090.もやもやより、ぽよふわ最高です
「あ、アナベル。どうしていきなりそんな話を……」
声が上擦っているセインを、アナベルは少し目をあげて見つめる。かなり動揺しているらしく、その黄金の瞳は完全に泳いでいた。
「オリヴィア嬢が教えてくれました。セインに婚約者がいないからと、女性経験もないと考えるのは間違いだ、と……」
「余計なことを……」
常の冷静さが消え、舌打ちしそうな勢いでオリヴィアを忌々しく思っているのが伝わってくる。
アナベルはその豹変ぶりが面白くて、くすりと笑う。
「女慣れしているから、私のような単純な人間は簡単に手懐けてしまえる、とも教えてくれました」
「そんなこと思ってない! 絶対に思っていないから、信じてほしい」
両の肩に手を置かれ、真剣な眼差しで見つめられる。必死に言い募るセインに、アナベルの笑みは深まるばかりだった。
「信じます。むしろ誰とも付き合いがないと言われたほうが信用できません。でも実は私、セインは女性不信で、苦手意識が強い方なのかと思っていました。それが慣れるほど大勢と付き合いがあったという部分には、正直に言うととても驚いています」
「うっ! そ、それは……」
セインが苦しげに呻き、その頬には汗が伝っていた。
治癒魔法が必要な体調不良ではなさそうなので、アナベルはそのまま話を続けた。
「セインはとても素晴らしい優良物件ですから……まあ、それも致し方ないですよね」
呪いにかかる前は痩身の美男子。その上、政府高官の財産家で最上位の貴族。これだけ揃っていて女性が放っておくほうがあり得ない。
そこは詰っても不毛なだけだ。
【副隊長。セインは、そんなにたくさんの人とは付き合っていないわよ! えーっと、えーっと……何人、とははっきり覚えていないけど……でも、でも、二十人は超えていないと思うわ!】
きゅきゅの、とても焦ったような声が脳裏に響いてくる。
彼女の寝床に目をやると、翼をパタパタさせて、一生懸命セインと付き合いのあった女性の人数を思い出そうとしている姿があった。
眠っているように見えていたのだが、どうやら自分たちの話を聞いていたらしい。
セインの危機と感じ、声を発して助け舟を出してきた、といったところだろうか……。
【あの女好きとは違うわ。手当たり次第に声をかけるなんて、していないのよ。誘われるから、ちょっと相手をするだけなの。経験がなかったほうがよかったのでしょうけど、そこは許してあげて!】
あまりに一生懸命訴えるのが面白くて、アナベルは黙って聞き入った。
【でもね、副隊長。避妊は物凄くちゃんとしているから、隠し子なんて絶対にいないわ。相手のほうだって完全に割り切った、大人の対応ができる女性ばかりだったから、揉め事もないのよ!】
「きゅきゅ、お願いだからもうそれ以上、何も言わないでおくれ」
セインが、弱り切った声音で懇願する。
助け舟にはなっていないようで……アナベルはこらえきれずに吹き出した。
「くっ、ふふふふふふ……お付き合いの正確な数はわからないけど、二十人未満。完全に割り切った大人の関係、と……。有意義な情報をありがとう。隊長」
「アナベル……」
口元を両手で覆って笑い続けるアナベルに、セインが眉を下げて困り果てている。
自分にかける言葉を懸命に探しているのがよくわかる人の胸元を、アナベルは軽くぽんぽんと叩いた。
「他に愛する女性がいるのに、私の魔法力を目当てに求婚していると言うのでなければ、過去の女性関係は気にされなくて構いませんよ。これは、本当に正直な気持ちです」
【きゃあ! さすが、副隊長。懐が広い! セイン、とってもできたお嫁さんで、良かったわね】
セインが何か言う前に、きゅきゅから快哉の叫びがあがる。
【はあ~安心したわ。おやすみなさ~い】
晴れ晴れとした雰囲気で、就寝のあいさつをくれた。翼をたたみ、ささっと寝床で丸まった。
「きゅきゅ……ずるいよ」
セインが詰るように言ってきゅきゅの寝床を見ている。
それが余計に面白くて、アナベルはますます笑うのをやめられなくなる。
「私、結婚した男性の浮気はきらいですが……未婚で、恋人も作らない男性の女性遍歴にまで、口を出すほど潔癖ではありません。安心してください」
両親が貫いた一途な愛を尊く思い、それを理想とするが、自分と出会っていない時代のセインにそれを持ち出して非難しようなど、そんなことは微塵も考えない。
アナベルはセインと結婚しているわけではないのだ。過去の女性遍歴に腹を立てるほうがおかしな話である。
「君は私を甘やかしすぎだよ。申し訳ない」
再びアナベルを抱きしめたセインは、心持ち項垂れていた。
アナベルとしては本当に、セインのお付き合いに関して、ただ驚いたということを伝えたかっただけなのだ。
咎めた覚えはないのに、ここまで落ち込ませてしまうとは予想外の展開である。
「私に申し訳ないと思われるのでしたら、一つ願いを聞いていただけないでしょうか?」
アナベルがなんとも思っていないと言い続けたとしても、セインは心の底から納得できないだろうと感じ、そう提案してみた。
自分で振ってしまった話題であるが、これで全部忘れて何もなかったことにしたい。
「何なりと、どんなことでも言ってくれ」
勢い良くアナベルにそう言ってきたセインは、萎れていたのが元気になったように見える。
提案して正解だった、とアナベルは安堵しながら微笑んだ。
「横になってください。私に、満足いくまであなたのおなかを触らせてください」
「え?」
まさかの願いなのだろう。
セインは、きょとんとして呆然とアナベルを見つめていた。
「ぽよぽよ具合を楽しみたいのです。駄目ですか?」
じいっと目を見ておねだりすると、アナベルが本気で願っていると伝わったようだ。
セインは苦笑しつつも、寝台に横になってくれた。
アナベルはその隣にお邪魔し、夜着の上からその柔らかなおなかにそっと触れる。
「ふわふわ……柔らかくて気持ちいいです。ありがとうございます」
やはり、本人がこの体形を苦にしていないなら、無理に痩せなくてもいい。イブリンは激しく否定していたが、ぽよぽよふわふわ、あったかい。最高である。
「もっと難しい願いでも構わないのに。君は善良すぎる」
「これは難しい願いであると私は思います。ベリル最高の貴族。宰相閣下のおなかを好きに触らせてもらっているのですから」
撫で撫でしながら、その心地よい感触を堪能する。
今自分は、不敬罪に問われてもおかしくないことを叶えてもらっているのだ。これ以上の難しい願いはないと本気で思う。
「愛する人に優しく撫でてもらっている私は、得をしているとしか思わないよ」
機嫌よく微笑んでいるセインに、過去を気にして落ち込んでいる様子はまったくない。気分が完全に上向いている彼に、アナベルは一安心である。
「愛する人と言っていただけるのは、とても嬉しいです。私、オリヴィア嬢の話を聞いて……セインに愛する恋人さんがいらっしゃるのかと思ったら、自分でも訳がわからないくらい胸がもやもやしました。美味しいケーキのはずなのに、急に何も味がしなくなって……そんな自分にこそ、一番驚いたのです」
アナベルがセインのおなかを軽く押すと、ぽよんぽよん揺れ動くのが楽しい。
彼の傍にずっとこうしているのは自分がいいな、と思う。他のどのような女性でもなく……。
「アナベル。言い訳と思われるのを覚悟で言うが……私はこれまで、愛する恋人を持ったことは一度もないよ」
そっと手を握られる。
「その言葉も信じます。もし、セインに本気で愛する人がいたなら、私に偽装契約など持ちかけず、とっくに婚約なり結婚なりしていると思うのです。黙ってそのままにしている人、とは思えませんので」
出逢ったばかりのアナベルに、セインのことをすべて知るなど不可能だが、それでも、愛する人がいればその人と幸せになろうとする人だと思うのだ。
「もちろん。そのままになどしないよ」
「…………」
セインからいやに真剣な……熱を含んだ視線を感じる。
こちらを見ている深い想いが宿るようなその眼差しに、アナベルは妙に緊張してどぎまぎした。
「一日でも早く、私たちの結婚証明書に署名を入れたいね」
「そんなに急いで話を進めなくていいです。……それよりも、前長官のことはどうなりましたか?」
セインの過去話は終わりにしたのでいいが、急ぎ足で未来の話をされても困る。
アナベルは苦笑しつつ、現在のことを問うた。




