スサノオ・アワシマ・ツクヨミ ~三柱の神々の旅路の末に~
ツクヨミ、スサノオ、そしてウケモチ改めアワシマの三柱は、オオゲツヒメの遺した五穀を広めるため、葦原中国を旅する事となる。
ただし、アワシマ自身は己の名を表に出す事を憚ったため――古事記において五穀を広めたのは、彼の養母カミムスビの行いである、と記録されている。
「スサノオ。これからお前――どうする気だ?」
アワシマに尋ねられ、スサノオは答えた。
「面白そうだから、オレもお前の旅に同行する事にするよ。
五穀を広めるって事は、ツクヨミの知識が必要になるだろ?」
古来より農業は、季節を把握する事が重要であった。種蒔きの季節、肥料を施す季節、収穫する季節……
日本に正確な暦が導入されたのは7世紀半ばと言われるが、それ以前にも季節暦や祭りの日が存在し、農民の間で普及していた。
それは日々の月の満ち欠けを読む事で一定の周期を保ち、安定した作物を育てる事に繋がる。
余談になるが、潮の満ち引きが魚の産卵時期に影響を与えている事も、古来より知られており、これにより大漁の時期を把握する事ができた。
月の神ツクヨミが、農業や漁業の守護神としても崇められていた所以である。
「構わないが。また田圃を荒らしたりするんじゃねーぞ?」
「しねえからッ! 清めの儀式受けたばっかりだし!
第一そんな事したら、今度こそ姉上に、半殺し程度じゃ済まねえ……」
あの奔放で豪胆なスサノオをして、姉アマテラスの本気は心胆寒からしめるものなのか。
彼女の本気を見た事のないアワシマにとって、弟神の怯えようはむしろ滑稽に映った。
「ツクヨミも……異存はねえよな? アワシマの旅に尾いていくの」
『…………ああ』
ツクヨミは鷹揚に頷き、ある事に思いを馳せていた。
オオゲツヒメが遺した五穀に触れたとき、彼はその記憶を読んだ。
穀霊の一粒一粒に、直に教わった訳でもないのに「時」が刻まれている。オオゲツヒメの記憶もまた。
彼女の心の中にはいつもツクヨミがいた。初めて出会った時からずっと――彼女はツクヨミの存在を崇敬し、感謝していたのだ。命の終わりを迎える、その最期の瞬間まで。
(私は月の神・ツクヨミ――肉体を持たず、いにしえの星々の神の如く。
夜闇に微かに瞬くのみ。いずれその信仰も存在も、忘れ去られると思っていたが……
こうして『覚えてくれる神がいる』というのは――有難いものだな)
この時初めて、ツクヨミは理解した。
オオゲツヒメが彼に救われたように、彼もまたオオゲツヒメによって、孤独と死の忘却から救われようとしている事に。
「太陽はわたくしに育つ力を。月は安らぎを授けて下さいます」
死の間際、食物の女神はそう告げてきた。
この言葉、裏を返せば――太陽も月も、彼女にとって大事なものなのだ、という事なのだろう。
(やれやれ。未だにアマテラスの事は好きになれんが……
時折ぐらいは、顔を合わせてやってもいいかもな)
そんなツクヨミの想いがあったからか――今でもたまに、昼であっても月が見える事がある。
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ツクヨミ、スサノオ、アワシマの三柱の旅は、さらに続く。
「──なあアワシマ。お前、酒とか薬とか作るの得意だろ? 教えてくれよ!
あんなに凄い技術、みんなに広めないのは勿体ないぜ!」
「……仕方がないな」
「後世の人々に、オレの子孫に、その技術は連綿と伝わっていく訳だ。
そしたらお前は、医療や酒の神として神話に名が残るって寸法だぜ!」
「……調子いいな、スサノオ。どうせ酒が飲みたいだけだろ?」
「い、いやいやそんな事はねえ!
ホラ、あれだ。とんでもなく強い酒を造れたらさ。
どんな凶悪な敵が出てきたとしても、そいつを飲ませてベロンベロンに酔わせて楽勝だぜ!」
「じゃあ、とっておきの奴を教える。この酒は美味だが……きついぞ?
どんな化け物だろうと、イチコロで酔い潰してしまうんだ!」
「さっすが~アワシマは話が分かるぜ! これで美女がいれば完璧だな!」
「……ツクヨミに女装でもさせるか?」
「ちょ、ちょっと待て! それ結局、オレも巻き込まれるじゃねーか!」
『……いいかもしれんな。スサノオ、将来の嫁探しに役立つかもしれん』
「ふざけんなツクヨミィ! お前、オレをからかったら面白そうだから乗り気なだけだろ!」
『そんな事はない。純然たる善意しかない。だから受け入れろ』
「胡散臭すぎるッ!?」
「…………!」
「……!?」
「……」
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各地を旅した後、スサノオはかの有名なヤマタノオロチ退治の英雄となり、妻となるクシナダヒメを娶って、出雲国の地下に家族と共に移り住んだ。
スサノオの子孫は後に――国造りの神オオクニヌシとして、その名を轟かせる事となる。
アワシマは海の彼方にある、常世国へと帰った。
その際、スサノオの子孫が困難にぶつかった時、自分か自分の子孫を助けに遣わす事を誓った。
一説によればアワシマは、自分の血を引く者に将来つける名前を木に刻んでいったという。
その木は後に案山子神となり、スサノオの子孫にアワシマの子孫の名前を告げる役目を果たした。
アワシマの子孫――スクナビコナとして伝わる、医薬や酒造を司る神である。
ツクヨミが何をしたのかは、やはり伝わっていない。が──
アワシマと同様、彼の子孫か、その力に連なる者を使いとして寄越し、スサノオの子孫を助ける約束をしたと言われる。
その神は己が持つ秘儀を文字や数値、楽や舞、形状の中に全て象徴として隠し、その本性すらも記紀神話から隠してしまったという。
今日も三輪山に祀られし、知恵と魔術の神であり――名をオオモノヌシと言った。
(ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~ 完)




