087.アナベルはそこが納得できない
「イブリンはあなたを一般市民と信じて罵っていたけど、違うわよね。あなたは、私たちと同じ貴族。正式な身分はカウリー伯爵令嬢ではなくて?」
二度と名乗ることはないと決めた名で呼ばれ、アナベルの右眉がピクリと動く。
「カウリー伯爵令嬢は、もうこの世にいません。葬儀の記録が残っているはずです」
セインの誕生祝賀の夜会でブルーノがいろいろと喚いている。だから知られていてもおかしくないのだが、関係を断った家なのでとりあえず誤魔化しておいた。
「そうね。不貞を働いたことを悔いて亡くなったとされているわ。でも、あなたがアナベル・カウリーよ」
「…………」
迷いなく言い切ったオリヴィアの表情に、きちんとすべて調べているのだろうと窺えた。
「私を袖にし続けた公爵が、何の前触れもなく婚約者として発表した女性。素性を調べるなど、当たり前のことよ。誤魔化しても無駄だから、無意味なことはしないでほしいわ」
「……そうですか。無意味とまで言われては仕方がないですね。お言葉認めます」
別にこのことでオリヴィアと言い争うつもりはない。アナベルは一つ息を吐くと、小さく頷いた。
「ならばどうしてイブリンの無礼に報復しなかったの? 貴族の身が一般市民のように罵られるなど、この上ない屈辱でしょうに」
アナベルが認めると、オリヴィアは満足そうに目を細めて興味深げに問うてきた。
「貴族が意味も無く一般市民を罵る、という行為自体はきらいです。ですが、今の私は伯爵家の人間ではありません。貴族の身分に未練もありませんから、一般市民として扱ってくださったので構いませんよ」
「いくらマーヴェリット公爵の婚約者が妬ましいからと、物を投げつけるなど尋常なおこないではないわ。しかも尊重されるべき魔法使いに……それでも本当に怒りを感じなかったと言うの?」
疑いの眼差しを向けられて、アナベルは苦笑した。
「当たらないようにしていますし……怒って叱りつけたところで、聞き入れてくれるようには見えませんでしたので。セインに向かって投げつけたなら別ですが、私に投げてうっ憤が晴れるなら、まあいいのではないかと……」
無理矢理制しても、余計に怒らせて収拾がつかなくなると思ったから、気のすむまで投げさせたにすぎない。
アナベルとしては無駄な労力を省いただけである。
正直にそう答えると、オリヴィアは面白そうに笑った。
「寛容すぎるわね。私たちには使えない魔法が使えるということが、そうさせるのかしら」
「私は寛容な人間ではありません。イブリン嬢はセインと結婚したいと望む方ですから、突然婚約者として現れた私を憎んで罵るのは……聞いていて気持ちのいいものではありませんが、仕方のないことかと考えただけです」
アナベルは紅茶味のケーキを食べるのを再開し……すぐに食べ終えて次はチョコレートケーキへ。
「仕方のないことと納得したとしても、少しは腹が立つものと思うけど……」
納得がいかない様子のオリヴィアに、アナベルは軽く首を傾げる。
「そうですか? イブリン嬢の罵声など、従兄に比べれば大したものではなかったです。それに、マーヴェリット公爵の婚約者を邪魔に思う方は、イブリン嬢以外にも大勢いらっしゃると思いますので、罵られた程度でいちいち腹を立てていては、逆に疲れてしまうのではないでしょうか」
このチョコレートケーキは、どうしてこんなにも美味しいのだろう。絶妙な甘さが全身に染み渡る。
「今のベリルであなたを一般市民扱いで罵れる愚か者など、イブリン一人きりよ。他の令嬢がああしたおこないに出ることはないでしょうね」
「え?」
イブリンは友人ではないのだろうか。
愚か者扱いに驚き、また食べるのが止まってしまう。
「どれほどの貴族が、公爵の歓心を得ようとあなたを養女にしたいと争っているか知らないのかしら? マーヴェリット公爵の婚約者。それはきっと、あなたが思う以上に大きな力を持つものよ。とはいえ、その権勢がものを言うのも残りわずかなことですけどね」
「……朝、たくさん訪ねて来られました。ですが、それで私に大きな力が備わったとは思えません。彼らは皆、セインに頭を下げに来ただけです」
オリヴィアの考えには賛同できないので、その気持ちをそのまま伝えると、鈴を転がすように笑われた。
「まあ! なんと優等生な答えだこと……。つまらないわ。そろそろ、したたかな本性を見せてくれないかしら?」
「本性?」
明確な棘を感じる眼差しを向けられても、アナベルはオリヴィアの問いの意図が掴めず首を傾げた。
「あなたは魔法使いであることを隠して時を待ち……没落した家から離れ、見事ベリル一の貴族に魔法で恩を売ることに成功した。そして公爵夫人の地位を得る。そのしたたかさはきらいではないわ。綺麗ごとばかり並べて優等生を演じる人間よりも、立派な人間よ」
「…………」
きらいでない、と言われてもまったく嬉しくない響きの言葉に、アナベルは眉を顰めた。
「いくら伯爵位を持っていようとも、権勢も財産もない家で暮らすなんていやですものね。だから、カウリー伯爵令嬢という身分には未練がないのでしょう? ペルヴィ川で公爵の飛竜を癒す事の出来たあなたは、計算高いだけでなく大した強運の持ち主ね」
「……私は、カウリー家が没落しているから出たわけでもなく、セインに恩を売って婚約者にしてもらいたくて飛竜を癒したわけでもないのですが……」
オリヴィアの中では、なぜかアナベルのほうがカウリー家に嫌気が差して捨てたことになっているようで、思わず訂正していた。
「では、なぜ王都に出てマーヴェリット公爵と婚約したの? 没落貴族では得られない、絶対的な権力と財力が欲しかったからでしょう。あなたの野心を正直に答えなさい。そうでなければ、あんな男と結婚するなど考えられないわ」
「そこです!」
アナベルの心を決めつけるオリヴィアに、少し語気を強めて返した。
「な、なにが、そこよ?」
オリヴィアは面食らって驚き、怪訝そうに眉を顰めた。
「イブリン嬢もですが……どうして私がセインの婚約者となったことを、地位と財産目当てと決めつけるのですか?」
「え?」
「マーヴェリット公爵家が尋常でない資産家であり、ベリル一の名門であるのは確かです。それでも、婚約の決め手をそれだけとは思わないでほしいです。オリヴィア嬢の話からは、セインにはそれ以外にいいところがないように聞こえます。私はそこが納得できません」
心に抱く不満を口にすると、オリヴィアはきょとんとして真顔で問い返してきた。
「あの公爵に、地位と財産以外に何の取り柄があるの? 痩せれば悪くない面立ちの殿方でしょうし、剣術が得意ということも知っているわ。でもとてもつまらない男よ」
「つまらない?」
ここまではっきり言われるとは思わず、アナベルは目を丸くしてオリヴィアを見つめた。
「何が楽しくて生きているのかわからない、ということよ。娯楽に興じることなく、趣味らしいものも聞いたことがない。夜会は義務で開いているだけで、自分から女性に声をかけることなど皆無よ。毎日、政務と公爵家の管理ばかりして、枯れきった老爺みたいで気味が悪いわ」
苦々しげな口調には、隠しようのない嫌悪の感情が滲んでいた。
「それだけ、大切なお役目が多くて日夜忙しいということでは……枯れた老爺と言うのは……」
日々、政務や執務に懸命に励む人に、オリヴィアの言いようはあまりにひどい。アナベルは胸がもやもやして落ち着かなかった。
「他の役目が多い人間……例えば父は、きちんと時間を作って人生を楽しんでいるわ。仕事ばかりしているのは、マーヴェリット公爵くらいよ。腐るほど財産を持っているくせに使い方を知らない、華美を嫌う陰気で地味な人間。それがあの男のすべてよ」
「派手なおこないを嫌う、物静かな方……ということでよろしいでしょうか?」
オリヴィアの言うことを素直に受け入れるのはどうにも我慢ならず、アナベルはそのように修正した。
「好きなように言えば良いわ。王位継承者になるかもしれないと思ったから結婚を考えたけど、そうでなければ考慮にも値しない。私にとっての公爵とはそんな男よ」
「……セインには、そんなもの以上に良いところがたくさんある、と私がいくら言っても、納得してもらうのは難しそうですね」
アナベルはオリヴィアの考えに賛同できない。だから、オリヴィアのほうもアナベルの考えに賛同できなくても、それは当然のことなのだ。
「真実……地位と財産目当の婚約でないと言い張るなら、公爵がそれら最強の盾を失って無力となっても、あなたは婚約解消しないと誓えるの?」
アナベルの内面を探るような目で、オリヴィアはこちらを見ていた。
「オリヴィア嬢がどのようにお考えでも、セインがマーヴェリット公爵でなくなるのは、本人が引退を決めたその時だけと思いますが……もし、彼が強引にすべてを奪われ身一つとなって私の前に立ったなら……」
「もちろん、いざとなったら相手にしないわよね。せっかく掴んだ婚約者の地位だったのに、残念なこと。まさか、公爵家が没落するなど考えもしなかったでしょう?」
意地悪く笑ったオリヴィアに、アナベルは満開の笑顔で応えた。
「喜んで、お婿さんに来ていただきます」
「なっ?」
「私は白黒両方使える上級魔法使いです。魔法屋にお客がゼロなどそんな日はないと思いますから、セインはお店番として私と一緒に暮らすのです。私の全力で彼を幸せにしてみせますし、彼が傍にいてくれたなら私も最高に幸せな暮らしが送れます」
これは叶えられないとわかっている夢だ。
でも語っていると楽しくて……にこにこと浮かれて語るアナベルだったが、オリヴィアのほうはぎょっとして目を見開いていた。




