第六十三話「俺の求めていたスローライフ」
「妾に短剣を突き付けるとは。あの無礼な女魔王ですらここまではせんかったぞ」
トレールール様はそう言うと、自分の首先に当てられていた短剣の先を指で摘んだ。恐怖で顔を歪ませる男は慌てふためき、短剣を引っ張ったり押したりとしてみるが、まるで短剣そのものが空間に固定されているように一ミリも動こうとしない。
自分がとんでもないことをしていることに気付いた傭兵は短剣を投げ出すと、その場に倒れこみ、這って逃げ出そうとする。
「なんじゃ、もう終わりか? これは妾を喜ばせた礼じゃ」
トレールール様はそう言うと、指をちょっと捻って短剣を飛ばした。その短剣は這って逃げる傭兵の男の真ん前に突き刺さった。
なにこの女神様は格好つけてるんだ――本当に必要なときに全然助けてくれなかったのに。
「ほれ、なにをしておる? 早くその男を捕えんか」
「はっ! お前ら、そいつを捕まえろ!」
ブナンの命令で、運よく亡命を果たした傭兵四人(うち一人は罪人確定)が元仲間の傭兵を取り押さえた。
「うむ、これにて一件落着じゃな。かっかっかっ」
一件落着って、いいところだけ持っていっただけだろ?
水戸の御老公様だってもう少し働くぞ。
もっとも、印籠がなくても顔だけで、俺を含め全員をその場に跪かせたそ女神様の力は、顔パスがほぼ不可能な御老公様とは大違いだ。
フロン、ブナン、クラリスさんだけでなく、他の傭兵やガメイツ、シットーまでもその場に跪いている。上下の関係には疎そうに見えるサンダーもだ。
女神の顔は俺が思っている以上に広まっているらしい。
「恐れ入りながら、女神トレールール様でお間違いないでしょうか?」
「うむ、その通りじゃ。一度だけそのジョージを助けると約束したからな。その責を果たしただけじゃ」
この女神、今なんて言った?
一度だけ助ける責務を果たしただって?
さっきのホイッスルは、ただうどんとマシュマロを呼ぶために使ったもので、トレールール様を呼んだものではないのに。
というか、肝心なときに全然助けてくれなかったくせに。
「あの、女神様――女神様が助けてくれるのは迷宮の中でホイッスルを吹いただけだと聞いたのですが?」
「何を言う? この広場が迷宮の範囲内なのは其方が一番わかっておるじゃろう」
それはその通りだ。
「それに、今後のことを考えれば、ここで妾が姿を見せたというのはなにかと便利じゃぞ?」
「どういうことですか?」
「それは……説明が面倒じゃ。ブナンと申したな、其方が話せ」
「かしこまりました」
ブナンは即座に頷いたものの、少し考えているようだ。
「確かにデメリットよりはメリットの方が大きいですね。この領事の維持に教会の支援も受けやすくなりますし、女神が降り立った聖地とすれば熱心な信者にとって聖地となるかもしれません――それに」
ブナンはガメイツとシットーを見て言った。
「女神様がこの場でジョージの領事就任を祝福してくださるのなら、それに対して文句を言う輩もいなくなるでしょう」
その言葉を聞いて、ガメイツとシットーの顔からダラダラと汗が流れる。
「かかっ、それはいい! よし、妾が認めよう。ジョージ、其方はこの地にて領事として、迷宮都市の拡大と維持に努めよ! 妾が許す!」
それ、祝福じゃなくて命令だろ。
と言いたいが、俺は恭しく頭を下げた。
「はっ、その命謹んでお受けし、この身を捧げて職務に励まさせていただきます」
「うむ、さすがは社畜! いい心意気じゃ!」
社畜って言うなっ! 自分で言うのはいいけど、他人に言われるとグサッと来るものがあるから。
「それでは、妾は天界におるからの。暇なときに思い出したら眺めるから精進するのじゃぞ」
そこは嘘でもいいから、「妾はいつでも見ている」くらいのことを言って欲しかった。たぶん、本当に暇なときに思い出したら眺める程度の介入しかしてこないんだろうな、この女神様は。
これからの支援は一切期待できないだろう。
それでも、俺はあっという間に姿を消した女神様に礼を言った。
「本当にありがとうございます。この世界に俺を送ってくれて」
そう呟き、俺は天を仰いだ。
太陽は西に僅かに傾きはじめていた。
翌日、調査は打ち切りとなった。
というのも、シットーに対して大きな問題が出たからだ。
『いいか、これは全部、ジャーマンとかいう坊主が仕組んだことだ! 奴はなにをするかわからない。どうせ迷宮の中のことだ、殺しても構わん! 奴の首を持ってきた者には特別報酬を出そう』
シットーが言ったこの台詞、俺はこれを二枚の録音札に録音していた。
万が一のとき、この音声をシットーとの取引に使う予定だったのだ。
殺人教唆の罪はクロワドラン王国、トドロス王国、どちらにおいても罪となる。ガメイツはこの台詞を俺が捏造した音声であり、シットーは無罪だと弁護したが、そんな話をブナンとクラリスさんが認めるはずがなかった。
これから公的機関により録音札の音声の精査、シットー、ガメイツ及び五人の傭兵からの事情聴取が行われる。当然、ガメイツとブナン、クラリスさんも聞き取りの対象になるため、調査を打ち切りせざるを得なくなった。
俺が迷宮の前の敷地の領事になったため、領事館設置の調査の必要がなくなったのでどの道打ち切りになっただろうが。
サンダーはこの島に残ることにした。
トニトロスとこの島で待ち合わせをしているらしい。
「お世話になりました、クラリスさん、ブナンさん。それと、いろいろと迷惑をかけてすみません」
「どちらかといえば私たちがジョージくんとフロンちゃんを巻き込んだみたいだから謝るのは私のほうよ」
「いえ、フロンの問題はいつか浮き彫りになっていたと思うので、早いうちに解決できてよかったです。な、フロン」
「はい、ご主人様の仰る通りです」
フロンがすかさず俺に賛同してくれた。
「フロンの嬢ちゃん、一応領事の権限で奴隷の身分から解放できるんだが、今の関係のままでいいのか?」
「はい――この首輪は正式にご主人様の魔力登録がなされましたし、首輪を外すには一度トドロス王国の施設に赴かなければいけません。それになにより、ご主人様の従者であることは私の誇りですから」
フロンが首輪を撫でて、そう言った。
彼女が首輪を撫でるとき、これまではとてもつらそうな表情をしていたが、今のフロンのそれは、とても誇らしげで嬉しそうだった。
関係は結局これまで通り。
俺が正式にフロンの主人になったことで、彼女は俺の命令に絶対に服従となったくらいだが、これもいままでと変わらない。
フロンが俺の頼みを断ったことなんて、結婚の申し込みくらいだ。
もちろん、命令して結婚するような無粋な真似は断じてしない。
ただ、ちょっとだけイチャイチャする時間を増やそうとは思う
使い魔も三匹になって、ケルとベルという従魔もできた。
ケルとベルは狩りの名人で、今朝も中型の鳥を一羽捕まえて帰ってきたくらいだし、生活も豊かになる事は間違いない。
少しは働かないと落ち着かない病気もマシになった。
だから、一日三時間、いや、四時間はフロンとふたりでイチャイチャしたいと思う。
いや、イチャイチャする!
そう、それが俺の求めていたスローライフだ。
「あぁ、そうだ、坊主。領事としてこれから忙しくなるから覚悟しておけ」
ブナンが突然そんなこと言った。
「え? 領事って言っても形だけで暇なんじゃ?」
「暇なわけないだろ? 任命書を読まなかったのか? 坊主が領事でいられる期間は一年。その間に島民を百名にして正式にクロワドラン王国の領土にすること。そう書かれていただろ?」
は? そんなの読んでいない。
ていうか、俺は文字が読めない。
「なんでそんな条件が」
「そりゃ、この海域の島々で領事館として設置できるのは一カ所しか許されないからだ。そうしなければ、あちこちに領事館が乱立して争いが起きかねないからな。だから、国王陛下は一年以内にこの地を村にすることを義務付けた。それがなされない場合は、罰金を坊主が払わないといけないという契約付きでな。あと、税金もあるからしっかり払えるようにしておけよ」
「さすがに孫バカの祖父さんでも、無条件で領事館設置は無理だった」
サンダーが楽しそうに笑う。
なんだって?
罰金? 税金?
俺はいまだに無一文だぞっ!?
「ちなみに、罰金とか税金とか払えなければ?」
「奴隷堕ちだな――まぁ、俺も協力するから、百人集めるなんてあっという間だ! 村民が集まれば税金の徴収もできる。女神様にも立派な迷宮都市を作ると約束したから問題ないだろ、相棒!」
サンダーが俺の背中を大きく叩くと、俺は前のめりに砂場に倒れた。
「ご主人様! ご主人様、大丈夫ですか?」
大丈夫じゃない。
百人以上の村を作る?
それの管理を俺がしないといけない?
税金の徴収?
なに、その仕事量?
「違う! 俺の求めていたスローライフはこんなんじゃなぁぁぁいっ!」
俺は天を仰いで叫んだのだった。
ご愛読ありがとうございました。
とりあえず、次回からは本編にできなかった閑話を書く予定ですが……
……続けますか?




