マール (Ⅴ)
真理亜に出したものは葡萄の搾りかすを再醗酵させブランデーにしたものだという譲二の説明を聞き、
「これがマールなのね」としみじみと琥珀色の液体を見つめる真理亜に譲二は目を細めていた。
「昔、小説の中では読んだことがあるんだけど
すごくお酒の強い人しか飲めないのだと思ってた」
真理亜はそう言って小さく笑った。
「同じように葡萄の搾りかすで作るイタリアのグラッパと違うところは、
フランスのマールは長期間樽で成熟させるところにあるんだ」
「なるほど。じゃ、この香りは樽の匂いなのね」
「わかるかい?」
「樽の材料もいろいろあるんでしょ?」
「あぁ」
「これは何なんだろう」
「オークだよ」
「覚えておかないと、この香りを」
真理亜はグラスを近づけて茶化すように鼻をクンと言わせて匂いを嗅いだ。
次に口に含んでゆっくりと飲み込む。
口に入れた直後と飲み込むときの喉のひりつき感と、そして後口の余韻を時間をかけて記憶する。
「ファイリングしているのかい?」
「ええ、脳内にカード式のファイルを作ってるところ」
「真理亜ちゃんのファイリングにせいぜい協力させてもらうよ」
「ところがね、困ったことにお酒のファイリングってほとんど酔ってる時なので
あとでファイルを見つけられないのよ」
「あはははは」
滅多に声を出して笑わない譲二が、仕事中ということを忘れて噴出してる。
「そんなに笑わないでもいいじゃないですか。
酔っ払いなんてみんなそんなものでしょ?」
「真理亜ちゃんが言うと可笑しくてさ・・・」
「飲んでるときにいくら覚えておこうと思っても、しばらくするとすっかり忘れてるんだもの」
まだ肩を震わせてる譲二を少し睨みながら真理亜が言った。
「記憶に残るまで何度でも飲めばいいんだよ」
そう、譲二は言い返してカウンターの向こう端に注文のカクテルを作りに行ってしまった。
真理亜はマールの入ったグラスを手に取り、佐々木が買ってきたワインを思い出していた。
同じ葡萄でもワインは葡萄お果汁を醗酵させてつくる。
マールはその果汁がなくなった糟を醗酵させ、さらに蒸留して樽に詰め寝かせるらしい。
絞りかすだと渋みが残るだけなんじゃないかと思うが、捨てないで再利用し
それがこんなに澄んでまろやかで上品な味になるとは驚きだ。
フランス人の偉大さにつくづくため息が出そうだ。
人間もこうなれればいいのに、とふと真理亜は思った。
搾りかすのような人間でも知恵と手間と時間をかければ再生できるのかな。
急に湧き上がった考えと同時に過去の記憶が浮上しそうになった。
開きそうになった記憶の扉を押さえつけ、違うことに意識を向けようと真理亜は
もう一口マールを飲んでみる。
久しぶりに酔ってしまいたい衝動に駆られた。




