アラクネ族
新たな気配の接近に対し、レントが木牛の解体を中断して俺の傍にやってくる。
俺も神具を構えつつ、周囲を油断なく警戒する。
周囲には鬱蒼とした樹木や茂みが広がっているせいか、視界はかなり悪い。こうして視線を巡らせるも、それらしい気配の姿を捉えることはできない。
「うわっ!?」
しばらくジーッとしていると、リファナから悲鳴が上がった。
視線を向けると、白い糸のようなもので逆さ吊りにされてしまっている。
「な、なにこれ!?」
どこかから攻撃されたというより罠に引っ掛かったというべきだろう。
助けに行きたいところであるが、迂闊に動けばリファナと同じようなことになりかねない。
動きを止めて様子を見ていると、それを見計らったかのように何かが飛んできた。
レントが俺の守ろうと左腕を掲げると、白い何かは分散してレントの身体に巻き付いた。
やはり糸だ。しかも、かなり粘着性のあるもの。
「久し振りの男ね!」
頭上から響いた声を受けて、視線を向ける。
上半身は人間の女性の身体で下半身は蜘蛛。二本の腕に八本の脚をした女性がいた。
「コイツは……?」
「ハシラ、アラクネだよ! 気を付けて! 攫われると大変なことになる!」
確かゲームやアニメなんかの創作物で聞いた覚えがある。
「大変なことってなんだ?」
「食べるのよ。この場合の食べるは性的な意味でだけど……」
気になって思わず尋ねると、アラクネが妖艶な笑みを浮かべながら言う。
艶のある黒髪に端整な顔立ち。豊かに実った胸に、しっかりとくびれた腰。
下半身が完全に蜘蛛であるが、男として惹かれないかと言われれば嘘になるが、そういった無理矢理な肉体関係は好みではない。
「なるほど、それは大変だな」
「安心してちょうだい。あなたは私の糸に絡まれて、ジッとしているだけでいいのよ」
アラクネがねっとりした笑みを浮かべながら樹上から近づいてくる。
銀狼族のリファナは動けず、レントの身体には糸が巻き付いている。
自由に動けるのは俺だが、人間族であるために舐めている様子。
「俺がひ弱なのは事実だが、レントを舐め過ぎだ」
俺がそう言うと、レントは身体に巻き付いていた糸を力づくで引きちぎった。
「え? ちょっと待って!」
自分の糸に自信があったのか、アラクネが慌てた顔になる。
しかし、それで勢いを弱めるはずがない。拘束物がなくなると、レントは樹上にいるアラクネ目がけて突進する。
それを見てアラクネは慌てて逃げるかと思いきや、ニヤリと笑った。
次の瞬間、突進していったレントの速度がガクンと落ちた。
まるで、見えない何かに阻まれているかのよう。
「バカね! そこには私の張っておいた糸があるのよ!」
レントの身体を見てみると、全身に糸が絡みついていた。
どうやら事前に視認すら難しい程の薄い糸を張り巡らせていたらしい。戦う前から補足されていて敵に有利なのは知っていたが、かなり用意周到なようだ。
「敢えてもう一度言おう。レントを舐め過ぎだ」
そのような糸の拘束でレントは止まることがない。
レントはその身を膨張させると、身体に絡みついていた糸を爆散させた。
「嘘!? 私の糸をものともしないなんて……っ!」
張り巡らせた糸に絡まれて平然と突進していくレントに、アラクネは今度こそ焦りを見せる。先程のように演技ではないのは、真っ青になった顔色からよくわかる。
急接近してくるレントに対し、アラクネは器用に糸を飛ばして別の木に移動。
糸を起点として見事な立体機動だ。前世で有名だった蜘蛛のヒーローを彷彿とさせる俊敏な動き。ついでに糸で大きな倒木を引き寄せて、レントに見舞いするのも忘れない。
しかし、レントは自分より巨大な倒木であろうとお構いなし。
自慢の拳で正面から破砕した。
「なんてパワーなの!?」
肉薄してくるレントに向けて、糸を飛ばしつつアラクネは樹上を移動する。
射出した糸から次に止まるであろう幹を予測。
予測通りやってきたところを俺の能力で蔓を生やし、アラクネを拘束した。
「そ、そんな!? アラクネである私が、ひ弱な人間族に縛り上げられるなんて……っ!?」
糸での移動は見事であるが、糸を起点としているためにどこに飛んでいくか予想がしやすい。どの木の幹に止まるのか予想が付けば、俺の能力で捕らえることは簡単だった。
腕が四本ある上に、脚が八本もあるので念を入れて拘束させてもらう。
「んんっ!」
「おい、変な声を上げるな」
「だって、あなたがこんな強烈なことをするから……ああん!? 縛られるっていうのは初めてだけど、なんかこれいいかも……っ!」
「本当にやめてくれ」
アラクネの妙な性癖を開拓してしまったのだろうか。アラクネがあえぐような声を漏らす。
ただでさえセクシーな身体をしている上に、大人っぽい声音をしているのだ。
艶やかな声を出されると、本当に変なことをしている気分になる。
逆さ吊りになっているリファナの顔が赤いのは、血が昇っているせいだと思いたい。
とりあえず、神具をナイフに変えて、リファナを拘束している糸を切ってあげる。
「ありがとう」
運動神経の良いリファナは、空中から落下しても見事な身のこなしで着地してみせた。
「にしても、どれほどの罠を用意していたんだ」
「でも、戦い方はちょっとハシラと近かったかも」
確かに自然物を利用し、敵を近づかせまいとする戦闘スタイルは似ているかもしれないな。
レントがいなければ、俺でも足元をすくわれていた可能性がある相手だった。
「ひとまず、話をしたいんだが会話に応じる気はあるか?」
「ええ、というか私には拒否権はないもの」
一応、きちんと応じるつもりはあるらしく、拘束された今では大人しかった。
「俺はハシラ」
「……エルダよ」
自己紹介をすると、アラクネはポツリと名乗ってくれた。
「俺はアラクネという存在に詳しくないんだが、アラクネは魔物なのか? それとも亜人に分類されるのだろうか?」
「よく勘違いされるけど、私たちは歴とした亜人よ。魔物なんかじゃないわ」
若干苛立った声音から、素で間違えると大変憤慨されてしまいそうだ。
事前によく知らないと保険をかけておいて良かった。
「そうか。それは失礼なことを聞いた」
「ところで、あなたは何者なの? こんなところに人間族がいるなんておかしいわ」
「何者かと聞かれると、この樹海を開拓して住んでいる集落の代表みたいなものか?」
「樹海の中に人間族の集落? そんなものがあるの?」
答えると、エルダが興味を示したように言う。
「あるぞ。とはいっても、人間族は俺だけで、他にはハイエルフに魔族に獣人と住んでいる種族は様々だ。樹海にある作物を育て、最近では魔国とも貿易を行っている」
「……本当にそんな場所があるの?」
「あるよ! そこに私たちの種族も暮らしているもの!」
リファナが毅然とした態度で答えるが、エルダはどこか疑わしそうな様子だ。
「気になるんだったら見に来るか?」
「あなたたちを襲ったっていうのに、大事な場所に引き入れていいわけ?」
「俺の集落に住んでいる奴は、基本的に俺のことを襲っている奴らばかりだぞ?」
ここにいるリファナも俺のことを襲っている。そんな例を挙げると、リファナは気まずそうに頬を掻いた。
「なにそれ。襲われたのに一緒に暮らしてるなんてバカね」
「違いない」
エルダがおかしそうに笑う。
先程と違って、表情から警戒心が薄れている感じだ。
「あなたたちに興味が湧いたわ。異種族たちが共存している集落っていうのを見せてちょうだい」
「わかった」
俺たちの集落は基本的に来る者は歓迎だからな。
エルダを拘束していた蔓を解放してやる。
すると、エルダが残念そうな顔をした。気のせいだと思いたい。
解放されたエルダは動くようになった腕や脚の調子を確かめるように動かした。これといってことらに敵意を向けてくる様子はない。
「集落に案内する前に、少しだけ用事を済ませていいか?」
すぐに彼女を案内したいところであるが、あと一つ残っている素材集めも終わらせないといけない。
「何かを探しているの?」
「樹海馬の素材が欲しくてな」
「その魔物ならあっちの方にいるわ」
「居場所がわかるのか?」
「この辺りには私の糸を張り巡らせてあるから」
どうやら糸をあちこちに張って感知しているようだ。非常に便利だ。
「もし、よかったら案内してもらえるか」
「ええ、早く集落を見に行きたいもの。用事は早く済ませましょう」
エルダの協力により、俺たちはあっさりと樹海馬を見つけて、素材を確保するのだった。




