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第三十六話「恋人宣言」

 俺は何て言ったらいいのだろうか?

 悪い原因を考える。

 そういえばかつて、先輩が言っていた。


『いいか、桜木。告白と交渉は事前の根回しがすべてであり、本番に少しミスしても事前にしっかり根回ししておけば失敗することはない』


 つまり、俺に足らなかったのは根回し?

 空気にあてられ、なんの捻りもないプロポーズをしたこと?

 最初は交換日記から始める方がよかったってことか?


 だが、百パーセント成功すると思っていた――思い込んでいたプロポーズの結果が惨敗。体を差し出すのはよくても、結婚するのはダメ?

 体はよくても心は許さないってこと?

 これって、くっころ系の女騎士の台詞であったよな。


『貴様が何をしようと私の魂までは汚すことはできないっ! やれるならやってみろ、オークがっ!』

 

 みたいな台詞だ。

 え? つまり俺ってオーク役?

 さすがにここまでは言わないだろうけれど、なんか悲しくなってきた。

 俺とフロン――これから、いままでの関係を続けられるのだろうか?

 あぁ、せめてチャンスを残すくらいの心遣いはして欲しい。

 俺はフロンのことを気遣いのできる女だって思っていたのに。

 振るにしても即答はないだろ。

 こんなことになってしまったら、これから俺とフロンの間に気まずい空気が流れることは必定だ。


「申し訳ありませんが、人間と獣人の結婚は違法です。ご主人様に迷惑がかかってしまいます」

「――え? 俺のことが嫌いとかじゃなくて?」


 少し光が見えた。


「はい、勿論です。ご主人様を嫌う理由なんてありません」


 フロンはこれまたきっぱり言い切った。

 少し――いや、かなり安堵した。


「でも、結婚はダメ?」

「はい。ご主人様には、将来私などよりも立派な女性が現れます。一時の感情に流されないでください。私の先輩の獣人が申しておりました。主人の中には私たち獣人と肌を重ねているうちに、恋に落ち、国を捨てて駆け落ちしようと言う者もいると。しかし、それを諫めるのもまた従者としての務めです。ご主人様――理解なさってください。お気持ちは十分頂きましたから」


 本当は結婚するのは嫌だけど、それを悟られないための嘘――という感じではない。フロンは心から、従者は主人と結婚してはいけない。そう思っている――いや、そう教えられてきたのだろう。


「でも、ここは無人島だし――国の法律なんて関係ないだろ? 法律に囚われる必要はないと思うんだ」

「ご主人様はずっと死ぬまでこの島にいらっしゃるのですか?」

「それは――」


 勿論、ずっといるつもりなんてなかった。

 魔石を貯め、十分資金が集まればこの島を出るつもりだった。そのときこそ、フロンと一緒に――そう思っていた。

 でも、それはずっと先の話だから。


「もしも僅かにでも島を出るつもりがあるのでしたら、私との結婚はやはりおやめください。島の外に出るときに私の存在が足枷になってはいけないのです。それに――」


 フロンは微笑むように言った。


「私は島から出たいとは思いませんので――」


 島から出たいとは思わない。いや、彼女は島から出たくないのだ。

 その理由を聞こうとして、俺は踏みとどまった。

 俺は先日、言ったばかりじゃないか。


『フロンが話したくなったら話してくれたらいいさ』


 そう、俺はフロンのことを信じて待つしかないんだ。


「ええと、じゃあ、恋人になってほしいっていうのはありなのかな?」

「恋人ですか? 具体的にはなにをするのでしょうか?」


 具体的になにをする?

 フロンは恋人の概念がわからないのか。そうか、フロンはいろいろと知っているが、恋とか愛って概念的な要素が強いからな。口伝で説明するには限度があるのだろう。

 この恋愛マスター(漫画&ゲーム限定)の俺がわかりやすく説明しよう。

 恋人とはいったいなにをするものなのかと。


「一緒にデートをするんだ。ふたりで散歩をしたり知らないところに行ったりする」

「いまでも一緒に島を探索していますね」

「一緒にご飯を食べたり」

「毎日ご主人様と一緒にご飯を食べています」

「男から女の子に贈り物をしたり」

「この服もカメオのブローチも鉄扇もすべてご主人様からのいただきものです」


 あれー? 俺たちって既に恋人?

 いや、待て――これは友達でも普通にあることだ。

 友達と恋人の決定的な違いがあるではないか。


「恋人とはお互いのことを異性として好きだと思っているものでだな――」

「私はご主人様のことを心から敬愛しています」


 さっき結婚を断った時と同じように、フロンはきっぱり言い放った。


「俺もフロンのことは好きだ」

「ありがとうございます」


 フロンは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに平静を取り戻して頭を下げて礼を言った。


「恋人となる条件がそれだけなのでしたら、私たちは恋人という間柄でよいと思います」


 あ、うん。

 そうかそうか、俺たちは恋人同士か。

 ……あれー?

 なんだろう、プロポーズってこういうのだっけ?

 なんか、会社で取引先と契約したときのことが脳裏をよぎった。

 これって、プロポーズではなく、恋人契約じゃないだろうか?


「そうだな、恋人同士だ」

「はい、私もこれから従者兼恋人として、ご主人様に一層の忠義と忠誠を誓います」


 なんか違うんだよなー。

 思っていた恋人と。

 いまの無人島での生活が、俺の思っていたスローライフとは違うのと同じように、俺とフロンの間柄が恋人同士には思えない。

 恋人に忠義も忠誠もいらない。

 必要なのは信頼と愛情だと思う。


「……よかったです」


 フロンが安心したように言ってほほ笑んだ。


「え?」

「ご主人様にクビにされるのかと思って――とても不安でした。これからも従者兼恋人として、よろしくお願いします」


 フロンが笑顔で言う。

 そんな嬉しそうなフロンを見て、俺は自分の愚かな行いを後悔した。

 フロンのことを気遣いのできない女だって思ってしまったこと。

 彼女は俺に捨てられると思って、あんなに取り乱した。そんな中、俺の結婚の申し出を断る――それがフロンにとってはどれだけきつい選択だったのか。

 俺がフロンとこれからの関係を続けられるか疑問に思った以上に、フロンもまた俺のように――いや、俺以上に不安になっていたはずだ。

 それでも彼女は、俺のことを思って、俺の将来に禍根を残さないよう、結婚しないという結論を出した。

 どこが気遣いのできない女だ。

 気遣いができていないのは俺の方だった。


「フロン――あぁ、そうだ! 今日は気分転換に海で散歩をしよう。それが終わったらマングローブの種を撒いて、海で貝を集めよう」

「はい、お供します。デートですね」


 フロンが尻尾を拭いて俺の横に並ぶ。

 デートか。うん、そうだ、これはデートだ。


「あぁ、そうだ――忘れてた。恋人ってもう一つすることがあったんだ」

「もうひとつ? なんでしょうか?」

「ふたりでデートをするときは手を繋ぐんだ」

「手を――ですか?」


 フロンは自分の手を見て言う。

 作業前なので手袋をしていない。綺麗な手だ。


「イヤか?」

「いいえ」


 フロンは俺の手を握った。

 海までの短い時間、俺とフロンは手をつないで歩く。

 フロンの手はすべすべしている。

 マシュマロをずっと撫でていたためだろうか?

 使い魔のスライムにはそういう効果があるのかもしれない。


「ご主人様」

「なんだ?」

「……デートというのは、少し恥ずかしいですね。子供みたいです」

「……フロンは子供の頃、お母さんに手を握ってもらったのか?」

「……はい。寒い日は、このように両手を合わせ、手を温めていただきました」


 海岸に出たところで、フロンは俺の反対の手を取り、両手で包み込んだ。

 フロンの温もりが俺の両手に伝わってくる。

 そして、お互い両手を握り合っている――つまり俺とフロンは正面を向きあっている状態になる。

 これは、もうキスの流れでいいのではないだろうか?

 フロンがそっと俺の手を離したので、右腕をフロンの背中に回した。


「ご主人様」

「――フロン、怖いか?」

「不安です」

「そうか、安心しろ。なにも心配しなくてもいいから」

「しかし……さすがに両国から来るとなると」

「大丈夫……え? 両国?」


 よく見ると、こんな状況なのにフロンは俺ではなく横――海の方を見ていた。

 いったいなにを――と思ってそちらを凝視すると船が近付いてくる。

 サンダーたちが乗っていた小船よりは大きな中型の船だ。

 その船には、それぞれ違った旗が三つ掲げられている。


「あれは?」

「真ん中の剣と盾のマークが冒険者ギルドのもの、左のトカゲの紋様の国旗はクワンドラン王国、右の双魚の国旗はトドロス王国の国旗です」


 突然の来訪者の出現に、もうデートとかキスとか言っていられる状況でなくなったのは確かであった。


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