第六十七話「名前だけの領事館代表」
新展開の第六部です
領事館の代表になった俺に今求められているのは、文字の読み書きだった。
どういうわけか、この世界の言葉を俺は聞いて理解することができるし、発することができる。
ブナンがこの島を去るときに聞いたのだが、すべての迷い人――この世界に迷い込んだ日本人は全員、この世界の言葉を話すことができるらしい。
しかし、文字の読み書きとなると話は別――誰も最初はわからないのだ。
そのため、俺はフロンと一緒になって文字の練習をしている。
この世界の文字は、英語と同じように母音と子音に分かれていてそれほど複雑ではないのだが、素人が一朝一夕で身に付けられるものではない。
「はぁ……頭がおかしくなりそうだ」
高校受験の前日でもこんなに勉強しなかっただろう。
しかし、ブナンには今月中に最低限の読み書きくらいできるようになっておけと、彼が島を去る前に釘を刺されている。わざわざ教材となる本をサンダーに持たせていたことには感謝するが、どうせならそのまま先生役として残ってほしかった。
サンダーに文字を教わったことがあるが、あいつはなんというか大雑把で先生には向いていないのだ。
「そういえば、共通言語把握というスキルがこの世界にはあるそうです。
そのスキルがあれば、この世界の共通言語の読み書きができるようになるとか」
俺と同じように勉強をするフロンが、ふとそんなことを言った。
「そんなスキルがあるのか? どうやって覚えるんだ?」
「一般的な迷宮を踏破したとき、極稀に貰えるそうです」
「……宝くじに縋るようになったら終わりだって、うちの祖父ちゃんが言ってたな」
俺はそう言って本に向かいながら、石筆で文字を書く。
最初は一文字一文字を書いていた文字だが、いまでは百くらいの単語は書けるようになった。しかし、時々文字を間違える。平仮名で言うなら「め」と「ぬ」のように似ている文字があり、それがまたややこしいのだ。
「…………(ちらり)」
俺はふと手作りテーブル(バージョン2)で一緒に並ぶフロンの横顔を見て不思議に思った。
「フロン、楽しいのか?」
「はい。私たち獣人は文字を学ぶことが許されませんでしたから、こうして文字を学ぶことができるのはとても幸せです」
本当にうれしそうに言った。
フロンの人生は、決して笑って語れるようなものではない。
東大陸に生まれ育った彼女は、生まれた時から酷い生活を送っていたという。
その大陸では人間族絶対主義の政策が取られ、獣人の扱いはとても酷い。ブナンが言うには、南大陸における奴隷の扱いよりもさらに酷いのだとか。
食事は一日一度あればいい方で、数日食事が抜かれるのもよくあること。
冬になると体を寄せ合って暖をとり、それでも一緒に寝ていた子供が翌朝には冷たい体となって目を覚まさないこともある。
人権などはなく、主人の気まぐれで酷い暴力を受ける。
いま、彼女がつけている首輪はその最たるものだろう。
隷属の首輪――最初はおしゃれな首輪だと思っていたが、その首輪は主人の命令には絶対に服従しなくてはならないという魔法が込められて、主人の命令に逆らえば首輪がきつく絞まる。
南大陸や西大陸の隷属の首輪と違い、東大陸の首輪は主人が念じれば殺すこともできるのが酷い。
この首輪を外すには特別な手続きが必要で、フロンは首輪をつけたままではあるが、とりあえず主人はいない状態になっている。
フロンは俺に主人として登録してほしいと望んだが、俺は頑として断った。
彼女が俺のことを主人として扱うのは彼女の意志なのでもう諦めたが、しかし彼女を首輪で縛ることをしたくない。可能ならば彼女の首輪を外したいと思っている。
「……ご主人様、どうなさったのですか?」
「あ、いや、なんでもない」
そのためにも、まずは勉強をしないとな。
フロンが自由に過ごせるのは、俺がこの島の領事館の代表であるからだ。
そして、一年以内にこの島の人口を百人以上にして正式にクロワドラン王国の領土とすること――それが俺に課せられた義務であり、俺が領事館の代表として続けていける条件だ。
そして、百人以上の人間を管理するには、やはり文字が必要になってくる。
現在、人口は、俺、フロン、サンダーの三人。トニトロスもこの島に移り住んでもらえる可能性は高いが、しかし身内だけでどうにかできるものではない。さすがにテンツユたち使い魔を人口に扱うことはできないからな。
「そろそろ見廻りの時間か」
俺は腕を伸ばして目覚まし時計を手に取った。
目覚まし時計――これは魔石で交換した魔道具だ。なんと、200M――極小魔石2000個と今の俺にとって超高級品なのだが、迷宮の中は常に明るく、時間の感覚が失われるために食費を切り詰めて交換した。単三電池一本で動き、その電池の交換にも30M必要なのだが、いまのところ最初からついていた電池で問題なく動き続けている。
この世界の一秒と日本の一秒が同じなのか、それともこの世界の一秒に合わせて秒針が動いているのかはわからないが、一日当たりの誤差もない。
というわけで見廻りの時間だ。
「この時間はマシュマロのところでしたね」
見廻り場所と時間はその日の朝に決めるが、基本的にゴブリン迷宮か海のどちらかだ。というのも、俺たちがいまいる迷宮はモニターで管理できるので、あえて見廻りをする必要がないためである。
ちょうど広場に行くと歩きキノコの使い魔、テンツユが薪割りをしていた。指のない手で器用に石斧で薪を割っている。
その技術はプロの薪割り職人(という職人がいるのかどうかはわからないが)も認めるであろう早業だ。たまにサンダー相手に模擬戦のようなものをしている。まだ勝ったことはないそうだが、いい勝負をしていると聞いている。あとランクをひとつあげたら、勝てるのではないだろうかと思っている。
「テンツユ、マシュマロのところに行くから一緒に来てくれ」
「キュー(わかりました)」
テンツユは頷くと、俺たちの前を歩いていく。
ゴブリン迷宮までの道は、かなり切り開かれているので、時間はかからない。
二十分も歩くと砦が見えてきた。
ゴブリン迷宮は、元々海賊の砦であり、最近まではゴブリンの巣だった。そのためか、現在出現する魔物はゴブリンだけであり、青スライムの使い魔、マシュマロが管理をしてくれている。管理というか、ゴブリン退治だ。
いまのところ、変わったことは起こっておらず、一日五匹から十匹のゴブリンが狩られている。そろそろ討伐数百匹になり、使い魔になるはずだ。
「マシュマロ、いるか?」
砦の中に入ると、突然ゴブリンが飛んできた。いや、飛ばされてきた。
俺は思わずそれを素手で払いのけると、ゴブリンは光の粒子となって魔石と赤い布を落とした。ゴブリンのドロップアイテムだ。
「びっくりした」
「ピー(すみませんっす)」
青スライムの使い魔――マシュマロが謝罪した。
ゴブリンを投げ飛ばしたのはこいつだったようだ。俺たちが来たことに気付かなかったのだろう。
「まぁ気にするな。本当にびっくりしただけだから。それより頑張っているようだな」
「ピーっ(精進してるっす)」
何故かマシュマロは格闘家のような雰囲気を持っている。最初は舎弟気質かと思ったんだが、俺、フロン、テンツユ相手には敬意を払い、うどん相手には優しい面と厳しい面の両方を使い分けている感じがする。きっと、先輩後輩関係を大事にする体育会系みたいなノリを持っているのだろう。
可愛い外見との差が激しい使い魔だ。
「マシュマロ、ちょっといいですか?」
「ピー(はいっす)」
フロンはマシュマロを抱えると、その体を撫で始めた。
彼女はマシュマロの感触をとても気に入っているから、ここに来るといつもこうして撫でる。
テンツユが寂しそうに鳴いたので、俺が撫でてあげることにした。
「マシュマロ、野生のゴブリンは今日は何匹倒したんだ?」
「ピピピー(三匹っす)」
「昨日より多いな。偉いぞ」
フロンにもわかるように、マシュマロは倒した回数鳴いた。
迷宮とは別に、この周囲には野生のゴブリンも現れる。ここよりさらに北に巣があるらしい。
マシュマロは迷宮に現れるゴブリンの他に、砦の周りに現れたゴブリンを退治して迷宮に食わせるのも仕事にしている。
そうすることで、迷宮にポイントが入り、設備の設置や階層の追加ができるようになる。
現在のポイントは一三〇ポイント。
そろそろ二階層を追加してもいいかもしれない。
そう思ったときだ。
テンツユが急に砦から飛び出し、近くの木を登った。
俺とフロンに緊張が走る。
木の上からテンツユの鳴き声が聞こえた。
どうやら、木の上から狼煙が見えたらしい。
海岸から上がっている狼煙の意味はただ一つ。
誰かがこの島に近付いているということだ。




