テンタクルスの体を綺麗に
テンタクルスのブラシを作ることにした俺は、一度家に戻ってきていた。
ドルバノやゾールがやってきて、少しずつ素材も有効利用できるようになったが、それでも魔石に比べると手付かずのものが多い。
保管庫には樹海の魔物から採取した数多の素材で満ちていた。
「ブラシの本体は俺の能力で作れるとして、必要なのは毛先だな」
保管庫の中を移動してブラシの毛先となる魔物の毛皮を物色する。
「お、あったあった。デビルファングの毛皮が」
その中で手に取ったのは以前、レントは樹海で狩ってきたデビルファングの毛皮だ。
猪に分類される魔物のため、毛の感触としてはザラザラとしている。
身近な道具で例えると、箒の毛先のような感じだ。
毛布や衣類にするには毛質が硬すぎるため、そのまま使われることも加工されることもなかったが、屈強なテンタクルスの身体を磨くにはちょうどいいだろう。
デビルファングの毛を採取して束にすると、能力を使って木でブラシを作る。
本体に穴を開けると、そこにデビルファングの毛束を植毛。
神具をハサミに変えて毛の長さを調節し、櫛で毛を梳いてあげれば完成だ。
「うん、いい出来栄えだな」
テンタクルス専用なのでブラシの大きさが二メートル以上もある。
あれほど身体が大きいと小さなブラシでは時間がかかってしまう。一気に磨いてやるにはこれくらいのサイズがちょうどいいだろう。これはレント専用だ。
とはいえ、大きなブラシだけでは細かな部分を磨く難いだろうし、俺でも持てる小さなブラシをいくつも作っておく。
「念のために柔らかいブラシも用意しておくか」
魔王の魔法すら弾いていた強靭な身体が、デビルファングのブラシ程度で傷がつくとは思えないが、何事にも合う合わないというがあるしな。
大きな汚れを落とした後に、細かな汚れを落とすことのできるブラシがあった方がいいだろう。
となると、デビルファングの毛とは違って、柔らかい毛のものが望ましい。
柔らかい毛のものは衣類や毛布などに使われがちだが、保管庫の中にいくつか当てはまる素材があった。
「これがいいだろう」
手に取ったのは樹海馬の尻尾。樹海の中を縦横無尽に走り回る馬だ。
馬肉を食べてみたいと思ってレントと一緒に狩ってみたのだが、肉質がとても硬くて食べることのできなかった魔物の素材だ。
食用にはならなかったが、こうやってブラシの素材になるので狩っておいて良かった。
こちらも同じように毛束にし、能力で作った本体に植毛。
デビルファングよりも毛量が少ないので、三つほど消費することでビッグサイズに仕上げることができた。
残っている一本は、俺でも普通に扱えるミニサイズとして加工しよう。
そうやって能力を使っていると、あっという間にブラシが出来上がった。
レントを呼ぼうと家を出ると、外にレントが立っていた。
俺の意思を無意識に汲み取って待機していたのだろうか。
「ちょうどいいところにいた。これを使って、テンタクルスの身体を磨くのを手伝ってくれ」
巨大なブラシを渡すと、レントは物珍しそうに眺めてからそれぞれに手に収めた。
二メートルはあるブラシでも、レントが持つと程よい大きさのように思えるな。
ブラシを手にしたレントを連れて、俺はテンタクルスが待機している場所へ。
俺が戻ってくる頃には、クレアが準備万端の状態で佇んでいた。
周囲には水の入ったお陰が置かれており、イトツムギアリから貰ったであろう綺麗なタオルを手にしている。
「随分と大きなブラシですね」
「これでレントに磨いてもらおうと思う」
ブラシを見上げて目を丸くしているクレアを見て苦笑する。
「まずはデビルファングのブラシで大きな汚れを落としてやってくれ」
それぞれの毛質の違いを説明すると、レントはこくりと頷いてテンタクルスの身体にブラシを当てた。
シャッシャッとブラシで擦られる音が響いた。
それと共にテンタクルスの身体に付着していた大きな土埃が落ちていく。
「どうだ? ブラシは痛くないか?」
尋ねてみると、テンタクルスは問題ないとばかりに頷いた。
「大まかなところはレントに任せて、細かいところは俺たちがやることにしましょう」
「ええ」
クレアに小さなブラシを渡し、大きなブラシでは磨きにくい足の関節なんかを磨いていく。
すると、ジーッとしていたテンタクルスがブルリと身体を震わせた。
「……もしかして、くすぐったいか?」
尋ねると、ちょっと間を置いてからテンタクルスは頷いた。
そんな反応を見ると、とても人間っぽく思えて微笑ましい。
強靭な肉体を誇るテンタクルスにも、そういった弱点はあるようだ。
「身体を綺麗にするためだ。すまないが、ちょっとだけ堪えてほしい」
こういった関節部分には汚れが溜まりやすいようで、結構な汚れが目立つ。
くすぐったいかもしれないが、頑張って堪えてほしい。
テンタクルスほどの巨体で暴れられると、俺たちの命が危ない。
シャッシャとブラシで擦っていくと、関節に詰まっていた汚れがドンドンと落ちていく。
これだけ綺麗に落ちてくれると、掃除しているこちらも気分がいい。
普段、空を飛んでいる姿ばかり見ることが多いので、こうして近くで見ると思っていた以上に汚れが付着していることがわかるな。
身体の全体をレント、俺とクレアが足の関節といった部分を担当していると、不意に視線を感じた。
振り返ると、エリス、クルス、ウルガといった獣人の子供たちが羨ましそうな面持ちでこちらを眺めている。
「お前たちも一緒にテンタクルスを磨いてやるか?」
「……やる」
ブラシを手にしながら問いかけると、獣人の子供たちはわらわらとやってきてブラシを手に取った。
「うわっ、すげー! テンタクルスの身体ってツルツルなんだな!」
「……手触りがいい」
「二人とも触ってばかりいないでブラシを動かしなさいよ」
テンタクルスは普段空を飛んでおり、やってきたばかりの獣人が触れ合う機会は少ない。
が、こうして接触できる機会を窺っていたのかもしれない。
テンタクルスの身体に触れながら獣人の子供たちがはしゃぎ声を上げる。
その様子はとても楽しそうで、見ているこちらの頬も緩むほどだ。
足の関節掃除は子供たちに任せて、俺とクレアは一歩引いたところで見守る。
「一度、魔法で大きな汚れを吹き飛ばします」
大きな汚れを落とすと、クレアが風魔法を発動する。
テンタクルスを包み込む優しい風が、ブラシで浮き上がった汚れを纏めて吹き飛ばした。
「次はこっちの柔らかいブラシを使って、細かい汚れを落としてやってくれ」
次の段階に進んだので、樹海馬の尻尾を使ったブラシを渡してやる。
「わっ! これ、とっても毛が柔らかい!」
「……髪が綺麗に梳ける」
「すごい! クルスの髪がとっても綺麗!」
クルスとイリスはブラシを使って自分の髪を梳いていた。
二人の髪を見てみると、とても綺麗に梳かされており髪のにツヤが出ているように見えた。
そんな光景を見ていたウルガが、自らの尻尾にブラシを当てようとする。
しかし、俺の視線に気付いたのかバツが悪そうな顔をして止めた。
年ごろとして尻尾の手入れを見られるのは恥ずかしいのか。それとも種族的な価値観による羞恥なのかよくわからない。
「……ハシラ、このブラシ欲しい」
「このブラシがあると、髪の手入れだけでなく、尻尾の手入れもできるので非常に嬉しいです!」
クルスが俺の袖を引っ張り、イリスが目を輝かせながら言ってくる。
二人がそれだけ熱心に頼んでくるということは、それだけ獣人にとって嬉しい道具なのだろう。
「わかった。後で作ってあげるから、今はテンタクルスの身体を磨いてやってくれ」
「「はーい」」
後で渡してあげることを約束すると、クルスたちは嬉しそうに笑ってテンタクルスの身体を磨き始めた。
「……ハシラ殿」
「わかった。女性の分は作るようにする」
「ありがとうございます」
クルスの髪があれだけ綺麗になったのだ。クレアやカーミラ、リーディアの分は当然として、他のエルフの分も用意してあげるべきだろう。
「あと、私とカーミラ様にはデビルファングのブラシも頂けると嬉しいです」
「そっちのブラシを使うには硬すぎるんじゃないか?」
「いえ、髪に使うのではなく、角の方に使います」
クレアとカーミラには角が生えている。どうやらそっちに使うようだ。
「わかった。二人にはそっちも用意しておく」
納得したように頷く俺は、ふと思う。これって魔族的にセクハラになるのかどうか。
獣人の尻尾はとてもデリケートであり、家族や恋人以外が気安く触れることは許されないとリーディアから聞いた。ならば、魔族の角も同じような扱いになるのではないか。
「クレア、魔族的に角の話題はデリケートなのだろうか?」
「いえ、獣人ほどではありません。ただ、角がとても発達している種族は、大事にしていることが多いので気を付けた方がいいと思います」
良かった。クレアの言葉を聞く限り、そこまでデリケートなものでもないようだ。
ここは前世と違って多くの異種族がいるからな。色々な風習や価値観があるので、うっかり踏み抜かないように注意しないとな。
「あっ、となるとセシリアや従者の分も用意した方がいいか?」
「彼女は実家からそういった道具も持ち込んでいるので不要かと」
「それもそうだな」
着の身着のままやってきたクレアやカーミラと違って、セシリアは準備してやって来たわけだしな。俺が作ったものよりも、遥かに質のいいブラシを持っていることだろう。
危ない危ない。余計な気を遣ってしまうところだった。
そんな風に雑談をしている内に、テンタクルスの身体から細かな汚れが落ちていく。
「よし、最後は水で濡らしたタオルで拭いてやろう」
ブラシの出番は終わったので、濡れタオルに切り替えて全員でテンタクルスを拭いてやる。
届きにくい部分はレントに持ち上げてもらったり、蔓で梯子を作ることによって子供たちでもよじ登れるように。
そうやってわいわいと磨いてやると、テンタクルスの身体はとても綺麗になった。
くすんでいた身体は見事な艶を取り戻し、日差しを浴びてピカピカと輝いていた。
最初に樹海で遭遇した時も綺麗な身体だと思っていたが、掃除してやったことでさらに美しい身体になっていた。青緑色の体表がとても映えている。
「すっかり綺麗になったな」
「ええ、とてもスッキリしました」
すっかりと汚れが落ちたテンタクルスを見て、クレアもとても満足げな笑みを浮かべていた。
「な、なあ! テンタクルスの背中に乗ってみてえんだが!」
「……私も乗ってみたい」
「わ、私も!」
爽やかな気分に浸っていると、ウルガ、クルス、イリスが頼み込んでくる。
視線をやると、テンタクルスはこくりと頷いて身を伏せた。
「乗せてくれるみたいだ」
「よっしゃ!」
テンタクルスの意思を伝え、子供たちが登りやすいように蔓の階段を作る。
子供たちがわいわいと乗り込むと、テンタクルスは羽を勢いよく広げて飛び立った。
「う、うおわああああっ!?」
「きゃあああああっ!?」
まさかいきなり飛ぶとは思っていなかったのか、子供たちの悲鳴が上がった。
綺麗にしてもらえたことでテンタクルスのテンションも上がっているみたいだな。
念のために身体を蔓で固定しているし、レントも乗っているので万が一もない。
俺の予想通り、すぐに悲鳴は歓声に変わって、集落に子供たちの楽しげな声が響き渡った。




