十.火の神カグツチとの戦い・其の三
火の神カグツチは、両脇に控えし雷神二柱を大声で呼びつけた。
「鳴雷! 伏雷! 来いッ!」
蝙蝠の貌をした二柱は命に従い、カグツチに近づいた――その刹那。
火の神の全身から「音なき音」が響き渡り、雷神たちは竦み上がった。
その隙を突かれて二柱は首筋を掴まれ、瞬く間に燃え上がった!
『ギャあアあアあアッッッッ!?』
「手ぬるいんだよォ……この役立たずどもがッ!
貴様らがウスノロなせいで、スサノオごときにボクの血を利用されちまったじゃあねーかッ!」
(何言ってんだコイツ……!?)
理不尽な言いがかりで八つ当たりするカグツチに、スサノオは寒気を感じた。
だが奴にとってこの「儀式」は、最初から予定の内にあったのだろう。理由など何でもいいのだ。雷神たちの穢れを取り込めるのであれば。
カグツチの火に包まれ、雷神たちはたちまち形が崩れ……黒き炎そのものとなる。
燃え盛る蝙蝠の羽根がカグツチの背中に宿り、凄まじい勢いで羽ばたくと――上空に舞い上がった!
「何だありゃ……! 飛びやがったッ……!?」
『あの動き……翼だけではないな。
兄者は体内から炎を噴き出している』
驚愕するスサノオの内側から、ツクヨミが冷静に言った。
『なるほど、理に適っている。
ただ翼だけあっても、人の姿をした神の身体じゃ鳥みたいに飛べないからね。
噴射の力を加減する事で速度を。
翼の動きを変える事で軌道を調整できるね。
相当に幻惑的な飛行も可能なようだ』
「そんだけ冷静に分析できるって事は、何か打ち破る策とか思いつかねーのかよ、ツクヨミ!?」
『今見せられたばかりなのに、いきなり対策って言われても』
「だったらしたり顔で解説すんなァッ!?」
カグツチは複雑な空中軌道を描きつつ、スサノオの周囲に己の穢れた血を次々と撒き散らした。
広範囲に飛び散った血から、先刻とは比べ物にならないほど数多く、熱泥の悪神たちが生み出される!
それで終わりではなかった。カグツチの右手に、炎で造られた剣が生える。
血をバラ撒いていたと思った矢先、急遽軌道を変えスサノオに炎の剣で打ちかかった!
スサノオは不規則な軌道を描く急降下突撃に対処しようと、必死で目で追おうとする。
黄泉醜女の超速に比べれば遅いかもしれないが、どこから来るか分からない陽動を交えた幻惑的な動きは十二分に厄介だ。
間一髪、カグツチの剣を身を捻って躱した……と思いきや。
突如剣の形状が変化し、射程が伸び……鞭のようにうねってスサノオの背中を焼いた。
「ぐがッ……うおおおッ!?」
激痛を堪えながらもスサノオは十拳剣で反撃を試みたが、敢え無く間合いを離されてしまった。
スサノオは圧倒的に不利な状況を悟った。
カグツチはこの瞬間にも血を撒き、自分の眷属たる悪神の数を増やしている。
そうかと思えば、再び不規則な飛行で一撃離脱を繰り返す。
(くっ……調子に乗りやがって、腐れ兄貴がッ……!)
周囲から生まれる悪神どもに注意を向ければ、その隙を狙って飛び込んでくる。
スサノオに反撃の隙を与えぬ小刻みな攻撃は、彼の体力を徐々に奪っていった。
「はあッ……はあッ……」
スサノオの身体に、疲労と同時に焦燥感も積み重なっていく。
時間が経てば絶つほど、多勢に無勢で追い込まれるのは必至だろう。
『スサノオ。心を落ち着けて、気を鎮めよう』ツクヨミが言った。
「いきなりンな事言われたって……」
スサノオは抗議しようとしたが――内に潜むツクヨミの心から流れ込んでくる陰の気が、スサノオの昂ぶっていた感情を、自然と平静へと引き戻した。
(そうか……ツクヨミの気を鎮める力。『時を読む』神力なんかよりずっと凄ぇな……
ウズメさんもこの助力があったから、黄泉醜女と戦った時に、意識を取り戻せたのか)
ツクヨミの助力があれば、己の感情を制御できる。
スサノオにとって、それは現状の危機を打開できる唯一の光明であった。
やがて――スサノオはある事に気づく。
今まで己の持つ「風を操る」神力は、スサノオ自身の感情を昂ぶらせる事によって生み出されていた。
だが今は、ツクヨミの働きかけによって気分は冴え渡っている。にも関わらず――スサノオの足元から小さな風が吹いていたのだ。
(これは……もしかすると……
今思いついたばかりの、ぶっつけ本番になるが……行けるかもしれねえ)
「ツクヨミ。オレの今の気分がスゲー落ち着いてるのも――お前の力によるものか?」
『そうだが……それがどうした? こんなものは一時しのぎだし、欠陥だらけの術だ。
何しろお前の昂ぶる感情を鎮めている間は、私は他の事に神力を割けんからな』
ツクヨミの言葉を聞き、スサノオは自信満々な様子でニヤリと笑った。
「ならいい……心配するな、『それだけ』で十分さ。
ここからが、オレたち兄弟神の反撃開始だぜ!」




