56.羊肉☆
村の共同井戸を借りて体を洗い、鍵の番人が、負傷していた〈雪〉を癒した。
本人が言う通り、戦いには全く慣れておらず、魔剣に振り回されているだけだった。
政晶は〈雪〉なら、自分の気持ちをわかってくれるのではないか、と淡い期待を抱いたが、すぐにそれを打ち消した。
〈雪〉も魔法使いで、普通に霊視力があり、一応、剣も使える……大人だ。
魔力のない半視力の子供の気持ちは、わからないかもしれない。
……大体、そんなん……わかってもらえたとして、それで……どないやねん。
何も変わらない。
政晶が無力であることには変わりない。
恐がっていることに気付かれると、今以上に気を遣われ、心苦しくなるだけだ。
宿に入ると、騎士と鍵の番人は、何事もなかったかのように食卓に着いた。
女将が上機嫌で飲み物を運んで来る。
「最近、ここらをうろついていた奴、やっつけてくれてありがとね。騎士団に見回りを増やしてもらってたんだけど、巡回がある時に限ってどっか行っちゃってて、羊とか盗られてたのよ。助かったわ。本当にありがとうね」
「いえいえ、どういたしまして。我々も騎士の端くれですから、お気になさらず」
〈灯〉が女将と世間話を始める。
……何で今まで逃げられとったのに、今日は倒せたんやろ? この人ら、新米やけどやっぱりプロやし、めっちゃ強いから?
〈汝には、あの無様な戦いぶりが強く見えたのか。嘆かわしい……逆だ。逆。弱い集団だからこそ、魔獣の群れは逃げ隠れせず、襲って来たのだ〉
建国王に小馬鹿にされ、政晶は落胆した。
この騎士たちが弱いなら、戦う力を何も持たない政晶は、お荷物以外の何者でもない。その「弱い」彼らに、ただ守られるだけの自分がもどかしい。
〈付け焼き刃の力なぞ何の役にも立たん。それこそ却って足手纏いだ。大人しく守られることこそ、彼らの為と心得よ〉
……でも……
〈汝には、汝にしかできぬ重要な役目がある。限られた時を余計なことに浪費するでない〉
……うん。それはまぁ……そうやねんけど……でも……
〈「でも」の続きを考えておらぬなら、余計な気を回すな。目の前のことに集中するのだ。よいな〉
政晶は頭ごなしの命令に苛立ったが、その苛立ちさえも建国王に筒抜けであると気付き、更に苛立った。
夕食は、採れたての新鮮なサラダと野菜スープとパン、豪快な切り方の羊料理だった。
香ばしく焼き色のついた羊肉の塊に、赤いソースがたっぷり掛かっている。
騎士たちは、井戸で洗って服にも体にも血の染みは残っておらず、昨日までと同じように食事をしている。
気弱そうな〈雪〉でさえ、普通に羊肉を食べ、談笑している。つい先程、魔獣に食い殺され掛けていたとは思えない。
政晶は、肉に手を付けられず、パンと野菜だけで済ませた。
「ラズベリーソース、嫌いなの? さっぱりしてて、おいしいよ?」
「えっ? あ……ラズベリー……う、うん」
〈雪丸〉は好物なのか、血の色を連想させるソースがたっぷり掛かった羊肉を、美味そうに頬張っている。
「食べないんだったら、もらっていい?」
「うん、どうぞどうぞ」
縦横に駆けて魔獣の牙を掻い潜り、剣を振るっていた彼女は、ダイエットとは無縁らしい。満面の笑みで政晶の分まで平らげた。
「育ち盛りだもんな。食っとけ食っとけ」
〈斧〉が笑い、つられて他の面々も笑みを零す。
政晶は空気を読んで笑ってみたが、頬が引き攣り、上手くいかなかった。
……大人やったら、お酒呑んで酔っ払って、恐いん誤魔化したりできるんやろになぁ……
〈酒? 判断を誤り、魔力を暴走させ、術を掛け損じる。酔っている時に襲われればひとたまりもない。あんな物はロクなことにならんのでな、この地には薬酒しかないぞ。それすらも拒む者が多い。汝の国のように子を守るべき大人が呑むなぞ、ここでは有り得ぬ〉
政晶の記憶を漁り、一息で説明する建国王に、政晶は困惑した。
〈そもそも、汝が血の臭いをさせておるから、いかんのだ〉
……えっ? 僕のせいなん? なんで……あ、靴擦れ?
〈だから、さっさと癒してもらえと言ったのだ。他の誰かを癒すおこぼれを待つな〉
政晶にはぐうの音も出なかった。
ここでは、些細な傷が死に直結しかねない。
政晶の靴擦れの血の臭いが魔獣を引き寄せたせいで、〈雪〉は食い殺され掛けたのだ。
素朴な村人たちが、常に危険と隣合わせの環境で、一日一日を生き抜いていたことに、初めて思い至った。のどかで退屈に見えた畑の風景は、日々の生存を懸けた戦場だったのだ。
これがここの「普通」やねんな……




