088.心に潜む野心
「オリヴィア嬢は王妃となりたいようですが、私はなりたくありません。私たちは違う人間ですから、異なる望みを抱いて生きるのは当たり前のことだと思います」
「それはそうね。皆が皆、王妃となりたいと言ったら邪魔で仕方がないわ。今も三人もいて不愉快ですもの。だからと、地位も財産もない男と喜んで結婚するなんて。あなた正気?」
どこかおかしいのではないかと真剣に心配されてしまい、アナベルは苦笑が零れた。
「では、こう言えば納得していただけますか? 私は、その気になれば地位も財産も自分で手に入れることができます。夫となる方に頼る必要はないのです」
「自分で? 女は貴族の家の当主となることはできないわ。わかっているでしょう?」
オリヴィアは、どこか悔し気な顔をしていた。
確か、ラッセル侯爵家にはオリヴィアしか子がいない……。
だが今のベリルでは、たとえオリヴィアがどれほど秀でていようとも、ラッセル侯爵となることは不可能なのだ。
彼女は、もしも自身が男であればと考えることがあったのだろうか。
「ですが私はなれるのです。地位と権力を求めるなら、王宮魔法使いになればいいだけの話です」
「あ……あなたはその手が使えるのね」
オリヴィアははっとして、口元に手を当てた。
初めて納得が得られた様子に、アナベルはこくりと頷いた。
「必ず長官となってみせます。長官には無条件で侯爵位が与えられますので、私は女の身であっても、侯爵家の当主となれるわけです」
「…………」
息を呑んで聞き入っているオリヴィアに、アナベルは微笑む。
「それで爵位も領地もお金も手に入ると思いますが、もっと稼ぐなら、すべての上級貴族に力を売り込みます。高額で悩みの解消を請け負って回れば、すぐにひと財産くらい築けるのではないでしょうか」
「力の強い魔法使いとは、ずいぶんと人生を有利に運べるいい存在ね。……では、あなたは真実、自分で地位も財産も手に入れて、何の取り柄もない太った男を飼うのね。物好きなこと」
アナベルがセインの地位も財産も求めていない、ということはわかってくれたらしい。が、言い方にどこか悪意を感じるのは、はたして気のせいだろうか……。
「飼うのではなく、お婿さんに来ていただくのです。私はセインをとても優しくて素晴らしい人であると思っています。たとえ彼が公爵でなくなったとしても、この気持ちに変わりはありません」
「馬鹿ね。あなたは、私が公爵を優しくて立派な人間と思っていないことを不服に思っているのでしょうけど……公爵があなたに優しくしているのは、無償の厚意ではないのよ」
愚か者を諭すような口調だった。アナベルが反論しようとすると、オリヴィアはそれを遮るように自身の言葉を続けた。
「己の利になる、都合よく使える魔法使いに優しくしない人間が、どこの世界にいると言うの? あなたには婚約者がいたはずだけど、男の嘘を見抜けないなんて……男とまともに付き合ったことがないの?」
呆れ切った目を向けられる。
「私は父の決めた婚約者……従兄が大嫌いでした。他に好ましいと思う殿方もなく……ですからセインと出会うまで、血縁以外の殿方と親しく話すような機会はほとんどありませんでした」
だから、まともに付き合ったことがないと言われても、それは仕方がないと思う。
「やはり、ね……」
「それでも、セインが私を都合よく使いたいから優しくしてくれているとは思えません。私の魔法を頼ってくださいとお願いしても、なかなか頼ってくださらない方ですし……」
アナベルは誰になんと言われようと、自分の見ているセインを信じるだけだ。
「頼らないのは最初だけ。あなたに自身を善人と思い込ませて手懐けるため……とは、考えないのね。単純なあなたは、公爵にとって楽に狩れる獲物だわ。何が楽しくて生きているのかわからない面白みのない男、とは言ったけど……私、あの公爵を、女を知らない変人とまでは言っていないわよ」
「え?」
目を細めて楽しそうに笑うオリヴィアに、アナベルは背筋がぞわっとした。
フルーツタルトを食べていたのだが、急に味がしなくなる。
セインは、誰とも婚約していないからアナベルに偽装婚約を依頼してきた。もし、恋人がいるなら、その人と婚約しているはず……。
だから恋人はいないと思っても、オリヴィアの言葉が脳裏をぐるぐる駆け巡り、気持ちが安定しない。
「当たり前でしょう。公爵は三十過ぎの男なのよ。ずっと結婚を渋り続けていたからと、女性経験がないと決めつけるのは単純すぎるわ。あれほど有益なものを持ちすぎていると、結婚を求める女だけでなく、求めず完全に割り切って傍に寄る女も多いのよ」
「……それは、恋愛感情はない相手とセインがお付き合いをしたことがある、というお話ですか?」
その場限りの付き合いであり、恋人はいないという答えを聞きたくて……質問一つに、胸が異常にドキドキして緊張した。
「そういうこと。公の場で女と親しく話すようなことはしないけど……私の見る限り、公爵は女が苦手で怖いから逃げ回っていたわけではないもの。だから、どうでもいい相手には冷酷に、あなたのように良い手駒になる存在には、とことん甘くて優しい男になれるでしょうね」
「……そうですよね。女性とお付き合いがまったくないなんて、そんなことはないですよね」
恋人ではなく、互いに同意の上の割り切った関係……。
それを聞いて、ものすごくほっとした。
アナベルとしても、かなり女性の関心を引くであろうセインが、まったく女性とお付き合いしていないというほうが信じられない。
恋人がいないのであれば、それでいいのだ。
甘くとろけるフルーツの味が口内に戻って来た。
「公爵夫人の地位に興味がないなら、騙されてこき使われるよりも、さっさと見限って本当に優しい男を探してはどうかしら?」
「私はセインの優しさだけでなく……宰相として陛下をお助けし、ベリルを良くしようと尽力している姿を尊敬しています。たとえ騙されていたとしても、一番大切な方であり続けると思います」
「恋は盲目ということかしら。処置無しだわ」
馬鹿馬鹿しい、とばかりにオリヴィアはこれ見よがしな溜息を吐いた。
「もし叶うならば、私は何も持たないセイン・マーヴェリットが欲しいです。しがらみが何もないところで、共にのんびり暮らすことができたなら……と思うことがあります。野心というなら……それが私の心に潜むものかもしれません」
「つまらない野心だわ。私たちが共感できることは何もなさそうね」
本当に、心の底からつまらなそうに言って、オリヴィアはアナベルを鼻で笑っていた。




