第五十八話「疑惑のホイッスル」
傭兵たちは、なんとか迫りくるスライムイーターの討伐に成功していた。
半裸の男六人、狼二匹が迫りくる蔓の化け物と戦うのは見ていて非常に気分が悪かった。俺が原因なのはわかっているけれど、少し後悔する。
彼らはスライムイーターを討伐すると、ドロップアイテムの魔石と花蜜を持って一度地上に戻った。そこで予備の服に着替えて、再度迷宮探索を目指すことにしたらしい。
あと残っているのは三階層、四階層、五階層。
一階層の探索に三十分かかったとしてもあと一時間半で奴らはやってくる。
しかし、覚悟を決めた俺に焦りはない。
なぜなら、俺には秘密兵器があったから。
「フロン、聞いてくれ。このホイッスルがなんなのかを」
俺はこのホイッスルのことを語りたくて語りたくて仕方がなかったのだが、フロンは全然聞いてくれないので、ちょっとカッコ悪いが彼女にそう言った。
「はい。ご主人様、そのホイッスルはいったいなんなのでしょうか?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれた」
言いたかった台詞だが、自分で聞かせておいてなにをカッコつけてるんだ? と思っている冷静な自分がいる。
「このホイッスルは、女神トレールール様から授かったホイッスルなんだ」
「女神トレールール様から? 迷宮踏破ボーナスの品ですか?」
「え? 迷宮踏破ボーナス?」
「はい。世界中にある迷宮の最下層にある女神像で祈りを捧げると、女神様からスキルや不思議なアイテムを授かることができるのです」
そんな仕組みがあったのか。
俺の迷宮にはそんな嬉しい機能は存在しない、ずるい。
「いや、違う。これは女神トレールール様から直接貰ったんだ。このホイッスルを吹くと、一度だけ俺のことを助けてくれるらしい」
「……それは本当でしょうか?」
あれ? 思っていた反応と違う、というよりフロンが疑っている?
いままではあんなに俺のことを信用してくれていたのに。
「本当だぞ? 嘘じゃないからな」
「ご主人様のことを疑っているわけではありませんが――」
そういうフロンの目は半信半疑な様子。いや、四字熟語を創作するなら一信九疑だ。
ほとんど信じていない。
よし、一度きりなのでギリギリまで使わないつもりだったが、ここで使って見せてやろう。
「見てろ、いまからトレールール様が現れてパパっと解決してくれるからな」
俺はそう言うと、ホイッスルを吹いた。俺の肺が悲鳴を上げるくらいに全力で。
ホイッスルの音が部屋中に響き渡る。
肺が限界を迎えたところでホイッスルの音が切れた。
虎の威を借る狐みたいでカッコ悪いが、でも女神様の力で全員跪け!
さぁ! さぁ! さぁっ!
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あれ?」
なにも起こらない?
そんなバカな……と思ったときだった。
一枚の紙が落ちてきた。
「なんだ、驚かせて」
これに今回の事態を解決する方法が書かれているのだろう――俺はそう思って紙を手に取った。そこには、わざわざ日本語で文字が書かれている。
【めんどくさいから今回はパス】
俺は紙を丸めて投げ捨てた。
「めんどくさいからパスってどういうことだ!」
「……やはりですか」
「え? やはりって?」
「トレールール様は享楽とギャンブルの女神と言われていますが、ご自分で怠惰の女神と名乗られるほど面倒なことを嫌う女神様なのです」
……そういえば、最初に天恵を授かったときもそんな感じの女神様だったな。
そうか、フロンが疑っていたのは、俺のことではなくトレールール様のことだったのか。
「くそっ、こうなったら!」
俺は設置メニューを開き、三階層にある細工を施した。
『なんだこれはっ!?』
ちょうど三階層に辿り着いた傭兵たちが声をあげた。
驚くのも無理はない。
なにしろ、三階層の全ての部屋に落とし穴を十個、飛び出す槍を十個、合計二十個の罠を設置したのだから。
ポイントについてはまだ余裕がある。
というのも、最初に設置したドラゴンバリケードに、思わぬ副次効果があったのだ。
俺たちの迷宮は、迷宮の範囲内にいる者の強さに応じてポイントが入ってくる。それは人間だけではない。迷宮から生まれた魔物を除くすべての生物のポイントであり、ドラゴンも例外ではない。
傭兵たちのポイントはそれほどではないが、ドラゴンが一時間滞在しただけでもポイントは加算され、夜のうちにその分のポイントが入ってきたのだ。
傭兵たちの動きが半減する。
とくに飛び出す槍を警戒しているようだ。
さっき、飛び出す槍から出てきた眠り胞子のことを思っているのだろう。こんな落とし穴だらけの場所で眠ってしまったら、穴の中に落ちてしまう可能性もあるからな。
もちろん、飛び出す槍は、たったいま設置したばかりなのでそんな胞子なんて仕込んでいる暇はない。
もっとも、そんな事情を知らない傭兵たちは慎重に進んでいる。
そして、奴らは見つけた。
『おい、どうなってるんだ!? この迷宮は三階層までしかないはずだろ』
『それより、見ろ! あれを!』
『まさか、スライムイーターっ!? それにあの上にあるのは!?』
『亀の甲羅っ!? に、逃げろぉぉぉぉぉっ! また服が食われるぞ!』
スライムイーターは二階層にしか現れない。しかし、俺は二階層でスライムイータを摘み取り、三階層に植えておいたのだ。
傭兵たちは一目散に階段の上に逃げ出した。途中、落とし穴に落ちそうになっていた。よかった、死ななくて。
そして、奴らは悪態をつきながら二階層で服を脱ぐ。
どうやら、また半裸状態で戦うようだ。
奴らはまた三階層に向かい、慎重に罠を越えてスライムイーターのところに向かう。
そこで彼らはようやく気付いた。いつまでたっても亀の甲羅を支えている縄が爆発しないことに。スライムイーターは蔓の無い状態のまま、簡単に刈り取られてしまった。
『どうなってるんだ? 不発か?』
『待て、もしかして――』
傭兵のひとりがなにかに気付き、天井からぶら下がっている亀の甲羅を叩き落とした。
中身は空っぽだった。
爆破札は一枚しかもらわなかったし、スライムを八匹も集めるのは面倒だったからな。これはただの脅しだった。
『おのれ、ジャーマンめっ! 舐めたことをしやがってっ! 急いで二階層に戻るぞ』
『くそっ、こんな恥ずかしい恰好をしてるというのに』
『なんなんだ、この罠の多さは――』
おぉ、怒ってる怒ってる。
なので、その怒りを冷まさせてやろう。
傭兵たちは二階層に戻り、放っておいた服を着ることにした。
『ちくしょう、嘗めやがって』
傭兵たちは服についた土埃を払い落とそうとした。
奴らはおかしいことにまだ気づいていない。
それが土埃にしては妙に量が多いことに。そして、気付いたときには手後れだった。
なぜなら、彼らが土埃だと思って振り払ったのは、テンツユが服につけた眠り胞子だったから。
テンツユは夜のうちに一階層の歩きキノコたちの巣の中に移動して俺からの合図を待っていた。案の定、傭兵たちは一度探索を終えた一階層は素通りしたので気付かなかったようだ。もしも俺やフロンだったらあの狼の匂いで気付かれただろうがな。
そして、俺からの通信札の指示で、奴らの服に眠り胞子をつけたのだ。
「さて、これで何時間稼げるかな」
さっきまでの怒りを忘れ、健やかに眠る傭兵たちを見ながら、俺はテンツユを五階層に呼び戻したのだった。




