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第8章第12節



 まるで霧のようにぼやける視界の中で、ノゾムはその光景を見た。

 空から降り注ぐ、巨大な雹が、地上の小さな町を飲み込み、破壊していく。

 屋根を穿ち、土壁を粉砕し、家屋を倒壊させ、悲鳴をあげて逃げ惑う人々を打ち据える。

 この地ではごくありふれた風景。しかし、力を持たない小さな人間にとっては、死を呼ぶ災禍。

 そんな危機に陥った町を必死に守ろうとする存在が現れる。

 漆黒の鱗を纏った身体。絶大な力をその身に秘めた、肉の体を持つ者達の頂点に立つ種の一頭、黒龍ティアマット。

 彼女は、その身に秘めた闇の力で街を覆い、降り注ぐ雹の軍勢から、無力な人達を守り始めた。

 助けに来た主の姿を見て、人々が安堵と歓喜、賛歌の声を上げる。

 しかし、なぜか黒龍の表情は芳しくない。彼女だけでは、雹を防ぐことはできても、止めることはできないからだ。

 彼女は黒龍。水や風の精を直接操ることはできない。このまま、雹が落ち着くまで耐えるしかなかった。

 孤独な戦い。

 同族からも忌避される彼女。そして、緩衝地帯に積極的にかかわろうとする龍族はおらず、人間に助力しようとする彼女の意に賛同する同族など皆無だった。

 さらに間の悪いことに、空を覆う水の源素が、さらに濃度を増してきた。

 舞い落ちてきた雹が徐々にその巨大さを増していき、闇の障壁に、さらに強烈な衝撃が走り始める。

 ティアマットの力も無限ではない。天を覆う水の源素が彼女の力を上回ってしまったら、眼下の人間達は、確実に自然の刃に命を奪われるだろう。

 ティアマットは、更なる力を障壁に注ぎ始める。

 いつ終わるかわからない、先の見えない持久戦。

 叩きつけられる雹が、まるで虫に食われる若葉のように、彼女の心を蝕み、彼女の心に巣食う無力感とコンプレックスを掻き立てていく。


“それでも、私は……!”


 無力感に苛まれても、心が折れそうになっても、彼女は諦めたくなかった。

 眼下には、祈りながら彼女を見上げる多くの人間達がいる。

 初めて守りたいと思った存在。その脆弱さゆえに他者の想い、その痛みを理解できる者達。

 その胸に抱く責任感と義務感、そして何より強い親愛の情を燃やしながら、彼女は天を見上げる。


“水の精よ。凍り付いた同朋の体を解きほぐし、命の滴へと変えたまえ”


 その時、凛とした清らかな声が、宙に響いた。

 瞬く間に天を覆っていた雲が晴れ、太陽がその姿を現す。

 そして、差し込む日の光を浴びながら、一頭の青龍が現れた。


「オル! 来てくれたんだ!」


「ええ、ミカエルから聞いたわ。随分と大変な事に手を貸しているみたいね」


 駆け付けた友人の姿に、ティアマットは歓喜の声を上げる。胸の奥を蝕んでいた無力感は、もう感じなかった。


 












「こら! 坊主、何をボケっとしておるんじゃ!」


「うわ!」


 ゾンネの叱咤が森に木霊する。

 アイリスディーナの邸宅でダンスレッスンをした翌日。ノゾムはゾンネに頼み込み、早朝から鍛練を行っていた。

 しかし、頭に浮かんだ光景につい意識が向いてしまった事で、ゾンネから怒声を受ける羽目になってしまう。

 先ほどノゾムの脳裏によぎった光景は、彼が昨日の夜に夢で見た光景だった。

 おそらくはティアマットの過去に関するもの。

 シーナからミカエルを受け取った為か、今までよりもより深く、直にティアマットの感情に触れたように感じられた。

 

「せっかく休みをやったというのに、呆けておるとは何事じゃ。しっかり集中せい!」


「あ、ああ。悪かった」


 ノゾムは意識を切り替え、鍛練に集中する。

 今朝見た夢については、後でも考えられる。今は、この鍛練に全神経を集中させることが必要だった。


「ふう……」


 呼吸を整え、封魂の縛鎖を解除する。

 同時に溢れる気の奔流。ノゾムは体内で荒れ狂う力を感じ取りながら、身体の内と外に同時に意識を集中させる。

 自らの奥深く、深淵から漏れ出す、五色の源素。

 まるで絵具をぶちまけたように乱雑で、竜巻のように容赦のない力の奔流が、ティアマットの憎悪と共にノゾムの体を食い破ろうと暴れまわる。

 さらに、溢れ出た気に当てられた周りの精霊たちが、一気に騒ぎだし、我先にとこの場から逃げ出していく。

 ノゾムの瞳が、チラリと飛び去っていく精霊達の方へと向けられた。


「ほう……」


 ノゾムが精霊を感知していることに気付いたのか、ゾンネが感心したような声をあげる。

 一方、ノゾムは必死にティアマットの力を制御しようとしつつも、限界を迎えていた。彼の全身に滝のように脂汗が流れ、ピシピシと千切れるような音と共に肌が裂ける。

 解放していられた時間は、前回と大差がない。

 しかし、進歩はある。ある程度満足したように、ゾンネは頷いた。


「小僧、もういいぞ。そろそろ……」


「ぐう、がっ!」


 突然、ノゾムが吐血した。今ある限界を踏み越えて、力を解放し続けようとしたのだ。

 無作為に放出された力がノゾムの体に更なる傷を刻み、噴き出した血をまき散らしながら辺りを渦巻く。

 瞠目したゾンネが、慌てて手をかざすと、放出された白い光が、流出したティアマットの力を抑え込み始める。


「っ!何をしておる! 早く止めるんじゃ!」


「ぐ、ぐうう……がはっ!」


 ノゾムの体に不可視の鎖が巻き付き、濁流のように流れ出していた力が収まる。同時にノゾムは、力なく崩れ落ちるように膝をついた。


「はあ、はあ、はあ……」


「何をしておる! 死ぬつもりか!」


「すま、ない……。もうちょっと、行けるかと思って……」


「愚か者め! 前にも言ったじゃろうが! 精霊魔法も異能の制御も、一朝一夕にできることではないと! 下手に事を急いて足を踏み外せば、そのままあの世行きなんじゃぞ!」


 息も絶え絶えといった様子のノゾムの傷を癒しながら、ゾンネは声を荒げて無茶をした少年を叱咤する。

 一歩間違えば、事は少年の命だけでは済まない。ティアマットが復活してしまえば、アルカザムは確実に崩壊。近隣の国もただでは済まないのだ。

 ノゾムもまたそのことは十分に理解しているのか、申し訳なさそうにしながら、大人しくゾンネの治療を受けていた。


「はあ……。それで、精霊の感知はできるようになったようじゃの。それで、どんな感じじゃ?」


「尚の事、よく分からなくなった……」


 ノゾム自身、そうとしか表現できなかった。

 今まで以上に感じるようになったティアアットの憎悪と怨嗟は、まるで底なし沼のように果てしなく、感じ取れる源素はゴチャゴチャで、相変わらず全く制御し切れる兆しがなかった。


「ふむ、まあ、奴の力は混沌そのものと言ってよいからのう。じゃが、少しはマシになっておる。精霊を感じ取れるようになったようじゃからな」


「……え?」


「前も言ったじゃろう。力を制御するには、力の根源と己自身に向き合い、知り尽くさなければならん。そういう意味で、程度はともかく、手段は間違ってはおらん。エルフのお嬢さんに感謝じゃな」


 ゾンネが口にした名前に、ノゾムは目を見開く。


「なんで、シーナが関わっているって……」


「彼女から、ワシがお主にミカエルを渡すように頼んだことは聞いておるじゃろう? その時にお主の事を話した際、何か考えこんでいたようじゃったからの」


 口元に“してやったり!”というような笑みを浮かべながら、ゾンネは驚きを隠しきれないノゾムを見下ろす。

 一方、ノゾムとしては気が気ではない。

 思い出されるのは、月の光の下で清らかな裸身をさらした少女の艶姿。気が付けばノゾムは、体の奥からこみあげてくる熱を顔に出ぬよう努めながら、ゾンネを睨みつけていた。


「…………」


「そんな不審な目で見るな。彼女がお主に対して行った儀式については見当がついているが、それをどのように行ったのかまでは知らんわい」


 血約の儀を成立させる要素は、流れ出る血液を混ざり合わせる事のみなので、ゾンネはシーナがノゾムと血約の儀を行ったことは察していても、その儀式をどのように行ったのかまでは分からない。

 しかし、ゾンネの口元に浮かぶ笑みに、ノゾムは自分の疑念を拭えずにいた。


「本当だろうな?」


「ああ本当じゃ。もっとも、茹蛸のようになっているお主の顔を見る限り、相当刺激的で魅力的な事をしてもらったようじゃのう」


「な! この爺!」


 羞恥心を一気に刺激され、ノゾムは思わず声を荒げる。

 ゾンネは小悪魔じみたニヤケ顔を張り付けたまま、素早く手を振った術式を展開した。


「ホ、ホ、ホ! 今日の鍛練はここまでじゃ! さらば~~!」


「このエロ龍! 覚えていろよ!」


 小馬鹿にしたようなセリフと共に、ゾンネが転移魔法を発動。足元から湧き上がる光の奔流がノゾムの体を包み込み、森から学園まで一瞬で転移させてしまう。

 光が収まってみれば、ノゾムは既に学園の武技園地下に立ち尽くしていた。

 あっという間に薄暗い地下に飛ばされたノゾムは、昂ぶっていた心を落ち着けようと、何度も深呼吸を繰り返す。

 

「……まったく、あの爺さんにも困ったもんだ」


 ようやく落ち着いたノゾムは、嘆息しながらも近くに置いてあった荷物を担ぐ。

 外へと続く通用口を進みながら、ノゾムは手の平に視線を落した。

 指先についた傷。シーナが血約の儀を行った跡を見つめながら、今日の鍛錬を振り返る。


「一歩前進、それでも……」


 シーナのおかげで、精霊の感知は出来た。その結果としてティアマットの力を、より繊細に感じ取れるようになった。

 僅か一日にして、十分すぎる成果と言える。だが、全く伸びる気配を見せない制御時間が、ノゾムに歓喜ではなく、焦燥を感じさせる。

 人差し指の傷を塞ぐ、赤黒い瘡蓋。その錆鉄の色が、アイリスディーナの血で汚れた細剣を思い出させる。

 気がつけば、ノゾムは拳を固く握り締めていた。

 

「まだまだ。先は遠い、な……」


 通用口を出たノゾムは、明るい日の光に眉を顰めながらも、教室へと足を向けた。始業の時間が迫っている。

 

“一歩進んだ。今はその事に満足しよう”


そう気持ちを切り替え、ノゾムは深呼吸をして、胸の焦燥を落ちつけながら、握り締めていた拳から力を抜く。しかし、握り締めていた拳の傷跡から、一筋の血が滴っていた。

 まるで、彼の焦燥を現すように。




 









 ノゾムを送り返したゾンネは、先程の鍛錬を思い出しながら、ジッと考え込んでいた。


「やれやれ、これは不味いかもしれんな……」


 休ませて落ち着かせるはずが、逆にノゾムの焦燥をより掻き立てる結果になってしまっていた。

 今まで、ノゾムが自らの危機察知能力が示す限界を超えて、力を開放し続けたことはない。

 アイリスディーナ達に任せたのは間違いだったかと思い始めるが、彼女達以外にノゾム・バウンティスが心を開いている人物もいない。


「一層、目が離せんな……」


 気は抜けない。初めからそう心に言い聞かせながら、ノゾムの鍛錬を見守っていたゾンネ。だが、さらなる手を打っておく必要があると考え始めていた。


「ワシ一人だけでは限界であろう。ジハード殿達にも伝え、話を詰めておく必要があるかもしれんのう……」


 そう呟きながら、ゾンネは、踵を返して、森の奥へと足を踏み出す。

 打てる手は、すべて打っておく必要があるという考えに基づき、自らが施したものを確かめるために。


お待たせして申し訳ありませんでした。

前回の更新直後にリアルが多忙になり、年度初めに仕事のメンバーの半分が移動。

倍増した仕事に追われつつ、新人教育を任され、そして今回の地震です。

幸いにも直接的な被害はありませんでしたが、まだ落ち着いたとは言い難いのが現状です。

その為、執筆作業の方もなかなか進んでおらず、前回、前々回の感想にも、お返しがまだできておりません。

今月中にはお返事させていただきたいと思いますので、しばしお待ちください。

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