92.家族
確める間もなく、一瞬の浮遊感の後、政晶は一カ月前に旅立った薄暗い部屋の中に居た。
連絡を受け、魔法の玄関で待っていた経済、月見山、大使が一行を出迎えた。
「おかえり。ちょっと見ない間に随分、大人っぽい顔になったな」
「おかえりなさい。元気そうでよかったです」
「無事のご帰還、おめでとうございます」
政晶は無事、ここに帰って来た。
経済が言うように、ここから旅立った夜とは見違える程、逞しくなっていた。
眼には生気に満ちた力が漲り、体も以前とは違う筋肉が付き、がっしりしている。
政晶はいきなり何者かに抱きしめられた。
力いっぱい顔を押し付けられる胸板は分厚く、鼓動が激しい。
政晶は暑苦しかったが、その腕は強く、振り解くことも、抜けだすことも出来なかった。
父は声もなく、ただ、政晶を抱きしめている。
しばらく腕の中で我が子の存在を確認し、少し落ち着いたのか、今度は政晶の体のあちこちを撫でさすり始めた。
「大丈夫かッ? どこも痛くないかッ? 大丈夫かッ? 怪我はないかッ? 大丈夫かッ?」
「あー……大丈夫、大丈夫や、何ともないから、ちょっと落ち着けや」
……魔獣に襲われたとか、暗殺されかけたとか、絶対、言われへんなぁ……
政晶は腕を突っ張り、まだ充分に狼狽えている父を離した。が、すぐに抱き寄せられ、力いっぱい抱きしめられる。
「もう、お前らみたいな嘘吐きどもに渡さないからな!」
「嘘吐き……? 私どもが、でしょうか?」
大使が自分の顔を指差す。
「騙して連れてった癖に、とぼけんな!」
「その件につきましては、もう何度もお詫び申し上げましたが……お許し戴けませんでしょうか?」
「普通、『八月一日の夜中』って言ったら、一日の午後十一時とかその辺だろう! 一日の午前一時つったら、こっちの感覚だと七月三十一日の夜中なんだよ!」
「連絡に不備がございましたこと、誠に申し訳ございません」
恐らく何度も繰り返したであろう問答に、湖の民は困惑しきった顔で応じる。政晶が帰ってくれば、もう言われないと思っていたらしい。
……ひつこいやっちゃな。って言うか、父さん、コドモか……
「夜中に大声出すなよ。近所迷惑だろ」
眼鏡の叔父の醒めた声が、少し離れた位置から窘める。
「こいつみたいな力があったら、帰さない気だったんだろッ? 信用できるか!」
「あー……、うん。ただいまー、こいつでーす」
名を避ける為に指差され、こいつ呼ばわりされた黒山羊の王子殿下こと宗教が、ひらひらと手を振り、遠慮がちに言った。
「おかえり」
「おかえりなさい」
経済と看護師の月見山が、笑いを堪えながら迎える。
「確かに、それは否定できません。科学文明の国で魔力を持つ子を養育するのは、非常に危険を伴います」
「それ見ろ、こいつは生まれつき体が弱いから、特別にこっちにいられるだけなんだろ」
大使が肯定すると、父は更に勢い付いた。
「もし、この子が元気な体で魔力を持ってたら、お前ら絶対、帰さなかっただろうが」
「いえ、それは……呪いの影響がございますので、あり得ません」
双羽隊長が、父の懸念を否定した。
クロエから土産の包みを受け取りながら、経済が聞いた。
「ひょっとして、それで、結婚したことも……この子が生まれたことも黙ってたのか?」
「お前らに言ったらあっちの国にバレて、取り上げられると思って、言わなかったんだ」
経済が、信用ないんだな、と大使と一緒に苦笑する。
「だから、誰にも内緒で……でも、手続きとかの都合があるから、元町さんにだけ言ってたんだ」
……会社のおっちゃんには、口止めしてへんかったっぽいねんけど……あのおっちゃんが口滑らしたらどないする気やったんやろ?
政晶は、父のガバガバな対策に呆れた。
……しかも、結局バレてあっちの国に行ったし。
政晶は、父腕の中で小さく溜め息を吐いた。
話に気を取られている内に抜けだそうともがくが、我が子をがっちり抱きしめた腕は、びくともしない。
宗教は、そんな政治に構わず、月見山と談笑していた。
経済と大使が、すみませんね、とお互いに頭を下げ合っている。
政晶は、叔父の顔を順繰りに見て、最後に父を見上げて視線を止め、クロエが語った恐い話を思い出した。
……父さんら兄弟は、親にちゃんと育ててもらわれへんかってんな。
これまでにあった父の残念な言動の数々に合点がいった。
……そやから、父さんは夫婦やけど「長男」気分で、母さんを「母さん」みたいに思っとって、僕は子供やけど、父さん的には「弟」扱いなんか。
溜め息を吐いている経済にそっと目を遣る。
理由がわかり、腑に落ちたところで、父を甘やかす気にはなれないが、残念な兄を持つ弟の気持ちは、わかった。
……しゃあないやっちゃなぁ……そしたら、しばらくは僕がついといたらなアカンなぁ。
政晶は両手を「残念な兄」の背中に回して、その大きな体を抱き返した。




