。
マジックリストから覚えた魔法の名前を確認する。
「マジックリストオープン」
――――――――――――――――――
ストーンスパイク LV2 消費MP4
ダークミスト LV1 消費MP1~
――――――――――――――――――
覚えた魔法の名前はダークミストか。消費MPがかなり低いが、しかし固定ではない。
範囲によって変わるということだろうか?
あと、いつの間にかストーンスパイクの熟練度がLV2になっていた。バリケードを固定するときに結構使ったからだろう。消費MPが1下がっている。
試しにダークミストを使ってみた。
体に悪そうな黒煙が手の中から現れた。これはダークミストというより、ダークスモッグっぽい。
ただ、体には一切害がないそうだ。
しかも、靄の中に入っていてもうっすらと靄の外の様子が見える。これでは目潰しとしての効果も微妙だ。
まぁ、それでも予想通りといえば予想通り。
俺としてはむしろ満足の結果だった。
「そういえば、二属性持ちって実は凄いんじゃないか?」
ゲームとか漫画などでもよくある。
水魔法が得意な人は火魔法が苦手だとか、普通の人間が持っている属性は一種類だけで、異なる二つの属性の魔法を使うのは珍しいとか。
魔法の才能開花してるんじゃない?
「申し上げにくいのですが、見習い魔術師を極めれば、それだけで土魔法、火魔法、水魔法、風魔法、雷魔法、氷魔法、光魔法、闇魔法の八属性の魔法を習得できます」
「……そうなんだ」
「ですが、ご主人様の石魔法はとても珍しい属性です。一目を置かれること間違いありません」
「ただ相手を転ばせるだけの魔法だけどな……どうせ転ばせるなら重力を操ったりしたかった」
ちなみに、珍しい魔法として草魔法や空間魔法、生活魔法などもあるらしい。
生活魔法って普段の生活に使う魔法なのに珍しいの? と尋ねてその効果をフロンから教わり、俺がざっとまとめてみた。
生活魔法Ⅰ:浄化:どんなものでも綺麗にすることができる。一瞬で洗い物が終わるほか、体を綺麗にしたり、腐っている食べ物などでも腐っている部分だけを取り除くことができるらしい。健康・美容保持のチート魔法。
生活魔法Ⅱ:沈黙の空間:周囲に半透明の膜を生み出す。その膜はすり抜けることができるが、音を完全に遮断することができる。竜王の威嚇による攻撃でさえ完全に防ぐ音耐性MAXのチート魔法。
生活魔法Ⅲ:油作製:水魔法で水を生み出すように、油を生み出すことができる。熟練度が上がれば作れる油の種類も増えるらしく、この魔法を覚えるだけで一生食いっぱぐれない。所持金MAXチート魔法。
生活魔法Ⅳ:拠点帰還:自分の家に瞬時に転移できる。本来の転移魔法は移動の距離、人数に応じてMPを消費するのだが、この転移魔法は離れた大陸だろうが、同じMPで転移できる。家を複数持っていたら転移先も増えるらしいので、交易チート魔法。
生活魔法Ⅴ:スタミナヒール:体力を回復させる魔法。ヒールという名前だが、傷が治ったり、病気が治ったりするのではなく、あくまで体力しか回復しないのだが、永遠に走り続けられる無限走りチート魔法。
生活魔法Ⅵ:|エアクッション:空気のクッションを作り出す魔法。ただ、それを壁代わりにして設置すれば、誰も通れない空気の壁となる、足止めチート魔法。
生活魔法Ⅹまであるそうだが、調べてわかるのは生活魔法Ⅵまでらしい。
というのも、生活魔法は入手が非常に困難で、女神像の間で祈りを捧げたら、数百分の一で手に入る。
この世界の迷宮がいくつあるかはわからないが、単純計算で生活魔法Ⅹまで覚えようと思えば数千の迷宮に潜らないといけない。
しかも、生活魔法は順番に習得していくらしく、浄化や沈黙の空間を飛ばしていきなり油作製を覚えたりはしないそうで、生活魔法Ⅲを覚えている人ですら世界には数人しかいないらしい。
拠点作成があったら島に家を建てられるのにと思ったが、さすがに無理そうだ。
なんか、そういう凄い魔法ばかり聞かせられると、石と靄しか出すことのできない自分が悲しくなる。
しかし、そんな悲しみを癒すのも、その靄なのだ。
「フロン、さっそく風呂に入ろう」
「まだ昼ですがいいのですか?」
「実験だからな。これも仕事のうちだ」
いつもは外の陽が落ちてからお風呂に入る。迷宮の中は常に明るいので、昼も夜も関係ないから昼間のうちに外でできる仕事をしておくことが習慣になっていた、その時の名残だ。
しかし、その明るさが問題なのだ。
そう、男と女、二人で風呂に入るには、この部屋は明るすぎる。
ムードもへったくれもない。
俺は男であり、当然明るい場所でゆっくりフロンの生まれたままの姿を凝視したいという気持ちがあるが、しかし彼女の主人に相応しく紳士でありたいと思っている。
脱衣所だって、俺が服を脱いで先に入って、フロンを待っている間、準備を進めた。
「ご主人様、お待たせしました……あの、これは?」
「これが闇魔法の使い方だよ」
闇魔法ゼロの使い方――それは迷宮内の明暗調整である。
迷宮の中は常に明るい。夜でも昼でも関係ない。
最近はだいぶ慣れて来たが、それでも寝るときに明るいというのはどうも慣れない。体内時計がかなり狂ってるんじゃないかと思うほどに。
だが、この魔法があれば、迷宮の中を暗くすることができるんじゃないかと思ったわけだ。
黒い靄が部屋全体に広がる。
範囲をかなり広げていても、MPの消費は3ほど。
しかも、使ってみた感じ、一度出した煙は俺が消そうとしない限り数時間は出し続けることができる。
これでフロンと一緒に風呂に入っても気恥ずかしさがかなり和らぐ。
堂々と――とまではいかないまでも、正面を向いて話ができそうだ。
え? それだけ?
はい、それだけです。まぁ、男だしな。すこしエッチな使い道しか思い浮かばない。
ハズレと呼ばれる魔法だ、仕方ないじゃないか。
きっと、生活魔法のような凄い魔法だったら、こんなしょうもない使い方なんてしないはずだ。
「……何故暗くするのでしょうか?」
「まぁ、この方が雰囲気があるからな。フロン、尻尾から洗うぞ」
俺はいつものように尻尾を洗った。
……いつも、尻尾を洗う時はフロンが背中を向けてくれているからしっかり凝視できるんだけど、暗いとよく見えないな。
尻尾を洗って、一緒に湯に浸かってから暗くするべきだったのかもしれない。
「ご主人様、見えますか? 見えないなら狐火を出しますが」
「ん? あぁ、大丈夫大丈夫、見えないことはないし、万が一フロンの尻尾が焦げたら大変だからな」
俺はそう言って、少し残念に思いながらも彼女の尻尾を洗った。
いやいや、湯に浸かってからがこの魔法のいいところだ。
と思ったが、湯に浸かると、ほとんど見えないんだよ。大切なところらへんが。
ダークミストの煙は、魔法だけあって湯の中にも入っていく。というか、むしろ湯の中の方が暗い。黒い水の中に入っているみたいだ。
俺が海中を泳いでいて鮫に追いかけられたら間違いなくこの魔法を使って逃げるだろうというくらいに何も見えない。
俺が後悔していると――
「ご主人様、手を握ってもいいですか?」
「ん? あぁ、いいぞ」
まったく見えない湯の中で、フロンが手を伸ばして俺の手の上に自分の手を重ねるように載せた。
「暗い部屋にいると、昔のことを思い出します」
「あ……もしかして嫌な記憶がよみがえったのか? ならすぐに魔法の解除を――」
「いえ、嫌な記憶ではありません。暗いときはこうして母がいつも私と手を重ねてくれたことを思い出したのです。こうしていると、暗い日は特に心が安らぐんです」
フロンはそう言って、闇の中でニコリとほほ笑んだ。
「暗い部屋のいい思い出か……俺の中の暗い部屋の思い出といったら、前の世界での仕事だな……イヤな記憶だ」
サービス残業で会社に残って、消灯している部屋でデスクの蛍光灯に照らされてパソコンに向かってひたすら計上記録を入力していく作業。
特に月末は毎回行われていた。
取引先からのメールが月末の十六時きっかりに送られてきて、上司はそのデータを月初めに使いたいから纏めてほしいと言う。
個人情報も添付されているデータのため、持ち帰り残業もできず、終業時間は十七時半だが、一時間半で終わるはずもなく、結局終電ギリギリか終電を逃すかのパターンだった。
部屋の明かりくらい点けろと言いたいが、社長が『今年の目標は社内エコだ!』とか言い出して、上司が社長にアピールするために「十八時消灯、それまでに仕事を終わらせるように! 働き方改革だよ!』と言い出したのがそもそもの原因だ。地球に優しくを実現する前に、社員に優しくしてほしい。働き方改悪の間違いだろう。
まるで、このダークミストのように心が黒くもやもやとしてくる……が、
「ご主人様――こっちの世界では暗い場所にいい思い出を作っていきましょうね」
フロンのその笑顔が、俺の心の靄を払ってくれた。
あぁ、そうだよな。
もうあんなブラックな会社とはおさらばできたんだ。
「そうだな、うん、そうだな」
俺は二度頷き、手のひらを返し、フロンの手を握ったのだった。
そして、夜――部屋を暗くしてフロンとふたりで寝た。
久しぶりの暗い部屋の睡眠で、ぐっすり熟睡できた。
目が覚めると靄は消えていた。
暗い部屋も手に入れた。
俺とフロンは恋人関係だ。
そろそろ……一線を越えていいのではないだろうか?
傍から見たら、まだ超えていなかったのかよ! と言われることくらい自分でもわかっている。
でも、俺は言いたい。
いやいや、ここまで我慢した俺を褒めてくれと。
というか、本当は求婚した後でそういうことをしようって思ってたんだよ。
でも、求婚はきっぱり断られた。
さらに、その時、俺にクビにされると思ったフロンがこう言ったんだ。
『はい、ご主人様が望まれることであれば――この体を差し出す覚悟もできています』
その時のつらそうな彼女の表情を思い出すと、据え膳であろうと食べることができずにいる。
人間と獣人の結婚は違法だからと。
ちなみにだが、俺はやんわりと、再度フロンに婚姻を申し込んだことがある。
人間と獣人の結婚が違法なのはトドロス王国でのことであって、クロワドラン王国では合法であることを。
実際、ブナンの奥さんは猫獣人だ。
まずはブナンとその奥さんのことから話を切り出した。
そのことを話したら、フロンはこう言ったのだ。
『ブナン様の奥様は後悔なさっていないでしょうか? 自分の愛した男性が自分と結婚したせいで王族の身分を捨てることになったことを……私だったら絶対に耐えられません』
うん、ブナンはたぶん気にしてない。
でも、そんなことを言われたら、結婚しようなんて言えないよな。
ブナン、もう一度来てくれないかな?
結婚生活がどれだけ幸せかフロンに語ってくれたら、彼女の気も変わるかもしれないのに。
一線を越える。
結婚。
俺たちのこれから。
また心の中でもやもやが広がっていくが、しかしこれは黒い靄というよりかは、どちらかといえば希望に向かっている白い光と、そしてピンク色の靄だった。
なんて思っていると――
【ラムフィッシュの討伐数が百になりました。ラムフィッシュを使い魔として召喚可能です】




