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第五十話「いなり寿司」

ちょっと長めの第四章最終話

 俺とブナンは定時ギリギリに戻った。

 やはりというか、ガメイツが広場で待ち受けていた。


「おぉ、ガメイツの旦那じゃないか。なにしてるんだ?」

「貴様らこそなにをしていた! 無断で出歩きよって」

「なにって、森の探索ですよ。迷宮の調査のついでに迷宮の出現による周辺地域の魔物の生態調査が必要と、クラリスの嬢ちゃんが言ってたじゃないですか」

「そんなことは聞いておらん! 私に断りもなく勝手なことをするなって言っておるのだ」

「だって、旦那は朝の会合には顔を出さないじゃないですか。あっちは義務じゃないからと言って」

「ふん、ああ言えばこう言いおって。これだから獣人なんぞを妻に――」


 ガメイツはそれ以上言えなかった。

 場の空気が変わったのだ。

 張り詰めた空気、怒気、いや、殺気すら感じられる。


「旦那――嫁さんのことを悪く言ったら旦那でもタダじゃ済ませませんよ」


 俺に向けられたものではないというのに、全身の毛が逆立ったような気がした。

 ガメイツなんて、脚ががくがくと震え、いまにも倒れそうだ。

 いつも、飄々としているブナンの本気――本当にガメイツさんを殺すんじゃないか?

 と思ったときだった。


   ドコンっ!


 ブナンの後頭部にコンペイトウが降ってきた。

 いや、クラリスさんが振り下ろしていた。

 フロンと一緒に、迷宮の調査から戻ってきたようだ。


「なにすんだ、嬢ちゃん」

「なにすんだじゃありません。ブナンさんこそなにをするつもりだったんですか? 今度は減給じゃ済みませんよ。クビになったらどうするんですか」

「なにもしねぇよ……たぶん」

「たぶん?」

「ああ、なにもしねぇから構えるな! 二度くらったら流石にヤバイ!」


 さっきまでの張り詰めた空気はどこへやらだ。

 なにもしなかったと言っているけれど、もうあの威圧だけでも十分に暴力だろう。

 立証できない暴力って恐ろしいよな。


 クラリスさんの後ろにいたフロンがいつの間にか俺の横にいた。


「ご主人様、お帰りなさいませ」

「ああ、ただいま、フロン。さっそくだけど迷宮に行くか。やっておきたいことがあるんだ」

「ちょっと待て! 貴様……ジョンとか言ったな。貴様に聞きたいことがある」


 ……俺の名前がいつの間にか変わっていた。名字はスミスだろうか?

 これがわざとやっているのだとしたら、ガメイツは本当に他人を怒らせる天才だな。


「なんでしょうか?」

「その獣人をいつ、どこで拾った?」

「拾ったって、犬や猫みたいなことを言わないでください」

「ふん、獣人は犬や猫と同じ――いや、主人を癒す点では犬、猫のほうが遥かに優秀だ。いつから一緒にいる、答えろ!」


 俺はガメイツを睨みつけるように言った。

 ブナンのように凄い怒気や殺気は出ないが。


「俺と彼女はずっと一緒ですよ。これまでも、そしてこれからも。行くぞ、フロン」

「は……はい」


 フロンは律義にもガメイツに頭を下げ、俺のあとを追ってきてくれた。


「待て、まだ話は終わっていない!」


 ガメイツが後ろから何か言ってくるが、迷宮の中にはいったら奴は追ってこない。

 俺はテンツユが運んできたサンタの袋から、ゴブリンの死体を取り出して迷宮に食わせた。


「テンツユは戻っていてくれ。あとでアビリティも確認したい」

「キュー」


 テンツユは頷くと、送還された。

 そういえば、送還先では食事の必要があるのかないのか聞き忘れたな。

 まぁ、今日のマシュマロを見るあたり、空腹で倒れることはないだろう。


「ご主人様、今日はなにをなさっていたのですか?」

「今日は、ゴブリンの巣を見つけてな。テンツユとマシュマロとブナンと一緒に潰してきたんだ。といっても、ほとんどテンツユソロ無双だったけれどな」

「そうなのですか。それではあとでテンツユのことを褒めなければいけませんね」

「そうだな――そうだ、魔石も手に入れてな。一緒に俺の故郷の料理でも食べないか? たまには贅沢もしないとな」


 俺はそう言うと、うきうき気分で魔石交換リストから料理を探す。

 意外かもしれないが、日本食のレパートリーも多い。

 揚げ出し豆腐、枝豆、だし巻き卵、から揚げ、たこわさと、なんか居酒屋のメニューみたいだ。ちなみに、値段はパンの五倍、5Mとあまりお安くない。

 その中で、ちょっとだけ安いものがあった。


 亀の甲羅を持ってきて、ゴブリンの魔石(小)を10個程入れる。歩きキノコの魔石なら10個で1Mだが、これなら10個で3Mだ。

 そして交換したのは――


「ご主人様、これがご主人様の故郷の料理なのですか?」

「ああ、なんだと思う?」

「パン……でしょうか? 随分と小さいですが」


 なるほど、見た目の色は確かにパンと似ている。

 だが、パンではない。


「これはいなり寿司だよ」


 亀の甲羅の中には小さないなり寿司が五個入っていた。

 五個あってもパン1個分よりは小さい。


「いなり寿司?」

「ああ。食べてみろ。ここはブナンもガメイツもクラリスさんもいないんだ。順番なんて気にすることはない」

「ありがとうございます」


 俺に促されたフロンは、一口サイズのいなり寿司を手に取り三分の一程食べた。


「これは……お米ですか?」


 フロンがそう尋ねた。

 こっちの世界にも米があるのかと、俺は少しだけ嬉しくなった。


「ああ、油揚げの中に米が入ってるんだ。美味しいだろ」

「はい――とても美味しいです」


 フロンの感想を聞けたところで、俺も一個つまんで食べた。

 うーん、うまい!

 よく、仕事の帰りに半額になってる助六寿司を買って帰ったっけ。疲れたときの酢飯は、体に優しい気がするんだよな。そして、この甘味のある油揚げもいい。


 俺は二個目を取ろうとしたとき、気付いてしまった。

 既にいなり寿司が一個しかないことに。


「あ、申し訳ありません。あまりの美味しさに――」

「いいや、追加だ!」


 俺はそう言って、いなり寿司をさらに十五個も追加した。

 他の和食に比べて妙に安いと思っていたが、量が少なすぎるぞ。

 夕食にはこれくらい必要だ。


「今日はいなり寿司パーティーだな」

「――はい、そうですね」


 フロンが笑った。その目には、何故か涙が浮かんでいる。

 何故かと言ったが、その理由を推し量れないほど、俺は鈍感じゃない。

 お互い、十個目のいなり寿司を手に取ったところで、俺は言った。


「フロン。明日にでもフロンを迎えにトドロス王国の人間がやってくる」

「……はい」


 フロンは、いなり寿司を持って口に運ぼうとしたその手を膝のあたりまで下ろして頷いた。


「ブナンに聞いたんだ。あいつ、嫁さんが獣人らしくてな。そのせいか、俺たちのことも他人事のようには思えないらしくてさ――いろいろと話をしてくれたんだ」

「そうですか」

「その様子だと、ブナンの嫁さんが獣人だって知っていたのか?」

「はい……ブナン様の首飾りは、猫人族が家族の無事を願うために作るものでしたから」

「首飾り……そんなの全然見てなかった」


 そういえばそんなのしてたなって程度だが、フロンは見落とさなかったのか。

 俺が見落とさなかったとしても、知らなかったから意味はないけど。


「フロンはこうなることを知っていて、全部わかったうえで、ブナンの話を聞かないように俺に言ったのか?」

「はい。ガメイツ様が私のことに気付いていたのは、その視線でわかりましたから。こうなるだろうと予想はしていました――ご主人様、迷宮に籠もって時間を稼ぐつもりでしたら、おやめください」

「なんだ……そこまでわかってたのか」


 俺が迷宮にゴブリンを食わせて成長を促していることから予想したのだろう。


「いや、俺はわからないんだ。なんで迷宮に籠もる必要があるんだ? 逃げるだけなら森の中のほうが便利だと思うんだが」

「ご主人様、この首輪のことは聞きましたか?」

「ああ、隷属の首輪っていう名前の首輪なんだよな。主人の命令に逆らえば首が絞まるっていう」

「はい。前の主人が私に対し、『いますぐ出てこい』と言えば、私は前の主人の前に出なければいけません。しかし、迷宮の中では、二つ以上部屋が離れていたら効果が発動しないのです。迷宮の中は瘴気が溢れていて、魔力の繋がりを阻害することが原因だと言われています」

「なるほど――広い森だと拡声器でも使って大声で出てこいって言われたらアウトだけど、迷宮の中ならギリギリまで近づかれなければセーフってことか」

「ただ、ブナン様のことです。きっとそれだけの理由ではないと思います」

「――俺もそう思う」


 なにしろ、ブナンはこの案を提案したとき、俺が迷宮師だと知らなかった。

 三階層までしかない迷宮で敵の侵攻を防ぐなんて、本来であれば苦難は必至。というより九割九分失敗する。

 一応、作戦はあった。


「ご主人様――私は明日、素直にこの身を前の主人に差し出そうと思います」


 フロンはいきなりそう言った。

 ダメだ、このままフロンを行かせることはできない。


「これまでお世話になりました。ご主人様に助けていただいたこの命、碌に恩も返せないままなのは心残りですが」


 やめろ、聞きたくない。

 俺は戦うと決めたんだ。

 だから、もうそれ以上続けるな。


「ご主人様なら私がいなくてもテンツユとマシュマロがいれば、きっとご主人様はやっていけます。なので――」


 俺はフロンの口を塞いだ。

 手に持っていたいなり寿司で。

 フロンは目に涙を浮かべたまま、口の中に入ったいなり寿司を咀嚼して飲み込む。


「フロン、こういう場合、男は本来、唇を合わせて相手の口を塞ぐものだ。俺はそんなこともできないダメな男だ。こんな俺が、お前無しでやっていけるわけないだろ」

「しかし――」

「ダメといえば、貝の見分けもたまに間違えるし、テンツユにいいところを持っていかれてばかりだし、そうだ! この前なんてシャツを裏表で着ていて、フロンが遠回しに気付かせようとしてくれても全然気付かなかっただろ?」

「ご主人様っ!」


 フロンが大きな声を上げた。


「御恩をお返しできない身ながら、お願いします。私を不安にさせないでください。私を安心させてください。私を笑って見送ってください。私はいつでもご主人様のことを忘れません。ずっと遠い地でお祈り申し上げていますから」

「バカ――一緒にいなくて安心なんてできるわけないだろ。俺はお前が近くにいないと不安だ! ちゃんとご飯たべているのか? ちゃんと綺麗な服を着ているのか? 毎日風呂に入るのは無理でも、毎日体を綺麗にしているのか? あのふわふわの尻尾の手入れはちゃんとしているのか? 不安で不安でいっぱいになる。それなのに、お前は俺と離れて安心できるっていうのか?」


 俺はフロンの手を取った。

 いなり寿司を持っていた彼女の手を。

 俺はそのいなり寿司を自分の口に運んだ。

 僅かにフロンの指が俺の唇の端に触れた。


「俺はこの島から一生出ない! お前も一生出るな! 結婚しなくてもいい。獣人と人間なんて関係ないし、俺たちの関係はいまのままでも十分だ! だから……ごほっ」


 いなり寿司を口に入れてしゃべっていたせいで少しむせてしまった。

 俺は水を飲んで、口の端にごはんつぶを付けながら言った。


「だから、安心したいって言うなら、俺とずっと一緒にいろ!」


 フロンは直ぐに返事をしなかった。

 だが、彼女の目から浮かび上がる涙と、その笑顔を見て俺は彼女の返事を予想した。

 結婚を申し込んだときの予想は見事に外れたが、今度は外れない。

 そういう自信があった。

 そして、今回の自信は正しかった。


「はい――私もご主人様とずっと一緒にいます」

第四章完結 というより、第五章に続くという感じです。

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― 新着の感想 ―
[一言] とてもいいシーンなはずなんですが、実際に想像してみるとなんともギャグになってしまう……
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