グラッパ(Ⅲ)
仕事帰りなのだろう、きちんとしたスーツ姿の男性は真理亜と同じくらいの歳に見えた。
「確かに私はあまりお酒に詳しくないかもしれません」
そう話し始めると、男性はもう一度頷いた。
「ただこちらのお店のスタッフの方にお任せしておりますので、
私にも飲むことが出来ると判断して出していただいているはずです。
ですから私も安心して初めてのお酒を楽しんでいます」
そう言って真理亜は微笑んでから男性から視線をはずし、顔をまっすぐ前に向ける。
アンタの気にするところじゃないんだから放っておいてよと言ったつもりだ。
相手は何も言わず、グラスを持ち上げてくっと一口飲むと、トンと軽い音を立ててグラスをカウンターに置いた。
それからおもむろに、「生意気だな」と呟いた。
決して大きな声じゃない。
あきらかに真理亜にだけ聞こえるように言ったようだ。
真理亜は軽くため息を吐いて、その男性のことは考えないようにした。
グラスを引き寄せて手に取ると、少し傾けて濃度を観る。
それからもう一口、口に含んでみる。
この濃い味に意外に早く慣れてきたようだ。
せっかく美味しいお酒なのにそろそろ退席するのが妥当だろう。
金曜日の夜に一人で飲みに出るということは、いろいろなことを覚悟しなくてはならない。
デートする相手の居ない寂しい女と見られて、からかわれたり誘われたりするのは仕方が無いことだ。
だが、今夜の真理亜は上手くあしらうことが出来そうになかった。
どういうタイミングで立ち上がったらいいのか真理亜にはわからない。
グラッパの余韻が消えたので、もう一口飲んだ。
隣の男性が身じろぎをしたので真理亜が緊張していると、
カウンターの向こう端に居た譲二が隣のお客の前にやってきて話始めた。
どうやら隣の男性は一人ではなく友人カップルと三人で来ているようだ。
譲二が彼らの注意を惹いてくれたようで真理亜はほっとしてもう一口グラッパを飲むと、
バッグを掴んで立ち上がった。
化粧室への方向に歩いてカウンターからは見えないところまで来ると
スタッフに合図して1万円札を渡してお会計を頼み、真理亜は化粧室の扉を押した。
手早く用を済ませ手を洗おうとして前を見ると、鏡に映った自分の顔があった。
ひっ詰めた髪にいかにもOLしてますというスーツ。
目の淵が赤くなっていて、いつもより酔いが顔に出ているようだ。
両手でぴしっと頬を叩いてみたが、今夜は気合が入りそうになかった。
化粧室を出ると、スタッフがすかさず気がついて真理亜にお釣りを渡しながら、
「オーナーからの伝言です。ノアさんの店でしばらく遊んでいて欲しいそうです」
と小さな声で伝えてきた。
了承のしるしに頷いて、そのままそのスタッフの影に隠れるようにして Angel Eyes を出た。




