試飲会の準備
セシリアとナベラと別れて帰宅すると、玄関には俺以外の靴が揃っていた。
玄関からリビングに入ると、カーミラが樹海スライムをクッションにして奇妙な仰向けになっていた。
「お帰りなのだハシラ」
「ただいま」
俺がリビングに入ってきてもカーミラは樹海スライムをクッションにして遊んでいる。
クレアとリーディアは台所で夕食の用意をしているらしく、包丁で食材を叩く音や、食材を炒める音が響いていた。
カーミラは料理を手伝う時もあるが、手伝わない時もある。
彼女は基本的に気分屋だし、全員で毎日わざわざ料理をする必要もないので、これはこれで問題ない。
今から手伝いにいったところで手伝えることなんて知れているので、俺も今日はリビングでゆっくりさせてもらおう。
いつもの定位置に移動。俺が反対側に移動したというのに、カーミラはまるで体勢を変える様子がない。樹海スライムをクッションにして、仰向けのまま身体を揺らしている。
このまま腰を下ろすと、間違いなくカーミラのスカートの中が見えてしまう。
妹たちに囲まれて慣れているとはいえ、日常的にそういった部分が見えてしまうと気になってしまうものだ。
「下着が見えそうだぞ?」
「んんー? 気にしないのだ」
「いや、俺が気にする」
「なんだ? そんなに気になるのか?」
上体を起こしたカーミラは面白がるように笑って、スカートの裾をぴらぴらとさせた。
「来週の試飲会にはカーミラの母親もくるんだ。そういうことをすると怒られるぞ」
「えええっ――わわっ!」
窘めながら母親のことを話してみせると、カーミラは大きく動揺し、バランスを崩して樹海スライムから落ちた。
後ろ向きに派手に転んだせいかスカートがまくれ上がって大変なことになっている。
「ちょっと何やってるのよ」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ちょうど夕食をリビングに運びにやってきたリーディアが呆れながら配膳し、クレアが驚きつつも冷静にカーミラを起こしてあげた。
「ハシラ、母上が来週ここにやって来るというのは本当なのか!?」
「エルミラ様も試飲会にこられるのですか?」
「カーミラのお母さんってことは魔王の奥さん?」
カーミラの言葉を皮切りにクレア、リーディアからも一斉に質問が飛んでくる。
魔国の王の奥さんがくるとなると驚くのは当然だろう。
「ああ、本当だ。さっき魔国から帰ってきたセシリアからそう聞いた」
「うえー」
事実を告げると、カーミラが乙女らしからぬ呻き声を上げた。
その表情から母親がやってくるのを歓迎していない様子。
「……嫌いなのか?」
「いや、別に嫌ってはいない。ただ会う度に口うるさいので面倒くさいだけなのだ」
気になって尋ねてみると、カーミラはきっぱりと答えてくれた。
表情と声音を聞く限り、純粋に年頃の女の子が両親を苦手に思うような。そんな純粋な気持ちで、これといった嫌悪感は感じられない。別に不仲というわけではないようだ。
クレアは何か言いたげな顔をしていたが、言葉を呑み込むことにしたのか喋らなかった。
「とにかく、魔王から頼まれているからカーミラの母親もやってくるのは決定だ。その心づもりでいておいてくれ」
「ええ」
「かしこまりました」
「父上は母上に弱いからな。わかったのだ」
決定事項だと告げると、リーディアとクレアは素直に頷き、カーミラはちょっと嫌そうにしつつも頷いた。
●
一週間後。試飲会の当日となった。
試飲会の会場に向かうために俺たちは早めに家を出る。
家を出て、畑を抜けた先にある中央広場には、たくさんの人々が集まっていた。
銀狼族、金虎族、エルフ族、アラクネ族、黒兎族、ヘルホーネットの女王、ガイアノート、イトツムギアリ、テンタクルス、樹海スライムといった集落に住まう数多の種族や魔物が集結している。
マザープラントは移動することができないのでいつもの本体はいないが、分身となる小さな体を生やして広場にやってきているようだ。
「もうこんなに集まっているのか」
「皆、この日を楽しみにしていたからね」
試飲会が始まる前から賑わっている様子に驚いていると、リーディアがクスリと笑う。
どうやら俺が思っている以上に住民たちはイベントに飢えていたらしい。
「それにしてもセシリアは随分と張り切りましたね」
中央広場の景色を見るなり、クレアが思わず呟く。
中央広場にはいくつもの丸テーブルが並んでおり、そのすべてに真っ白なナプキンが敷かれている。
テーブルの上にはちょっとした軽食が並んでおり、既に談笑を始めている種族の幾人かはそれらを摘まみつつ談笑をしていた。
奥のL字状になったテーブルでは料理人のナベラがおり、料理の準備を進めているよう。まるでお城の庭で行われる立食パーティーのような雰囲気だ。
「むむ? この広場にこんな芝が生えていたか?」
広場に踏み入るなり、カーミラが足元を見ながら首を傾げる。
「セシリアに頼まれてこの日のための生やしたんだ」
三日ほど前に、セシリアに広場の雰囲気を綺麗に見せるためにと頼まれて芝を生やした。
ボーボーに生えていると思われないように長さを調節して、綺麗に生やすのは難しかったが、こうやって眺めてみると綺麗な芝だと思える。頑張って生やした甲斐があるものだ。
俺たちが呑気に広場を眺めている中、セシリア、エルトン、バルター、ナベラといった面子は忙しく動き回っている。
試飲会の正式な開催は太陽が中天に昇る頃なのだが、住民たちが楽しみにし過ぎて早めに集まってしまったために準備が前倒しになっているようだ。
これだけ早く集まれば退屈しないように軽食も用意しないといけないし大変だろう。
気になったので俺は動き回っているセシリアを呼び止める。
「セシリア」
「ハシラさん! カーミラ様、申し訳ありません、ご挨拶が遅れましたわ」
声をかけると、ようやくこちらの存在に気付いたのかセシリアが丁寧に一礼をする。
「忙しそうだが大丈夫か?」
「大丈夫ですわ。準備はわたくしたちが行いますので、ハシラさんたちはごゆっくり寛いでさいませ」
愛想よく笑みを浮かべているが、セシリアの表情には余裕がない。
いつもであれば、俺たちを見つけた瞬間に軽い挨拶の声をかけてくるはずだ。
やってきた俺たちに気付かないほどに余裕がないのだろう。
「しかし、これだけ前倒しになっていれば大変だろう? 見たところ料理の配膳が間に合っていないし、ワインやブドウジュースの搬入ができていないようだが?」
「ぐっ、それも手が空き次第すぐに――」
セシリアが返事をする中、クレアが遮るように大きなため息をついた。
「なにを強がっているのですか。あなたたちの手が回っていないことは丸わかりなんです、こんな状態で魔王様や魔王妃様がいらしたらどうするのです?」
「あの魔王様のことだし、楽しみにし過ぎて早めにやってくるとかあり得るわね」
「うむ、間違いなく父上と母上は早めにくると思う」
リーディアの推測を聞いて、カーミラが同意するように頷いた。
「誰かの手を借りることは悪いことじゃないと思うぞ?」
「では、申し訳ありませんが、少し手を貸していただけませんこと?」
優しく言ってみると、迷っていたセシリアが素直に言ってくれた。
「頼む時の態度がなっていませんね。きちんと跪いてくれないとやる気が削がれます」
「あなたね!」
「ですが、今はそれどころではないので勘弁してあげましょう。さあ、やるべきことを早く言ってください」
セシリアを煽ろうとしていたクレアだが今日のところは素直に手伝う方針らしい。
クレアの言葉にセシリアは目を丸くして驚きつつも、少し嬉しそうに頬をほころばせた。
「では、クレアとリーディアさんはナベラのお手伝いを」
「アタシは何をすればいい?」
「カーミラ様にはドルバノさんとゾールさんの鋳造所に向かって、ワインやブドウジュースの運び込みを手伝ってあげてくださいませ」
「わかったのだ!」
指示を受けたクレアとリーディア、カーミラが速やかに動き出す。
「俺はどうすればいい?」
「ハシラさんは、こちらで待機をお願いします」
「それでいいのか?」
「いつ魔王様と魔王妃様がいらっしゃるかわかりませんので、やってきた際はすぐに対応をしてくださると助かりますわ」
俺だけ明確な手伝いがないのを少し不満に思ったが、今の俺は集落の代表だ。
魔国のトップである二人がやってきた時に、すぐに対応できない状況は確かにマズい。
慣れている魔王なら後で声をかければ済む話だが、今回は魔王妃がいることだしな。
「わかった。なら、俺は待機しておこう」
「はい、お願いいたしますわ」




