クレアは気になる
「ハシラさん、よくぞいらっしゃってくれました! さあ、いつものやつをお願いします! 美味しいニンジンたちを作るために!」
「わかったわかった」
ニンジン畑にやってくると、主な世話を担っているエリスから熱烈な歓迎と催促を受けた。
黒兎族である彼女は、うちの畑で育てているニンジンにすっかり魅了されてこんな調子だ。
よっぽどうちのニンジンが気に入ってしまったらしい。
エリスに手を引っ張られて、ニンジンを育てている畝へ移動。
「セシリアとクレアから聞いていたが、随分と畝を増やしたな」
彼女たちがやってくる前までは、畝が四つ程度だった。
しかし、今では畝が十五個と三倍以上に増えている。事前に報告を受けているとはいえ、これだけ拡張されていると驚くものだ。
「ちょっと増やしすぎたんじゃないか?」
「私たちがちゃんと育てて食べますので大丈夫です!」
「そうか。ならいいんだが」
三人で管理するには少し広いのではないかと思ったが、彼女の並々ならぬ熱意を見る限り大丈夫なのだろう。
畝の間に生える雑草なんかは綺麗に除草されているし、ニンジンもしっかりと成長しているようだ。
黒兎族にとってニンジンは主食のようなものだし、多めに栽培させても構わないだろう。
全体の様子を一通り確認すると、膝をついてニンジン畑全体に成長促進をかけた。
すると、畝から飛び出ているニンジンの葉が二回りほど大きくなった。種を撒いたばかりの新しい畝から新芽らしきものが出ている。
「こんなものだな」
「あ、あの、お米の時のように魔石を肥料にはしないのですか?」
立ち上がると、エリスがおずおずと尋ねてくる。
どうやら他の畑で魔石を肥料にして栽培する方法を見ていたらしい。
「できることはできるが、使わなくてもニンジンは収穫が早いからな」
成長促進をかければ、二週間もかからないうちに収穫まで持っていける。
わざわざ魔石を消費してまで期間を短縮する必要はないと思う。
俺やレントたちは安定して外に出られるが、畑を管理していることの方が多い。今一番外に出入りしているのは、カーミラ、グルガ、リファナであるが、稽古場を作ってからはそちらで稽古をしているらしくここ最近は外に行っていないようだ。
魔石は集落全体を守ってくれているマザープラント、キラープラント、インセクトキラーの食料でもあるので、ここ最近は数を減らして希少になりつつあった。
「なるほど。魔石不足なんですね」
「お姉ちゃん、ニンジンのために樹海の魔物を狩ろうとしてるでしょ?」
妹のイリスがジットリとした視線を向けると、エリスは耳をピンと立てて身体を震わせた。
「大丈夫。弱めの魔物なら私たちの魔法でこっそりと近づいて仕留められるはずよ。集落に近づいてきた魔物も同じように倒したじゃない」
「集落の危機と今の状況じゃ全然違うから!? それにあの時は運が良かっただけだよ!」
どうやらここに来る前の集落で、何度か危ない橋を渡ったことがあるようだ。
確かに黒兎族の認識を阻害する魔法なら、樹海の魔物が相手でも急所に一撃を入れて倒すことができるかもしれない。
しかし、ここの魔物は妙に勘が鋭く、癖が強い魔物も多いので、あまりやってほしい手段じゃないな。
「わかった。ここにあるニンジンを、魔石無しで育てあげることができたら、魔石をいくつか融通しよう」
「本当ですか!? 私、頑張ります!」
そう言うと、エリスは嬉しそうに頷き、イリスはホッとしたように胸を押さえていた。
ニンジンに目がくらんで、エリスがイリスやクルスを連れ出して樹海に入る姿を容易に想像できたからな。
「ありがとうございます! ハシラさん」
「……とても助かる」
「無理をして外に出る必要はないからな」
これにはイリスだけでなく、今まで傍観していたクルスまでも礼を言ってきた。
姉の暴走を未然に防いだことで、とても感謝されたようだ。
よっぽど大きな利益がない限り、無理矢理外に出る必要はない。
「うちの姉がすみません。ニンジンが絡まなければ、臆病で控えめなんですけど……」
イリスが申し訳なさそうに謝る。
どっちが姉でどっちが妹なのかわからなくなる光景だ。
「まあ、元気なのはいいことだからな。困ったことがあったら気軽に相談してくれ」
「ありがとうございます」
エリスとは付き合いが短いのでよくわからないが、ここにやってきた当初よりも大分表情が明るくなっている。イリスの言ったような欠点こそあるものの、楽しそうに過ごしてくれているのであれば何よりだ。
●
畑を移動していると、クレアがポツンと佇んで上空を眺めていた。
彼女の視線を追ってみると、テンタクルスが悠々と飛んでおり、上空から周囲を警戒してくれていた。
「どうしたんだ、クレア? テンタクルスの背中にでも乗りたいのか?」
「いえ、私には自分の翼があるので」
カーミラは翼を持っていても楽しそうに背に乗っていたんだがな。
「そうか。熱心に眺めているようだが、何か気になることでもあるのか?」
「大したことではありませんよ。ただ、テンタクルスの身体の汚れが少し気になりまして」
「汚れ?」
クレアに言われて観察してみると、確かにテンタクルスの身体に土や埃が付着していた。艶のある青緑色の体表は輝きを鈍らせ、ややくすんだ色合いになっている。
自然に付着した汚れもあるだろうが、レントたちと相撲をしているので汚れやすくなってしまったのだろう。
「確かにちょっと汚れているな」
「ええ、汚れたままですと飛んだ時に汚れまで落ちてくることがあります。それになにより――」
「なにより?」
「汚れたままだと私がモヤッとします」
きっぱりと告げるクレアの言葉に、ちょっと拍子抜けした。シンプルにもっと深刻な問題があると思ったぞ。
とはいえ、クレアの理由にも納得だ。
彼女はとても綺麗好きだ。家でもちょっとした汚れが出てくると、率先して掃除をやってくれている。カーミラが雑に放置した衣服や物だけでなく、俺とリーディアが散らかしてしまったものも小まめに整理してくれていたくらいだ。
そんなクレアからすると、汚れたままのテンタクルスが気になって仕方がないのだろう。
「わかった。俺たちで掃除しよう」
「よろしいのですか?」
「気になるんだろう?」
「……はい、気になります」
問いかけると、クレアが柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
クレアのモヤモヤを解消する意味でも重要だし、シンプルに汚れたまま集落の上を飛ばれるのは畑に良くなさそうだ。
ここらでテンタクルスの身体を綺麗にしてやるとしよう。
「おーい、テンタクルス!」
声を張り上げて呼んでみると、空を飛んでいたテンタクルスは即座に気付いた。
器用に旋回すると、こちらにやってきて平地へと着地した。
俺とクレアが近づくと「何か用?」とばかりに小首を傾げる。
「ちょっと身体が汚れてきたみたいだからな。俺たちが綺麗にしてやろうと思って」
そのように伝えると、テンタクルスはこくこくと身体を上下に振って頷いた。
頷きようから身体を綺麗にしてもらえるのはとても嬉しいらしい。
「とはいえ、どのように掃除してやると良いのだろうか? シンプルにお湯に浸からせるとか?」
「それが一番手っ取り早いですね」
なんてクレアと話し合っていると、テンタクルスが首を大きく横に振った。
「もしかして、お湯に浸かるのが嫌なのか?」
尋ねてみると、テンタクルスはしっかりと頷いた。
「生物的にお湯を好まないのか、それともテンタクルス自身が好まないのかは不明ですが、別の方法で綺麗にしてあげる方がいいみたいですね」
「ふむ、ブラシで擦ってあげたり、濡れタオルで拭いてあげるくらいのがいいのか?」
などと思案の言葉を漏らすと、テンタクルスが同意するように頷いた。
「テンタクルスほどのサイズですと、綺麗にする道具も用意しないといけませんね」
「ブラシは俺が作る。クレアは水とタオルの用意をしてもらえるか?」
「かしこまりました」
指示をすると、クレアは銀髪をサラリと動かして行動を開始した。
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