迷い(Ⅴ)
次の週末、真理亜は金曜日の夜に思いきって佐々木の店を訪れることにした。
定時を少し過ぎたころで仕事を終え、駅前のヨガ教室で1時間きっちりとメニューをこなし、汗をシャワーで流してからからいつものように髪をひっつめて再び洋服を着る。
サマースーツのジャケットは着ずに手に持ち、ブラウスのボタンをオフィスに居るときより1個だけ余分に開けてみた。
ヨガ教室を出る時にガラスのドアに映ったのは典型的なOL姿の真理亜だ。
いつもと違う電車に乗り、朝ほどではないがかなり混雑する車内でなんとか隙間を見つけてほっとしてつり革に掴まった。
訪れる約束をしているわけではなかった。
ただ、いつもとは違う曜日に店に居る佐々木を見てみたかったのだ。
ほどなく乗降駅のアナウンスがあり、大勢の人が動く流れにのって電車を降り階段を昇ると生ぬるく湿気を含んだ風が押し寄せる。
まだ完全に暗くなっていない空はどんよりと曇っていた。
Bar 桜羽 のドアを開けるとすでに賑わっている空気が伝わってきた。
「いらっしゃませ」と対応に出てきたスタッフが真理亜を見て言葉を止めた。
「予約はしていません。カウンター席で良いのですが一人大丈夫ですか?」と真理亜が言うと、いつもと雰囲気が違うが真理亜とわかったのだろう。
「はい。ではこちらにどうぞ」と先に立ち笑顔で案内してくれた。
「店長さんには今日来ることを知らせてないんです」
引いてくれた椅子に座りながらそう言うと、「サプライズですね?」と面白そうに短く答えて真理亜にメニューを渡した。
「ほどなく降りてくると思います。しばらくお待ちください」と言ってその場を離れたが、それとなく佐々木が上のオフィスに居ることを匂わせた優秀なスタッフのことだから内線で真理亜が来たことを知らせるだろう。
真理亜はゆっくりとメニューを開いた。
いつもはお任せが多いので、メニューを見ることはほとんど無かったことに気づく。
食べ物の種類も多く美味しそうな説明を読むにつれ、かなり空腹を感じてきた。
食べる前にアルコールを摂るのは躊躇われたので、とりあえずペリエを注文した。
次に冷たい前菜の盛り合わせと小さなフィレステーキを注文し終わって、冷たいペリエを一口飲んだところで佐々木がカウンターに入ってきた。
少し俯いてカウンターの隅で手を洗い、丁寧に手を拭いてから佐々木は顔を上げた。
カウンター客に挨拶をしようと思ったのだろう。
綺麗な笑顔を向けた瞬間にそれが真理亜とわかって表情が止まった。
その小さく驚いた顔を見て、真理亜が可笑しそうに微笑むと、「びっくりした~」と佐々木が呟いた。




